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元スポーツアナ週一コラム   vol.12 35年前菊の衝撃

35年前菊の衝撃

スポーツの秋
食欲の秋
行楽の秋
様々な
楽しみが多い
季節の到来❗

そして
競馬ファンには
たまらない
G1シリーズ開幕、
中でも
3冠ラスト
菊花賞は
注目度の
高いレース!

2年前
コントレイル
史上3頭目の
無敗で
勝利した
シーンを
実況していたが、
アリストテレスに
負けるか?と
いう中で
掴んだ勝利は
喋っている方も
ハラハラしたな~

それまで
強靭な競馬を
していても
やはり
初の3000㍍の
長丁場は
何が起こるか
分からないし
まだ未完成の
若い3歳馬には
過酷な試練となる。

そんな
厳しいレースを
ビックリする様な
ローテーションで
勝った
馬がいる❗

1987年
第48回菊花賞
を制した
サクラスターオー

何と皐月賞からの
ぶっつけ本番
故障を克服しての
優勝ゴールだった😱❕

その年の1冠目
皐月賞を
鮮やかな
末脚で差し切ると、
繋靭帯炎を発症。
競馬界では
屈腱炎と並んで、
不治の病と
言われている
厄介な故障を
抱えてしまったのである。

それ故
競馬の最高峰である
日本ダービーは
当然パス、
将来を考えても
じっくり治療して
矛先は来年に
向けられると
思われた。

しかしながら
陣営は
秋を諦めず、
すぐ
福島に有る
日本中央競馬会
競走馬総合研究所の
いわき温泉での
治療を選択。
硫黄・ナトリウム・塩化物
を含む
低張性アルカリ性髙温泉
(硫黄泉)の効用が
劇的な回復に
繋がり、
信じられない
スピードで
美浦トレーニングセンターへ
復帰したのであった❗
故障から
僅か5ヶ月、
9月半ばの
出来事である。

それでも
11月8日の
菊花賞に
出走するには
時間が
足りそうにもないし、
何より
故障明の分
調教も
大きな負荷が
掛けられない中
これ迄
走った事の無い
3千㍍の
長丁場は
危険にまみれていた。
 
それでも
スターオーは
驚異の動きを披露し、
不治の病を
発症してから
たった
6ヶ月半で
見事
淀のターフを
踏みしめた
のであった‼️

ただ流石に
ファンも陣営も、
何とか
次走に向けて
無事に
完走してくれたら
良いと
思っていただろう。

しかし
皐月賞で
スターオーの強さを
知っていた
鞍上・東信二騎手は
違っていた❗
レースの途中で
少しでも
違和感が有ったら
止める考えを

持ちながらも
常識破りとなる
勝利のシナリオを
描いていたのである。

東騎手曰く
「レース前のインタビューでは、
 故障無く3千㍍を
 走り切ってくれたら
 良いと話したけど
 本心は違っていた。
 兎に角
 序盤は
 じっくりと我慢して
 2周目の
 3コーナー
 カーブの下りから
 進出始め、
 4コーナーで
 先頭に並べる様なら
 勝てる馬だ❗」

実際レースでは
スムーズに4コーナー
先頭に並び掛け、
ファンの
度肝を抜くように
奇跡の
優勝ゴールイン❕
「最後の直線も
 前が詰まりそうに
 なったけど、
 サニースワローが
 進路を変えてくれて
 理想の運びと
 なりました。
 今でも
 黄色い帽子が
 直線入り口で
 綺麗に3頭並んだ
 シーンは
 印象深いし、
 スターオーには
 頭が下がった」と
 いくつもの
 困難を打破した
 パートナーを
 労った
 東さん。

この走りに対して
関西テレビ
杉本清アナウンサー
「菊の季節にサクラが満開
 サクラ
 サクラ
 サクラスターオーです❗」
 の名文句は
 多くの
 競馬ファンを酔わせ、
 何より
 私も
 競馬実況がしたいと
 仕事のきっかけを
 作って頂いた
 思い出のレース。

そんな栄光のゴールから
再び
スターオーに
悲劇の影が
忍び寄って来る。
この年
年末の有馬記念は
有力馬の
引退や不在で
小粒なメンバー、
それだけに
2冠馬の
参戦を期待する
ファンが多かった。

そんな声を
粋に感じた陣営は
出走を決断、
ここで
まさかの
事態が訪れる。

有馬記念スタート後
ダービー馬
メリーナイスが落馬して
異様なムードに
包まれる中、
中山競馬場
2周目
3・4コーナーで
スターオーに対する
歓声が
悲鳴に変わった!
左前脚が
ガクッと見えた瞬間、
突然失速して
首を左右に
大きく振り始め
競争を中止。

診断は
左前繋靭帯断裂
第一指関節脱臼で
皮膚から
骨が飛び出す程の重症、
左前脚を
地面に着けない
激痛を味わっていた。

馬という生き物は
4本脚で
立っていないと
血液が循環しない為、
着地していない
部分が腐って行き
死に至る動物。
本来なら
治癒の見込めない
故障の場合、
安楽死の
措置が取られる。

しかし
大声援に
応えようとした
スターオーの命を
多くのファンが
見捨てることが
出来ず、
助命嘆願書を提出!
これに
オーナーが
種牡馬としての
価値を認め、
長い闘病生活に
入ったのであった。

そんなスターオーへ
生きる希望を
与えるように
年度代表馬の
吉報が届き、
何とか
回復して欲しいと
ファンも
後押しを繰り返した。

懸命の
治療が行われるも、
遂に
その日が
来てしまった。

1988年
5月12日
サクラスターオーは
自力での
起立が不可能となり、
痛みを忘れ
天国へと走り出した😢

常識では
考えられない
勝利の勲章を
引っ提げて!
恐らく
生後2ヶ月で
死亡した
母サクラスマイルの元へ❗
スターオー
今でも
きっと元気に
走り回ってるだろうな?

今週日曜日
第83回菊花賞が
仁川のターフで
行われる!
天国から
全馬無事をスターオーが
願いつつ
観戦しているはず。

でも
35年前の菊花賞程の
驚きは
無いかもしれない。






 





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