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百円の恋/映画感想

監督:武正晴(タケマサハル)
脚本:足立紳(アダチシン)

監督メモ
愛知県出身、明治大学文学部卒業。
在学中から映画研究会に所属し、映画制作をしていた。
工藤栄一、雀洋一、井筒和幸監督らの助監督として携わっていた。
2007年、『ボーイ・ミーツ・プサン』で映画監督デビュー
2014年、唐沢寿明主演の『イン・ザ・ヒーロー』を監督
同年、安藤サクラ主演の『百円の恋』を監督

2009年 『カフェ・ソウル』を監督
2019年 『全裸監督』を監督



コロナによる外出自粛中に自宅のベッドから観た、家族に寄生する「30代ニート女性」の姿は「こんな人いるんだ」という安心感と共に「いつか私も?」という自分が潜在的予備軍なのではないかという不安感に駆られた。

人がやる気を出すときって、ゆっくり、じわじわと、きっとこうやってスタートする。
主人公が『どうしてボクシング始めたの?』と聞かれて、もたもたとしてしまうあの感じ。とてつもなく共感できた。直感で衝動的で、でも意志はとてつもなく強い、そのままの生活じゃいられないどうしようもない感覚。
その曖昧さが、聞き手に「こんなもんか」とか「その程度か」と、あっけなくレッテルを貼られてしまうかもしれないけど、己の行動で貫くしかないんだよね。

何と言ってもエンディング。
クリープハイプのイントロ「もうすぐこの映画も終わる こんな私のことは忘れてね これから始まる毎日は 映画になんかならなくても 普通の毎日で良いから」

え?そんなこと映画のおわりに言っちゃう?
まだフィクションで画は続いているのに、もう終わるよって言ってるの。
例えるなら、夢の中であまりにもいいことが起きて「あ、これ夢だ」って夢の中の自分が分かっている時みたいな矛盾。

主人公の心の声のようなエンディング曲が、映像とリンクしててきっと彼女の心の声なのだと思った。
1試合終えた主人公が、自分がヒロインではなくなる、ただの30代女性になる、ということを悟ったかのようなエンディング。

クリープハイプの悲痛な叫びと、そんな「この映画が終わりヒロインでも主人公でもなくなる30代女性の姿」はきっと、私の年齢と共に見方が変わると思う。

23歳の私は、一回主人公になったはずの自分に今後待ち受けるのが「普通の毎日」だけでは嫌だし、最後迎えに来る男性は一回ヤリ捨てしてきたオトコじゃなくて、もっと安心感がある人に迎えに来てもらいたい。

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