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「宗教における恋愛禁止」は凛とした生き方を提案してるんです

「人権侵害だ!」
「もっと自由を認めるべきだ!」


  • アイドルの恋愛禁止

  • 宗教(旧統一教会)での恋愛禁止

11月は両方が話題になりました。

2つは同じ恋愛禁止でも、目的がまったく違います。



アイドルの恋愛禁止はともかく、「宗教における恋愛禁止」を軽々と批判する人(メディアも含めて)がいますよね。

「恋愛禁止の真意を理解してる?」と、僕は正直疑問を感じてます。。


宗教における恋愛禁止は「思想・信条の自由」という点で、とても正当だし、むしろ健全です。

親から子へ、恋愛禁止を伝えることも道義的に問題はないです。


今回は、「宗教における恋愛禁止」を深掘りして紹介します。

※僕は家庭連合(旧統一教会)の現役会員です。


宗教における恋愛禁止の真意


「宗教における恋愛禁止」を深掘りすると、

  • ①「性は、人間にとって最も重要で神聖なもの」という価値観があり、

  • ②「人生でたった一人、結婚する相手とだけ性関係をもつべき」という考え方が出てきて、

  • ③「結婚前の純潔や結婚後の貞操」を原則とする規範にいたる。

①→②→③の流れで、恋愛禁止にいたります。


押さえてほしいポイントは、
恋愛禁止を批判する= ①②③をすべて批判・否定するという点です。


つまり、「恋愛禁止は恋愛の自由を侵害している」という批判は「性を大事に扱う生き方とか、やめろ!」といってることになります。

性を大事に扱う生き方は、「欲望に流されない生き方」の典型ですが、そこも否定することになります。

その辺、批判する人たち(メディア)は認識してるんでしょうか?


恋愛禁止は人生にプラス


「性は、人間にとって最も重要で神聖なもの」という価値観は聖書からきています。しかし、宗教上の思い込みではないです。

純潔と貞操を守る生き方が人生の幸福度をあげることについて、別の記事で書きました。



「性」を大事に扱う生き方とは

結婚前まで、
・異性に心を奪われない
・異性に向かう情を、未来の結婚相手のために温めておく

結婚後は、
・配偶者以外の異性に、心を奪われない
・夫婦の愛を生涯深める

という生き方になります。


「性」は人間の欲望の中で、最も厄介です。

人を幸福にする一方で、不幸のどん底にも陥れる「諸刃の剣」です。

そして、管理するのがとても難しい欲望です。

「性」を大事に扱う生き方とは、人間として、とても人間らしい「凛とした生き方」です。

欲望に流されない生き方の最上級に位置すると僕は思ってます。


もし純潔と貞操が当たり前の社会になれば、健全な大人や幸せな家庭も増えて、犯罪や非行やひきこもりなどもだいぶ減ると僕は思います。

家庭連合の理念や教理には、純潔や貞操の重要性を情的かつ論理的に納得させる力があるんですよね。

「それこそ、マインドコントロールだ!」と言われそうですが、家庭連合の理念は心と頭に納得感を与える論理的な道徳律みたいなところがあります(と僕は思っています)。


ちょっと話がずれました。

「性を大事に扱う生き方」は人生の幸福度をあげます!
これは、自信をもって言えますよ!


教育内容としても問題ない


「親から子へ、恋愛禁止に基づく価値観を教える」
もちろん、これは人権侵害じゃないです。

人類歴史は親から子へ、価値観・考え方・習慣などを教えてきた歴史です。

「親から子へ、特定の価値観を教える」という行為を否定するのは、あきらかに共産主義のような偏った「イデオロギーの影響」を受けてます(無自覚も含めて)。

しかも、「性を尊く思う」という価値観は人間としてとても健全です。子どもへ教えることに、まったく問題ないです。

繰り返しますが、「性」を大事に扱う生き方は、欲望に流されない、凛とした生き方です。


子どもへ、性を軽視する価値観よりも
「性を尊く思う価値観」を伝える

これは教育として健全だと思いませんか?


なぜ、恋愛禁止を批判するのか?


余談です。
外野(第三者)が恋愛禁止に口をはさむことに、僕はとても違和感があるんです。

「アイドルの恋愛禁止なら、ツッコミどころはたくさんあるけど、どうして、宗教における恋愛禁止に、あえて口をはさむんだろう・・・」

それで、僕の推測です。


批判する人たちは以下の3つに大きく分類されると考えました。

①表面的批判
→「恋愛禁止=恋愛の自由を侵害」と表面的に考えた

②妬みによる批判
→自分は恋愛禁止なんかできないから、おまえもやるな!

③イデオロギーによる批判
→自由恋愛主義者。道徳・倫理・規範に反対!

厳密な分類じゃなくて、あくまで推測ですよ。3つ以外があれば、教えてください。


繰り返しですが、

  • 恋愛禁止という考え方

  • 親から子へ、恋愛禁止という規範を教える

このどちらにも問題はありません。

もし、問題があるとすれば「教え方」です。


問題があるとすれば、


子どもは思春期になれば、親とは別の人格や考え方が芽生えます。
なのに、親が子どもへ、価値観を一方的に押しつける

押しつける!
押しつける!
押しつける!
(子どもの話は聞かない)

こういう感じであれば、だいぶ問題ありですね。。


そもそも、「恋愛禁止」という価値観を一方的に押しつけるのは逆効果です。


恋愛禁止・純潔と貞操は、欲望を管理するという決して簡単ではない生き方です。

親は「人生を長期的に考えれば、これがあなたにとって幸せな生き方だよ」ってことで伝えます。
でも、純潔と貞操を重視する生き方が思春期の子どもたちに軽々と継承されるはずはないんです。

社会も友達も、恋愛推奨ですから。。


そんな大逆風に逆らって、「純潔と貞操を重視する生き方」を子どもに継承させるためには、親は子どもから、ある程度の「尊敬心」を勝ち取っておく必要があります。

そして、親は子どもの思いや考えをよく聞いてあげるという「配慮」も必要です。


親が子どもに恋愛禁止をただただ押しつけていたのであれば、「親は教え方が上手じゃなかった・・・」という話になるんだと思います。


まとめ


今日の話をざっくり振り返れば、

  • 「宗教における恋愛禁止」は「性」を大事に扱う生き方、欲望に流されない凛とした生き方を意味する。

  • 「性を大事に扱う生き方」を親から子へ伝えることに問題はないが、押しつけるばっかりだと、大いに問題あり。

になります。


恋愛禁止を深掘りすると、

  • ①「性は、人間にとって最も重要で神聖なもの」という価値観があり、

  • ②「人生でたった一人、結婚する相手とだけ性関係をもつべき」という考え方が出てきて、

  • ③「結婚前の純潔や結婚後の貞操」を原則とする規範にいたる。

①→②→③の結果、恋愛禁止という規範にいたっています。

「恋愛禁止を批判 = ①②③をすべて批判」にならざるをえません。


恋愛禁止や純潔・貞操を重視するという価値観の背後には、

人間は動物とは違い
誇り高い
凛とした生き方をすべきだ

という信条があります。


この価値観や規範を、親から子へ伝えることに道義的な問題などはないはずです。


ただ、価値観を子どもに押しつけるばっかりだったら教育の仕方として問題があります。

価値観は普段の生活の中で、生き様をとおして伝えるというのが教育の王道です。
価値観を押しつけても、親から子へ価値観は継承されません。

家庭連合(旧統一教会)は理想がとにかく高い。
僕の子どもはまだ小1と年中なので、価値観の継承はこれからです。
よく注意すべきだなと改めて肝に銘じますm(_ _)m


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