十二月四日 快晴

よく晴れた。
昼過ぎ、ようやくラグを畳んで、ウッドデッキの脇にある荷物に被せた。
そのまま、ウッドデッキで4、5分ほど日光浴をした。要するに、ボーッとしていただけである。
今日は妻が忙しそうだったので、昼飯は適当に済ませることにした。
醤油とみりんと砂糖で作ったタレにシーチキンを絡めて、ご飯の上に載せる。
さらにその上からシュレッドチーズを振りかけ、電子レンジでチン。
ダメ押しで、最近買ったバーナーでチーズに焦げ目をつけ、即席ツナチーズ丼とした。
テレビでやっていたトーストのレシピを丼ものに転用しただけだが、これは意外に美味かった。
もっとも、妻が食べたいかどうかは微妙だったので、一人分だけ作って、さっさと食べてしまった。

夜になってから、人に会う予定があったので出かけてきた。
六本木である。普段全く降りることのない駅なので、土地勘が働かない。
目的地は住宅街の中にある、紹介のない客は入れない会員制の店だった。
入り口からして「隠れ家」に相応しい、奥まった場所にある。
用事がなければ店だとも気づかないような、控えめな装飾の門をくぐると、我々は二階の席に通された。
掘り炬燵式の席で、中央の囲炉裏で起こした炭の火で山海の幸が炙られる。
そのまま供されるのかと思いきや、食材は一旦下げられて調理場で食べやすく加工され、再び席に戻ってくる。客は一切の梃子摺りを求められず、漫然と座っているだけでよい。
なるほど会員制の店とはこういうものか、と半ば観光客のような気分で、普段食べつかない食材もどんどん口に運んでいく。美味しい。
雲丹など、普段求めて食べることはないが、ここで食べる雲丹は私の知るそれではなかった。何年ぶりに食べただろうか。
談笑が進む中、囲炉裏の網に鮪のカマが置かれた。
その見事な肉付きを、炭火が音を立てて焼き上げる。時々、脂が落ちて弾けた。見ているだけで楽しい。
カマは長箸で取り上げられて調理場に下げられ、少し時間を置き、やがて皿に盛り付けられた姿で戻ってきた。
身はほぐされている。
ほぐされた姿に、見覚えがあった。
シーチキンだ。
シーチキンは鮪である。
あれ、昼にも食べたぞ。
もちろん、味は違う。当たり前だがこのカマの方が身ぶりも風味も抜群に良い。良いに決まっている。
しかし、味覚の奥の方で、「どうも、シーチキンの親戚です」と自称するカマを感じる。
周りを見た。皆、美味そうに食べている。私も、うまい、と思っている。しかし。
「このカマ、シーチキンみたいでうまいですね」とは、言わずにおいた。
大人には、言っていいことと悪いことがある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?