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鈴木千佳子の日記6 ~水商売は楽しかった~

私がいちばん長く続けられた仕事は水商売、である。
「水商売なんて、今のひとはいわないんじゃないの?」
と夫から横やりを入れられたが、他にいいようがない。キャバ嬢ではなかったし、”お水”ともいわなかったし、ホステスとも称してなかった。
「アンタ今、なにやってんの~?」
「水商売だよー」
で十分通用してきたのだ。今回は、楽しかった、そのころの話をしよう。
世の中はバブルに浮かれ、若者は高級車をステータスとし、ディスコではキレイドコロが舞い、私はひとりの男性にフラれた。その失恋が原因で、けっこう名の知れた会社をたった2年半で辞めてしまったころの話である。


当時私はひとり暮らしをしていたため、仕事をしないということは死活問題である。けれど私はけっこう落ち込み、働こうという気持ちなどまったく持つことができなかった。
幸い友人たちがいたので、食事をおごってもらい、酒をごちそうになり、テニスに誘ってもらい、海にも連れていってもらった。遊ぶ気持ちだけは充実していたようである。


ちょっとまずいかもなぁ、とようやく思い始めたのは、失恋から数えて3か月後のことだ。そのあいだ、私は友人たちにかなりの迷惑をかけていたと思われる。いや、思われる、ではない。みんな、心から迷惑だったに違いない。ほんとうにごめんなさい。


そこで私は日払いの仕事を求めて、トーキョーのシブヤに行った。そこで”お辞儀人”として働こうと思ったのだ。

しかし季節は夏。そのせいか、ユニフォームも妙なニオイがした。
すっかり気持ち悪くなってしまった私は、
「スミマセン、生理でお腹が痛くなっちゃって…」
と担当のひとに告げ、事務所に戻り、私服に着替えて逃げ出した。そのあとの現場の混乱はいかがなものだったろう。ここでも深く、謝罪したい。


たった1日半で地元に帰った私は、さてどうしよう、と本気で考えなくてはならなかった。おごってもらっても、友人にお金を借りるのはホント、ダメ。いや、おごってもらい続けるのもホントにダメ。お辞儀人は短絡的だった。もっと真剣に、現実に向き合わなければ!  と悟った私は、新聞の折り込みに入っていた『高収入! 即日支払い要相談』の広告に惹かれ、地元西口のスナックに、ゴー!!  してしまうのだった。どこまで行ってもチャランポランだ、私という人間は。


しかし面接に行ったその店はオシャレで、ママもとても素敵なやさしいひとだった。働く女性たちもかなり美しくやさしく、今でいう”体験入店”を楽しくこなし、華々しく水商売デビューをしたのだった。元来酒飲みである私にうってつけの職場、ともいえるだろう。


さまざまな世代のお客様がくる。さまざまな職種のお客様がくる。さまざまな性別のお客様がくる。話を聞くのが楽しかった。お酒を飲むのも楽しかった。お化粧をするのも楽しかった。華やかな衣装も楽しんだ。水商売仲間との帰りの一杯が大好きだった。
失恋で苦しんでいた私が生まれ変わり、味わうバブルは最高だった。


スカウトされたり、引き抜かれたりして、私は3度、店を変えたが、当時の水商売仲間とは今も親交がある。ばあばになっていたり、店を経営していたり、教育ママになっていたりとさまざまだが、彼女たちに会うととても刺激になる。今でもとても、美しいからだ。会話も立ち振る舞いも考え方も、すべて。


今月の半ば、仲間のひとりと会う予定がある。彼女は今、受験生の娘さんを相手に、フウフウいっている。ちょっとでも気持ちが楽になるように、昼酒とカラオケを楽しむつもりである。


いちばん長く続いた、と冒頭で書いたが、その期間はたったの6年間だ。
働くの、どんだけきらいなの?  のムキもあろうけれど、でも。
小学1年生が6年生になって、卒業して大きな変化を迎えるように、私にとっても変化変化変化!!  の6年間だった。夫にも出会えたし。


上の最後の行にはハートマークをつけてもよいのだが、私のnoteで、~がんばるひとは美しい~ にもちょろっと書いた。夫との出会いは最悪だった、と。だから ♡ はつけないことにする。


どう最悪だったか、いつか書くかもしれないな、と思う。なにかのついでに書くかもしれないな、と重ねていっておく。興味を持っていただくと幸いである。

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