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行きつけ”だった”寿司屋への追悼文。



行きつけの店、というものに、子どもの頃からあこがれていた。


自分自身の力でカネを得る、労働という名の自立。
青二才の姿(ナリ)と財布では太刀打ちできない店を楽しめる、それなりの財力と風格。
そして、人生の寂しさや辛さを馬鹿騒ぎで霧散させず、それすらも酒の肴にしてしまうような懐の深さ。


子どもとしての自分があこがれる、大人としてのカッコよさ。
そのエッセンスを、すべて凝縮した存在。
それが、”行きつけの店”という概念だった。


働きはじめたら、絶対に行きつけの店をつくろう。そう固く決意したのは、たしか中学生のころだったかと思う。
しかし、その決意とは裏腹に、人生という名の時計の針は無為に進んでいく。周りの知己が早々に就職し自立していくなか、俺ひとりだけが、いつまでたっても大学院に取り残されたままだった。


やっとの思いで定職を勝ち取ったのは、奇しくも、俺の三十歳の誕生日だった。

三十歳にして、やっと。

自分自身が思う”大人”の第一歩を踏み越えられたと思った。



― ― ―


初任給が入ったとき、俺は迷わずふたつのアクションをとった。

ひとつは、親元への仕送り。

もうひとつは、近所の寿司屋の暖簾をくぐることだ。


行きつけの店を持ちたい、という中学生以来の夢は、年月を経ても風化することはなかった。いや、むしろ年月を経た分だけ、大人になりきれていないコンプレックスとともに肥大化したと言っていい。


だからこそ、職場近くに借りた新居の、これまた近所に寿司屋があるのを知ったときは、大げさだろうが運命じみたものを感じた。


俺が長年夢見てきた”行きつけの店”というのは、若造がラフな格好で飲み明かせるような安い店じゃない。
こぢんまりとした、それでいて多少は値の張る店。
ひとりで、静かに、ゆたかに。
自分の時間と感情を噛みしめられる店だ。


薄暗いバーだとか、手狭な小料理屋というのもいいだろう。だが、寿司屋のカウンターはそれにもまして魅力的だ。
多少の財力と風格がなければ、ひとりでは座れない席。さらに、酒には弱いが食い道楽の俺の嗜好にも、ぴったりと嵌(はま)る。


十五年越しの夢を叶える場所は、ここしかない。
確信と、多少の緊張をともに、スーツ姿の俺は寿司屋の引き戸を開けた。



― ― ―


店の中は、すでにそれなりの人数で賑わっていた。

ほとんどは四、五十代以上の壮年か、初老。
俺くらいの年かさの、ましてやひとり呑みの客は見当たらなかった。


「いらっしゃい」


カウンターを挟んだ板場の大将が、包丁を操る手を止め出迎える。そのまま、おーい〇〇ちゃん、と女将を呼んだ。

年若い一見客の俺を物珍しそうに見てはいるが、あなどったり邪険にする風ではない。ごく普通に迎え入れてくれる雰囲気だ。
この時点で、良さそうな店だなと感じた。

やってきた女将に案内されるまま、俺はカウンターの奥に腰掛けた。



「何にいたしましょう」

女将に問われ、答えた。


「定食(コース)をひとつ。酒は、瓶ビールを小さいグラスで」

「あら、生とか焼酎じゃなくていいんですか?」

「ええ、量が飲めないもんで。銘柄は、アサヒはありますか」

「ごめんなさい、今はキリンしか置いてないの。それでもいいですか?」

「・・・構いません。キリンの瓶をお願いします」


先にも述べたとおり、俺は酒に弱い。
付き合いの席でこそ多少は飲むが、本来は瓶ビールで一本と少しを嗜む程度だ。それも、ビールはクセのないアサヒが良いと昔から決めている。


一瞬だけ戸惑ったが、やむなく了承した。




やがて、ラガーの赤い瓶と小ぶりの冷えたグラス、それに突き出しのほうれん草のお浸しが運ばれてきた。

グラスを手に取り、手酌でゆっくりとビールを注ぎ込む。
グラスに満たされた黄金色の炭酸を見つめ、おもむろに煽った。



自分の目が、ひとりでに見開かれるのを自覚した。

飲み慣れたアサヒとは違う、冴えた苦味。
しかし、決して不味くはない。いや、むしろ、美味い。
心地の良い深い苦味が、慣れない仕事に疲弊した俺を、爽やかにいたわってくれた。


