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ソウルに帰る
今日観た映画。
主人公フレディのアイデンティティが揺らぎまくっていて、観ていて非常に苦しい。
フレディは、親切にしてくれた友人を、フランス人の恋人を(この2人も主人公に魅せられているのだけど)、結構容赦なく傷つけ、別れていく。
「帰る場所」は、人生にとって重たくて、捨ててしまいたい煩わしい物であることがある。でも、帰る場所を持たない主人公は、ふとした思いつきで韓国に帰って、しっかり傷つくのに、その後も度々韓国を訪れるし、自分を養子に出した両親に会おうとする。
親切にしてくれたけれど仲違いした友人、ナイトクラブに体を投げ出してみること、あまりにもフランスとは違う田舎の漁村に暮らす父、韓国のキリスト教徒の祖母、自分に「会いたくない」とだけ伝えた母。
傷つくことでフレディは、「帰る場所」を得ようとしていたのかも知れない。
傷はその人の歴史になる。「帰る場所」は、帰らなくてもいい場所だし、帰りたくない場所でもあるんじゃないか。
旅に憧れる感覚で映画を観た。また遠出したくなってきた。
常夏の島にも、じきに秋が訪れ、冷たい北風が冬を運ぶだろう。寂しくて面倒な色々に向き合わないといけない。
いずれ私はこの場所を出ていく。猫とお日様と映画館と自然があるこの街が大好きだけど、あと半年でサヨナラすることは自明だ。
私が住むこの街は主人公フレディにとっての韓国ではないし、私が結局戻ることになる実家のある県も、別にフランスではない。
ラストシーンでフレディは、一人きりで異国の地を旅している。それが羨ましかった。
映画を観る時の私は、一人旅をしたがる時と同じ心を持っているのかも知れない。