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泥縄式 [くま日誌]172号


思い通りになっていない場合は、「単純に試行回数が不足している場合が多い」と思っています。なにが起こるか分からないけれど、それが起こるまで、ひたすら試す、というマインドが重要ですよね。

とくに何かを試したときに、副産物というと正しい表現かどうか分からないのですが、偶然、目的としたもの以外のモノがヒットすることがあり、こういうところが人生の面白いところなんじゃないかなと思っています。


昨日も友人と3人で六甲山に登ったのですが、こうやって会社以外の人と一緒に登山して、頂上にあるレストランでジンギスカンを食べるのも、元をたどれば、年プロに入ったからなんですよね。

年プロに入ったのも、自分としては鮒谷さんから学ぼうと思ったからなんですが、副産物として、様々な方と知り合うことができました。普通に生活していて、自分がアクセスできないような方ばかりです。冷静に考えると、すごいことだよなぁと思うんですよね。


今日から友人のマーケティング会社を手伝うことになったのですが、それも動いているうちに偶然、成り行きでそうなった感じなんですよね。これも、そんなことを意図していたわけではないので、完全な偶然なんですよね。

「泥縄式」という言葉は、ある時まで自分は、(不勉強ながら)知らなかった言葉なんですが、教えていただき、自分の身体に編み込んだ言葉となりました。

泥縄式の「泥縄(どろなわ)」は、「泥棒を捕らえて縄をなう」の略で、事態に直面してから準備を始めることを言う。「泥縄式」は泥縄的なやり方という意味で、「泥縄式の受験勉強」などと使う。

KAGAMI & Co.


通常は準備不足を戒めるように使うことが多いらしいのですが、ここでは、

「偶然発生した事象に対応していくことで、後からオリジナリティが浮かび上がってくる」

という意味で使用しています。


この「泥縄式」、「試行回数」、「偶然をテコに」、「副産物」というキーワードは同じカテゴリの中に入る言葉ですね。

さらにその先には、「偶然が起こるまで待てる」ようになるとお伺いしたのですが、このようなメカニズムを理解しているからこそ、「待てる」ようになるのだと考えています。


一定の試行回数を一定の時間軸を取ってやっていくと、必ずどこかで

「予期せぬ偶然が発生し、それが自分をそれまで想像もしていなかった世界へ連れ出す」

ということなんですが、自分はまだ「待てる」という境地について、頭では理解しているものの、身体的にはまだまだ理解できてはいない状態ですね。

ただし、このようなメカニズム「自分が今なにをしているのか?」をメタ的に認知することで、重心を低く(不安にならずに)日々を過ごしていけるのではないかと考えています。


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