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5/100 地方出張と 『センス・オブ・ワンダー』

五つ目の叶ったわたしの今年の小さな夢は、「地方出張に行く」ことでした。普段、ハノイにあるオフィスで仕事をしており、人とは会うものの自然との出会いは少なく。ましてや、ハノイは空気の悪さで知られている街なので、あまり積極的には外に出て「自然と出会」おうとすることは少ないのが現状です。

滞在5ヶ月にしてようやくやってきた地方出張の機会、印象深いものになりました。たったの一泊でしたが、まずは飛行機でメコン地域にあるCan Thoという街へ。飛行場から車で隣の県へ移動した後は、少しミーティングをして夜はとりあえずホテルへ。普段夜に出歩くこともないので、一人でぶらぶら散歩して、なんとなく惹かれた入りやすそうなお店でご飯を食べました。壁のないカジュアルなオープンスペースで、他のお客さんたちのベトナム語が耳に心地よく、なんだか不思議なワクワク感がありました。

竹のテーブルと椅子がかわいい
シーフード春巻きとハーブ、野菜やパイナップルをライスペーパーで包んでニョクマムをつけて食べます

翌早朝に車でメコン川沿いまで移動してからはボートでしばらく進み、小さな中洲を訪ねました。気候変動の影響で土地がどんどん侵食されていて、住んでいる人たちには不安な状況です。800世帯ほど生活しているようですが、日常的には川の水を使っていたりと、衛生状態はあまりよくありません。農業もそれぞれの家庭で行われているだけで小規模です。100年ほど伝統のある織物が知られているようですが、大きな観光資源にはなっていないようです。

メコン川と漁師さん

途中で、とても背の高いすらっとしたたくさんの木に囲まれた場所も通りました。歩いて10分くらいの範囲だったと思いますが、そこだけ突然森に入り込んだようなエリアです。「耳をつんざくような」とはこのことかという、ものすごい大音量のセミの声の大合唱!同僚の一人は「こういう時のためにノイズキャンセリング機能がある!」とAirPodsを取り出したほど。しばらく耳がキーンとおかしくなるくらいのたくましい虫の声が、我々の頭上を覆うのっぽな樹々の緑の内側から降り注いできます。これらの木々は一体いつからここで伸びていて、これらの虫たち(の先祖たち!)は、一体いつからこうしてけたたましく鳴き続けてるんだろう。

再びバイクとボートと車を乗り継いで、ハノイへ戻るためにCan Thoの空港に着くと、なんとフライトが三時間遅れとのこと。仕方ないので、念のため持ってきてはいた本を取り出しました。積ん読の中から、特に理由もなくなんとなくで今回持ってきていた、レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳、新潮文庫)。読み進めるうちに、やっぱり本って、「今読むために待っていてくれたんだ!」というタイミングですっと現れてくれるんだなと思いました。

「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」。わたしがようやく念願の地方出張に来ることができて、メコン川の茶色い厚ぼったい流れや肥沃さを目の当たりにして、虫の声の大音量で耳がキーンとした感覚、夜の街を歩いて感じた生あたたかい空気と漂ってくる食べ物の匂い。こうした「五感」を通じて触れる世界は、いつもよりずっと鮮烈で心に直接響いてくるような気がしました。多分カーソンさんはもっと人間以外の自然世界のことをおっしゃっていたかもしれませんが、空気感や匂いを伴って触れる人々の生活を営む姿は、改めて尊いものだと気づかされる感覚がありました。

『センス・オブ・ワンダー』には、特に子どもたちにこうした体験をさせる重要性が謳われています(もちろん大人にだって大切なのですけれど)。家にいる息子のことを思いながら読まずにはいられませんでした。この文庫版には、後半に錚々たる方々のエッセイ(解説)も載っていて読み応えがあります。自然と触れて、実際に音や匂いや風を感じながら得る経験がどんなに貴重か、「日本の大人たち」、でもセンス・オブ・ワンダーの重要性を知っていて、失わずに生きている方々です。

Can Thoで泊まっていたホテルに、たまたま、日本人の若者グループがいました。男性も女性混ざった二十名ほど。どうしてこんな街にいるのだろうと思って、朝ごはんの時に近くにいた一人に思わず話しかけると、大学のボランティアサークルで、貧しい地域の方々の家を建てる作業を手伝っているとのこと。材料や石なんかを自分たちの身体を使って運んだり準備して、汗をかきながら働くようです。

彼らは、この土地ならではのさまざまな色、音、味、匂い、手触りなんかを体験するのだと思いました。「内向きになっている」「ゲームばかりしている」と言われがちな世代ですが、自ら身体を使って、生まれ育ったのとは違う言葉も通じにくい土地に来て作業をしている若者たちがいて、とても心強い気持ちになりました。

一度はすでに叶った「夢」ではあるものの、地方出張にももっと出たいと改めて思っています。そして息子と一緒に、もっともっと色々なところへ出かけて、色々なことを感じて疑問に思って、その感覚や考えをおしゃべりしたいと思いました。彼はまだ一歳で文章では話さないけれど、たくさん語りかけて、彼には表情や仕草や動作をシェアしてもらって、わたしも自分の中の「センス・オブ・ワンダー」を取り戻したいと思いました。

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