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ハプスブルク家の物語 [くま日誌]57号


ハプスブルク家は、中世ヨーロッパにおいて絶大な影響力を誇っていたと歴史の授業で習いました。

結婚により、多くの国の王様を血縁で固めて中世のヨーロッパを裏から支配していたと言われています。

なぜ、こんなことができたのでしょうか?
ここからは、自分の想像というか妄想の物語です。


西暦は1200年のことです。当時のヨーロッパでは多くの貴族がいましたが、ハプスブルク家も、その中のひとつで、まだ特別な影響力はありませんでした。

その当時は、貴族とのパーティーが盛んに行われており、当時の当主も、そのようなパーティーへ参加していました。

ただ、他の貴族とは違った点は、そのパーティーであった人の名前を必ず覚えていて、パーティーの後で、伝書鳩を使い、御礼の手紙を出すという習慣です。


先日は楽しい時間をありがとうございました。貴殿のお話には全く感服いたしました。

手紙をもらった方は、「あいつは中々見どころのあるヤツじゃのう、次回の乗馬会に誘ってみるか。」などと好感を持ち始めました。

乗馬会などに誘われれば、その当主は必ず参加してきます。そこで新たに紹介いただいた他の貴族の方とも同じように交流が始まりました。

このようなことを通じて、彼は、目には見えない無形資産を広大に広げていったのです。


そのような中、ある事件が起こりました。大雨によるドナウ川の氾濫です。このドナウ川というは、大きな川で複数の国に跨っており、氾濫してしまうと非常に大きな被害をもたらします。

そして定期的に氾濫があり、当時の人々は非常に頭を悩ませていたのです。

そこで、彼は、治水工事を行うことを決心したのです。ドナウ川の治水工事が厄介な点は、複数の国に跨って工事をしないといけないことですし、また人員の確保も、一国で賄える規模ではありません。


彼は、この事業をやりきることを決心し、他の貴族へ、伝書鳩を放ちました。「将来の子供たちのために、治水工事を一緒にやりませんか?」

ここで活きてきたのは彼の日頃のネットワークです。あいつが言うのなら、オレも協力しよう。という貴族がたくさん現れたのです。


この治水工事は、非常に困難を極めたものの、なんとかやり切ることができました。この事件を通して、彼は、それまでの彼とは全くの別人となったのです。

彼は、自分のネットワークを広げ、治水工事という課題を言語化し、名乗りを上げ、周囲を巻き込み課題を解決しました。

彼には、王の風格が漂っています。


その後は、歴史にある通り、皆の推薦により、彼はオーストラリアの王になりました。戦争ではなく、ネットワークでヨーロッパに平和をもたらした初めての王となったのでした。

■まとめ
このハプスブルク家の物語のように、我々も、自己実現のために邁進していきたいものだ。


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