見出し画像

元スポーツアナの週一コラム    vol.13 続ける難しさ

続ける難しさ

あのヤクルト
村上宗隆選手の
シーズン56号は
感動的だった❗
世界の王さんの
大記録を抜く
日本人最多ホームラン。
本塁打を
打ち続けた勲章、
その年
最終打席
61打席振りの
村神様
らしい
エンディング
だった。

何に於いても
持続するのは
難しい事であるし、
自身に
プレッシャーの
掛かる
継続の行いは
クリア
しにくい為
ほどほどて
諦めてしまうのが
世の常でもある。

やはり続ける
という行動は、
日常生活の中でも
3日と出来ないのが
的を射てる様❕

それに加えて
考えても
いなかったものが
続いて
記録となって
迫って来たら
その時の
意識とは
どんなもの
なんだろう?
と哲学的な
私の呟きに
「僕はそんな経験
 乗り越えて来たな」と
言葉を返してくれた
方が居る。

個人のたわ言に
反応してくれたのは、
元阪急ブレーブス
4番バッター
長池徳士さん。
かつて
3度のホームラン王に
輝いた
球史に残る
偉大な選手、
パリーグを代表する
往年のスラッガーだ❗

打撃フォームが独特な
右バッターで、
左肩にアゴを乗せ
腕を後ろに
引いて
大きくスタンスを取る
スタイル。
これは
インコース打ちを
極めるよう、
青田昇コーチと
作り出した
他の打者には
真似できない
バッティング。

4番の魅力は
ホームランと
言う本人のこだわりと、
名将・西本幸雄監督の
和製長距離砲
育成の
強い思いが
リンクして
花開いた、
正に一つだけの
打ち方。

そんな
長池さんの
考えてもいなかった
続ける
いや続けた
記録のお話し❗
それは
1971年に
マークした、
32試合連続安打の
当時日本記録を
塗り替えた
思い出😆
「最初4番は
 ヒットより
 ホームランだから
 殆んど
 意識してなかった、
 ただ
 20試合を越えると
 報道陣の皆さんが
 急に騒ぎだしたし
 記録のプレッシャーが
 相当かかってきた。
 この中で
 27試合の
 パリーグ記録を
 更新したと思ったら
 実は
 同じ阪急で投手だった
 野口二郎さんの
 31試合の
 数字が有ったと
 訂正されたんだ❗
 これで逆に
 その数字を
 抜いてやろうと
 気合いが入った、
 その流れで
 遂に32試合目に
 到達した時は
 本当に
 ホッとしたよ。
 でも
 達成感有り過ぎたら
 ダメだね😅
 次のゲームは
 気を抜いた訳でも

 無いけど
 抜けてしまったのか❔
 そこで終わったね」と
ふって沸いた
目標達成迄の
記憶を辿り、
気さくに笑った
長池さん❗

この記録の途中には
延長戦の
第5打席で
その日初安打の
場面も
有ったとの事で、
続けるには
運も必要何だと
教えて貰ったとか!

そんな長池さんには、
もっと難しい
続けた記録が
有ると言う。
その記録とは・・・
4打席連続ホームラン❗
「ヒットの記録は
 4打数1安打でも良いが、
 連続ホームランは
 1打席毎しか
 チャンスが無い。
 その記録の中で
 5打席目に
 チャレンジした時は
 南海戦で、
 あの時
 キャッチャーの
 野村克也さんに
 お願いしますと
 声を掛けて
 まともな勝負を
 して貰えるよう
 バッターボックスに
 入ったのを覚えているね~
 結果は
 日本人初の
 メジャーリーガー
 マッシー(村上雅則さん)の 
 シンカーを打って
 ショートゴロだった」
と苦笑い😅

健康気遣いながら
野菜サラダを
召し上がりながら
記録の中の
継続する難しさに
触れて下さったのは
感謝しかない❗

村上選手も
もし首位打者の
可能性が消滅
してしまうので
有れば
最終打席は
交代していたかも
しれない❗
1安打の猶予が
あの56号
だとすれば、
記録の陰には
運が潜んでいる。

やはり
偉大な選手は
運も実力のうち❗
それにしても
スポーツの記録を
続けるには
努力・強い気持ち・運も
必要で
そこに到達するまでの
奥深さは
半端ないものと
感銘の秋である🎵







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?