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大連出張2024年05月雑感

2020年の1月に来てから約4年ぶりの中国、大連出張。
機内でもらった入国カードに記入。黄色いカードが青っぽいものに変わっている。表裏、両面をすべて記入。毎回提出していた健康カード的なものはなくなっていた。今回はシングルビザで取ってしまったので、このビザでは一回しか来られない。入国手続き。荷物を受け取り、ロビーへ出ると社員が迎えに来てくれていた。

到着

駐車場へ向かう。駐車場にはガラス張りの小屋のようなものがあり、聞けばそれは地下鉄の入口だという。そういえば工事をずっとしていた。飛行場までつながっていなかった地下鉄がつながっていた。

会社の車に乗る。元々中古車だったが、さらにボロボロになってまだ走っている。助手席から走行メーターを見ると、走行距離26万km。わたしの10万kmのプリウスを持ってきてあげたいくらいだなと思う。

そういえば、久しぶりの出張で荷物の感覚もわからなくなっていた。以前はコンドミニアム型の宿泊施設に泊まっていたので、自分で洗濯できた。2,3泊分の衣服のセットさえ持っていけばよかったので、リュック一つで海外出張とは思えないような身軽さだった。ただそのコンドミニアムはなくなってしまったとのことで、別のホテルをとってもらった。そのホテルには洗濯機はないらしい。とりあえず5日分の着替えを入れて、さらに4年ぶりだからと日本からの現地のスタッフへのお土産も入れて、一番大きなトランクで移動してきた。久しぶりに使った大きな赤いトランクは、過去の預け荷物のシールがあちこちに残っている。もう色あせて読めないものもある。タイヤは回るが、ときどきキューキューと音が鳴る。トランク自体に重量がある。このトランクとの移動そのものが出張の大変さを印象づけてしまうところがあるなと思う。

空港から開発区までの1時間の街並みは大きくは変わらない。ただ車の量は増えている。緑のナンバープレートは電気自動車らしい。ちょこちょこ見かける。テスラも走っているが、BYDというメーカーが国内ではダントツの売上らしい。1時間の中で3台くらいBYDの車が前を走っている。後ろには”Build Your Dreams”とある。いま、日本で同じコピーが購買層に届くだろうか。

BUILD YOUR DREAMS

まずは荷物も多いので、ホテルへ向かう。開発区に入ると特に「帰ってきたな」と感じるから不思議だ。新しいビルも新しいお店も増えているが、大きく街並みは変わらない。

ホテルのフロントは極めて事務的で明日の朝食時間などを知らせてくれるわけでもない。カードキーを渡され、部屋に荷物を置きに行く。毎度思うが日本のビジネスホテルになれていると、こんなに広いのかとおもう。逆に言うと日本のビジネスホテルに泊まる外国人はこんなに狭いのかと思うだろう。部屋には洗濯機もあって、現地スタッフがわたしが洗濯機を要望していると理解してくれたようで、洗濯機付きの部屋に変更してくれていた。

この渡航出来なかった4年の間、2021年にパスポートを更新していた。そのためにわたし自身のことでもやることは多くあった。身分証明書であるパスポートと連動した現地の銀行口座+ネットバンク、携帯電話、その携帯電話と連動したアプリの認証作業など。

まずは携帯電話から。携帯電話がなければ今の中国ではなにもできない。中国移動の支店に行く。そもそもsimカードを紛失しているので、再発行の手続きとパスポート更新の手続きをダブルで行わなければならず、初日も一時間半ほど待ったが、結局、完了しなかった。二日目に窓口で古いパスポートと新しいパスポート両方を出すと、眼鏡をかけた二十代後半の賢そうな男性がシステムを更新してくれた。一時間ほど待って無事完了。

次の銀行口座も携帯からログイン出来なくて気付いたが、やはりパスポートが更新されていることが原因で、再度手続きしなければならなかった。こちらも同様に窓口で古いパスポートと新しいパスポートを二つ出すと、ややぽっちゃりとした柔和な顔の若い男性がシステムを更新してくれた。ここまでできるのに到着から3日。

さらに肝心のQRコード決済アプリ、WeChatPayを紐付けていたがこちらもパスポート登録されていた。これはスマホ単体で完結できたのを覚えている。携帯電話料金の不足を支払おうとしたらパスポートの写真を送ってくれとメッセージ。パスポートの写真を撮り、自身の写真をアップして承認を待つ。2,3日営業日かかると出ているが、1時間もしないで使えるようになった。

