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フランスパン

 近頃は髪を切るのを千円カットで済ませてしまうけれど、若かった時分には美容室へ行っていた。

 ある時、近所に新しい美容室ができていた。マンション一階のこじんまりとした店で、いつの間にオープンしたものか気付かずにいたのである。
 店に入るとスタッフが三人おり、それぞれがいらっしゃいませと云ってきた。三人とも割と年輩の女性である。自分の他にお客はいなかった。
 店主らしき人が椅子を指して「どうぞ」と云った。
 切り始めて少し経ったところで、スタッフの一人が紅茶を持って来た。
 髪を切りながら茶を出されたのは初めてである。何だか優雅な印象だけれど、短髪をチョキチョキやられながらでは、余程注意しておかなければ毛がパラパラ落ちてきて飲みづらい。
 切り終わってからいただくつもりで手を付けずにいたら、「美味しいお茶だからどうぞ」と言って、さらに煎餅までくれた。
 はぁ、と云って聞き流していたら「このお煎餅も本当に美味しいものだから」と猶々薦めてくる。それで観念して、落ちてくる毛の隙を窺い、ハラハラしながらいただいた。
 味わうどころではないから、美味しいかどうか一向わからなかった。

 髪を切りながら、仕事は何をしているのかと問われた。近くのパスタ屋で副店長をしていると答えたら、後日三人で店に来てくれた。
 店主はガーリックトーストに甚く感心した様子で、どこのパンを使っているのかと訊いてきた。
「外はサクッとしてて、中はふわっとしてるのよ」
「別に、普通のフランスパンですよ」
 メーカーを教えたけれど、パンの銘柄よりも、高温のオーブンで一気に焼くからそうなるのだろうと今書きながら気が付いた。

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