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洗濯物が飛んでいく日

●写真は息子の家庭科の宿題。昼にオムライスをつくってくれた。家で料理をつくるというその宿題は任意のものらしいが、準備から後片付けまで3人分を黙々とつくっていて、これはわたしの遺伝の系列ではないなと思った。いや、わたしもやる気になったらやるんだけども、後片付けまでとなると話は別だ。

●まだもう少し春コートを着る必要がありそうなので、思い切って洗濯した。薄手のコートなので外に干せばすぐに乾くかと思って室内で作業していると、気付くとコートだけがない。確かに風が強い一日だった。上から道路を眺めてみるとそれらしきものが落ちている。慌てて下まで取りに行った。

●息子と二人で留守番している時間に、少し出かけようかとなった。ショッピングモールのゲームセンターにでも行こうとわたしの希望に付き合わせたのだが、肝心の財布を忘れてきてしまった。まあ、iPhoneさえあれば大抵の買い物ができてしまうからそれで忘れたのもあるが、最近はよく財布を別の場所に大事にしまってどこに置いたのかわからなくなるケースが多い。まったく困ったものだ。案の定、帰ったら持っていかなかった別の鞄の中に入っていた。

◎何かものがなくなるとき、わたしから見えなくなったそのコートや財布は、彼らに意識があったらどう考えていただろうと、そのものの気持ちになってしまう。
 コートが飛ばされていったとき、財布はしまわれたとき、どれだけか寂しい気持ちだったのではないかと思う。あるいは財布は長い付き合いだから呆れているか。

●昼間のうちに別の記事をコツコツと書く。何日かに分けて書くことで書ける記事もある。
○あとこれ、書くことについてだが、メモツールなどに下書きで書こうとするとあまり言葉が出ず、キータッチが進まない。これがnoteの下書きに直接書くようにしたらおもしろいように進む。つまり、本番の原稿用紙に直接書いているような感覚。誰かに直接話を聞いてもらっているような感覚だ。

○昔から、どう読まれるかのアウトプットのレイアウトと同期したかたちで書かないとその気にならなかった。舞台も上演を前提としない戯曲は書けなかった。劇場が決まっていて、俳優が決まっているから書ける感じ。紙で出力されるなら文章のどこでページをまたぐのかなども考えてしまう。アウトプットからの逆算を同時に考える感じ。これはわたしの特有の癖なのだろうか。よくわからない。


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