4年ぶりの会社の変化の状況を見る。コロナ禍での変化、コロナ後の変化もある。2日目の夜に社員16名と食事会をして日本からのお土産を渡す。

懇親会

会社は良くなっている部分も、思っていたよりも維持されていた部分も、時間が経って何もできなかったために悪くなっている部分もあった。改善出来るポイントも、製造、営業、管理それぞれにあった。そこを整理する。

父が亡くなったことで、こちらの会社でやらなければならないことも大量にあり、それらをうち合わせして整理する。大連スタッフも非常に協力的でやることをひとつずつやっていこうということになった。

何人かの駐在の日本の方とお話を聞くチャンスがあったが、コロナ禍は本当に大変だったようだ。ゼロコロナ政策の間のロックダウンは、日本でさえ「県境」を強く意識させられたが、中国では明確な検問ができていて、それこそすべてスマホアプリで陰性証明を見せなければ外出できない不便な生活だったようで、それを思うと今の環境は4年前と何も変わらない。ニュースで見たあれはなんだったんだろうというくらいのなんでもなさになっている。

ホテルの朝食はバイキング方式で、中華をメインに、日本食コーナーもあり飽きなかった。昼食のお弁当がいつも多くて、とはいえ、残したらもったいない感覚がどうしても出てきてしまい食べ過ぎてしまう。朝食をお粥にしたりして、調整した。

ある日の朝食

夕方はできるだけ街を歩いて見て回る。ショッピングモールや、街裏の商店街。屋台。地下通路では、老若男女関係なくフリーマーケットを出していて、カゴに入れられた子猫などの小動物が目立つ。
3日目までは携帯電話でのQRコード決済ができなかったので、現金で買い物をしていた。初日の水餃子はチェーン店で注文は全部携帯からなので店員さんに現金を渡して、店員さんの携帯から注文してもらった。4日目の夜も吉野屋にいったがスマホ注文しかできない。結局店員さんにいろいろ教わりながらスマホで注文した。中国語はそもそも何とかやっているレベルだったので、それが70%くらいにレベルダウンしている。自信がないから声も小さくなってしまう。帰ってから定期的に「中国語を話せる環境」をつくらないと維持できなそう。

他人のスマホで頼んだ水餃子

そういえば、社内のメンバーとは昔から個々の話し方の癖がわかっているから、そこそこ話を通じる。2日目の懇親会でも、昔話ばかりになって「あの社員旅行で誰々がスマホを山で落としたね」とか、「誰々の子供がもう受験だ」とかそういう話をして、みんなあれから20年歳を取ったんだと実感する。

4月末にオープンした亿合城というショッピングモールは、真っ直ぐな四角い箱型であまりにまっすぐ整理されすぎてるから建築としてはどうなんだろうと思った。リアルなウィンドウショッピングなのに、画面を眺めているようなそんな感覚があり自分にとって不要な場所をスクロールしたくなる。小さな路地裏のような場所がない。まあ、一歩外に出れば路地裏や地下街もあるのでそれでいいのか。

亿合城(外観)
亿合城内を5階から見る
中には回転寿司もあった
その裏には屋台エリア

夜はホテルで過ごした。ホテル内ではあまり日本と変わらない生活をするようにした。

中国滞在期間中はVPNを通さないとYoutubeもTwitterもできないので新たにセットしてきたが、手数が多く使い勝手は良くない。次回はもう少しうまく使えるように工夫してみるか。VPNに繋がらない場合は、せっかくだから現地のSNSを見るが、なんだろうなマイルドさが足りないというか、微妙な表現や語気が強くてえぐみが強く感じてしまう。

日本でネトフリの動画もいくつかダウンロードしたが見なかったな、本も持ってきたのに読めなかった。

やることがなければ、毎日のアウトプットを仕事とは別でこうして少しずつ書きためていた。
そんなこんなで月から金の出張はあっという間に帰国日を迎えた。

ホテル前
駅前のローソンで水を買う
ある日の夕飯の巻餅

今回はわかってはいたけれど、だいぶ手続きに追われた。それでも、ときどき懐かしさを味わったり、忘れていたことや新しさに戸惑いを感じたりして、そういう情報をそのまま一旦受け止める。
手続きはまだまだ続くので、次はダブルのビザの申請にしよう。

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