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泥とプラチナ

 職安通りの交差点で、ユキオは今日の獲物を決めた。
 顔に龍を彫った半グレが対岸から歩いてくる。肩で風切る仕草は高揚感の表れだ。パンツの右ポケットの膨らみは現ナマを詰めた財布に違いない。
 それをる。
 まずは歩調のテンポを盗む。BPMは112、一秒間に二歩足らずのペースを正確に刻んで接近する。
 次に呼吸。雑踏に耳を澄ませ獲物の呼気を聴き分ける。自信有りげな深めの息吹を寸分違わずなぞり尽くす。
 そして、心。表情と仕草から推測する。
 ナイフじみた眼光とそびやかす肩、威嚇のようで実は違う。自慢ドヤだ。困難なシノギを見事に決めた達成感と、そこから湧き立つ全能感。その二つが所作の端々から匂い立つ。ユキオは内心で唾を吐いた。
 どぶ鼠のくせしやがって、世界の王にでも成ったつもりか。
 ──だが、満更悪くねえ気分だ。
 歩幅。吐息。人相。心境。獲物のすべてを盗り尽くした時、ユキオを取り巻く世界は消える。
 人も、音も、天も地も、すべてがふっつりと消失した闇の中を、獲物と自分だけが滑るように歩み寄る。盗り切った状態でいる限り獲物は此方を認識しない。盗ったモノの一つでも取り零せばその瞬間に気取られる。
 盗ることはることだ。しくじればこちらが殺られる。
 すれ違いざま、右手を獲物のポケットへ。
 すうと引き抜く。
 分厚い革財布を抜いた後も、人と音無き闇は続く。獲物の気配が消えるまで、ユキオは完璧なシンクロを貫き通した。
 現場から30m、獲物とのシンクロを解いたユキオの世界は再び雑踏で満ち溢れた。手にした財布を仕舞おうとして、己が無手であることと、スーツの懐に忍ばせた自前の財布が消えたことに気づく。
 盗/殺られた。
 顔から血の気が一気に失せる。咄嗟に振り返ると、作務衣姿の小柄な老爺が雪駄の鋲をちゃらつかせ歩いていた。手には黒革財布が二つ。
半竹ハンチクがよ──」
 老人の嗄れた呟きがユキオの耳を刺す。

【続く】