グラスの半分ほどを空け、充足感をおぼえたまま突き出しのほうれん草に手をつける。

またしても、瞠目した。
やや強めの出汁に浸かったほうれん草が、この上なく美味い。単なる場つなぎの枠を超えて、この一品だけで十分に酒の肴足りうる味だ。



再び、ラガーを煽る。

舌を、喉を、胃の中を、苦味と充足感でいっぱいにする。

溜息をつき、空になったグラスをカウンターに置いた。






やっと、ここまで来れた。



明日の身の上も知れない、食うや食わずの二十代だった。

大学院生活という、世間並みの人生航路からは大きく外れたルートを歩んできた。
打ち棄てられた山奥の廃線のような、不毛さと寂寥感に覆われたルートを歩んできた。

来る日もくる日も、そのルートの踏破か、あるいは脱却を目指して、もがき続けていた。



その結果を、踏破と脱却のどちらで呼べばいいのかは、未だにわからない。
あるいは、その両方なのかもしれない。



しかしどうあれ、俺は今、ひとり寿司屋で飲んでいる。

手に職を得て、自分自身で稼いだカネで、ひとり寿司屋で”飲めて”いる。



高卒、大卒で働きはじめた同期たちが見れば、取るに足りない話かもしれない。

しかし、他ならぬ俺にとっては、これこそが夢のひとつだった。

自分の稼ぎで酒を飲むことで、自分が大人になれたことを、自分自身に証明すること。

この瞬間こそが、中学生以来の、十五年越しの夢が結実した瞬間だった。




もう一度、ラガーをグラスに注ぎ、口に向けて傾ける。

はじける炭酸と苦味とともに、十五年分の記憶がフラッシュバックした。

そして、一瞬で喉元に流れ落ちていった。





飲み干したあと、わずかに、体がふるえた。



― ― ―



鮪、鯛、勘八(カンパチ)、赤貝の造り四種。

若布(ワカメ)、蛸、茹で海老の酢の物。

大将自家製の寄せ豆腐。

海老、南瓜、椎茸、大葉の天ぷら。

大ぶりの寿司四貫と巻物、締めに赤出汁と茶碗蒸し。

これに瓶ビール二本を足し、〆て四千円で釣りがくる勘定。
あくまで定価だ。決してサービス価格などではない。


俺が頼んだ”定食”という名の日替わりコースは、量、味、値段のすべてが常識外れなものだった。



料理をすべて平らげ、瓶ビールは二本目を半分ほど残して、勘定をお願いする。

勘定に立った大将が、話しかけてきた。



「お兄さん、あんまり飲まんね」


当然の反応だと思った。
周りが焼酎を何合も空けて談笑しているなか、俺は瓶ビール一本半で顔を真っ赤にしていたのだから。


「すいません。あまり飲めないもんで、酒でカネを落とせないんですよ」

俺が詫びると、大将は笑った。

「俺も同じよ。量はあまり飲めん」

大将は続ける。

「アテは、美味かったかね」

「美味かったです。最初のお浸しから美味かった。あとは赤貝のお造りと、寄せ豆腐が最高でした」

大将は、満足げに笑った。


「味のわかる兄さんやね。またおいで」


認めてくれたのだと、わかった。


「・・・はい!ごっそさんでした!!」


元気よく引き戸を開け、店を出る。

夜空を見上げ、肩を上げながら一息吸い込み、吐くとともに肩を落とした。





この日、俺は”行きつけの店”を手に入れた。



― ― ―



それから三年は、その店に通ったと思う。

通ったといっても、月に一度、それも給料日に行くか行かないかの頻度だ。
それでも大将は、若造の俺を常連と認め、腕を振るって美味いものを拵えてくれた。

俺はあえて、同僚も友人も誘うことなく、カウンターの隅にひとり座っていた。

よろこびも、かなしみも、美味い料理とともに噛みしめ、苦いビールとともに飲み干してきた。





その”行きつけの店”が、先日、閉店した。


コロナ禍の影響と、大将の高齢による心身の不調。


あまりにも唐突な、あっけない終わり方だった。


閉店を知った瞬間に頭をよぎったのは、一度はにぎりの特上を食っておくべきだったという後悔だった。





ある日の帰宅途中、シャッターの降りた店の前を通ると、ささやかな変化があった。


シャッターに貼られた、閉店の挨拶が書かれた紙。

その紙に、常連客の何人かによるものだろう、寄せ書きが書かれていた。



「安くて、とってもおいしいお店でした。本当にさみしいです」

「御身体の壮健を願います」

「大将、早く良くなってまたゴルフ行こうぜ」





立ち止まって、その寄せ書きを見ていた。


しばらくして、バッグからペンを取り出す。


紙の余白に、ペンを走らせた。





「若造の俺を大人扱いしてくれた、大人にしてくれた店でした。この店で飲んだ瓶ビールと、大将の料理の美味さは一生忘れません。ありがとう。本当にありがとう」





書き終えると、ペンを懐にしまい、歩き出す。


歩きながら、今日はキリンのラガーを買って帰ろうと決めた。


この店でしか飲まなかった、俺には苦味の強いビール。
楽しい酒にはならないだろうが、それでも仕方がないだろう。





追悼の情を示すには、このくらいの苦さがちょうどいい。