見出し画像

旅するローマ教皇

 今日見た映画。
 台湾への弾丸一人旅をしようとしてまっぷるを衝動買いするくらいには海外旅行したい気持ちだったのに結局諦めたのもあって、映画フライヤーの「一緒に旅に出ましょう」という誘い文句に抗えなかった。

 アーカイヴ映像を中心に、2013年から2022年までの9年間の教皇の旅の軌跡が一本のドキュメンタリー映画として再編成された90分弱。教皇の背中ではためくマント、教皇を迎える人々の熱狂、教皇の語る言葉。
 貧しい国と豊かな国は、街の様子からはっきり、くっきりと違いがわかる。しかし教皇はそれだけではなく、心の豊かさまでも見透かしているように思う。

 人の悲しみを悲しみ、涙を流すこと。世界中に苦しんでいる人は沢山いて、教皇は人々の無関心、個人主義、差別主義を憂い、友愛を訴える。
 教皇の旅は、単なる旅ではなく、明確に目的を持った厳しい旅だった。他人の悲しみに関心を持ち、寄り添い、対話するための移動だった。

 旅の全ては美しいが、私が「海外旅行したい」と呑気に思っていたのとは全然違う内容だった。当たり前である。何より、教皇が旅する各地域に全然見覚えがなく、私が13歳から22歳までの間に世界で起きていたことや、かつての悲劇の歴史について、恥ずかしいくらい自分が無知であることがわかった。

 短い映画の旅を終え、教皇の言葉のいくつかが頭に残った。

 叶わない夢を見て、前に進むこと。
 人の悲しみに涙すること。

 カインの昔から戦争の論理が好きで、平和の論理に慣れていない人々。
 地球の悲鳴に耳を塞ぎ、進歩していると思い込むこと。

 旅をするから人は考えるのか、考える人が旅をするから何かを見つけるのか、どちらだろうと思った。

この記事が参加している募集

映画感想文