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戯曲『今日、ここのへに咲く。』2019年再演版

※上演に際しての本編前ガイド
大河ドラマ『八重の桜』でよく名前の聞かれるようになった新島八重。
今から百六十八年前、西暦一八四五年十二月一日、現在の福島県会津若松市、南会津からは車で一時間半ほど離れた会津藩の城下に生まれます。没年は西暦一九三二年、元号にして昭和七年六月十四日のことで、八十七年の長きに渡る人生に幕を下ろしました。
生家の山本家は戦国時代・武田信玄の右腕として活躍した軍師・山本勘助の流れを汲むと言われ、父も兄もお家芸である鉄砲や大砲といった銃器を取り扱う「砲術」の師範として活躍し、また兵法や西洋の技術・学問を会津の地に広めるという役割も果たしています。

山本八重であった頃の彼女は、女の子として裁縫や機織りを習う一方で、幼い頃から薙刀や剣術を学び、男の子の中でも特殊な稽古事であった砲術の手ほどきを受けました。
また男の子の真似ごとが好きだった八重は、近所の少年たちの力比べを真似て、十三歳のときには約六十キロ相当の米俵を肩の高さまで何度も軽々と持ち上げることができたとか。その体格と馬鹿力から「女相撲取り」などと呼ばれる始末。

一度目の結婚で川崎八重と名が変わりますが、結婚生活は短く五年と持たなかったようです。そして離婚から二度目の結婚までもほとんど間がなく、一・二年で新島襄と再婚しています。結婚遍歴を見てみると、ちょっとスキャンダラスな人生のように思えてしまいますね。
二度目の結婚生活では、周囲からまた大変な悪口を言われ続けていました。夫である新島襄の教え子・徳富猪一郎こと、のちの徳富蘇峰は、八重のことを「頭と足は西洋、胴体は日本というまるで鵺のような女性がいる」と学生集会の際に本人を目の前にして痛烈に批判しました。
鵺とは「顔は猿で、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇」という日本に古くから伝わる得体の知れない妖怪のことです。
その頃の八重は着物を着ながら、羽飾りや造花のたくさんついた西洋の帽子を被り、ハイヒールを履いて、洋風とも和風とも言えない、奇抜な格好をしていたため、同志社の学生たちは当時の既婚女性としては常識外れなファッションと、夫を「襄」と呼び捨てにする彼女の物言いを責めて、「八重」を「鵺」と韻を踏んだ言葉遊びでもってあげつらっていました。
八重を「鵺」と酷評した徳富蘇峰には同じく同志社に通った弟がおり、学校を出た後は小説家になっています。名前は徳富健次郎、筆名は徳冨蘆花と言います。彼は八重の兄の娘、八重にとっては姪にあたる山本久栄と恋愛関係にあり婚約もしていましたが、結ばれることなく別れてしまったという経緯がありました。どうも八重からの圧力があったという噂もあり、兄の蘇峰にも増してインテリ兄弟の弟は、八重に対して批判的でした。それは自分の発表した小説の中にも描かれているほどです。
「脂ぎった赤い顔」「目尻の下がったテラテラと光る赤い顔と相撲取りのような体」「ねちねちとした会津弁」などなどなど…。
また、夫の襄は、自宅に勉強のため一人暮らしを送る地方出身の教え子たちを集め、食事やお菓子を一緒に食べながら学んだことについて議論することがしばしばだったようです。
そんなとき八重はせっせとクッキーを焼いたり、有名な菓子店のお菓子を買ってきたりと良き妻として振舞っていた半面、現在の鹿児島県西部にあたる薩摩など会津が敵対していた土地から進学してきた生徒に極端に辛く当ります。
戊辰戦争の折に、鶴ヶ城をひどく攻められたことが八重の中では割り切れず、自らは戦争に加わっていない学生にさえ、優しくできないのです。夫にも「なんて愚かなことを!」とひどく叱られますが、それでも改めることができません。
職場の予算が足りないから、と現在でいう京都府庁に怒鳴りこみに行くようなことも度々だったと言います。八重が烈婦・悪女と呼ばれていた所以です。

ひとは他人にあるレッテルを張ることで「そのひと」を理解したつもりになります。
しかしすべてをひとつのレッテルに収めてしまえるほど単純なものではありません。
誰しも様々な面を持っているのです。
では当時、強く批判を受け続けた八重は本当はどんな人物だったのでしょう?

これは彼女のそんな一面のひとつ
であったかもしれないお話。



  ねぇ 八重さん

  僕らのこの出逢いは 必然にして奇跡だよ



    〈夢の中。悔い改める八重(三十歳頃)〉

八重  主よ、私は罪を冒しました。
    あなたから離れて歩んできた私を
    お赦しください。
    私の罪をお許しください。
    この罪のために、何の罪もない主が鞭打たれ、
    十字架に架けられ苦しめられました。
    しかしこんな私をお救いくださる
    神の御業に感謝します。

    〈会津の戦跡イメージ〉

    …でも、人を殺めた罪は消えない。
    私は、仰がれるような人間などではない。
    大切なふるさとを守れない、
    力ない人間だから。
    三郎のことだって、遠い地で
    一人逝かせてしまった…。
    仇も討ちきれていない。
    朝敵と後ろ指さされた会津は、
    まだ深く傷ついたまま。
    人を傷つける私の罪が雪がれるということは、
    あの怒りをなくすということ。
    大切なものを傷つけられたこの痛みを
    忘れる事なんてできない。
    それは私をなくすことだから。
    絶対に忘れない。
    この罪は、消えなくていい。
    決して。
三郎  起きてください!
八重  誰なの? お願い、もう放っておいて。
    こんな罪深い人間…
三郎  いいえ。…あなたは大丈夫ですよ。
八重  どうしてそんなことが言えるの。
    あなたに私の何がわかるって言うの!
三郎  よく存じ上げておりますから、
    あなたのことなら。
    ねえ、兄上。
覚馬  起きんか八重!! しゃんとせんか!
八重  はい!


    〈一八八九年、戊辰戦争から二十一年後の秋、
     京都。八重ある日の新島邸。
     八重・四三歳、襄・四五歳〉

八重  いった、腰打った……。
襄   八重さん! 
    大きな声がしましたが、どうしましたか?
八重  襄。いえ寝ぼけてベッドから落ちたみたいで…
襄   落ちた⁈ お怪我は⁈ Doctor! 病院!!
八重  平気です。腰をぶつけたくらいで…
襄   いけません、いけません! 
    女性が腰を痛めては大変です!
八重  ああ、もう、大丈夫だったら! 
    襄は私に対して心配が過ぎます! 
襄   だって! 八重さんが大切なんです!
八重  この話はおしまい! でないと当分和食です!
    おひたし! 御御御付! 嫌でしょ⁈
襄   嫌です…。…本当に大丈夫なんですね? 
    痛んだらすぐに仰ってくださいよ?
八重  はいはい。
襄   僕が八重さんを担いで
    Doctorの所にお連れしますから!
八重  襄の方が何度も倒れて
    私に運ばれているではありませんか。
    病人にそんなことさせられません。
    それに襄が潰れてしまいます。
襄   潰れても這ってでも、
    僕が連れて行きたいんです! 
    八重さんが困っているときは
    僕が支えるんです。
    いつも八重さんが
    僕を支えてくださっているようにね。
    僕らはそういう夫婦でしょう?
八重  …わかりました、本当につらくなったら
    必ず先生に診ていただきます。
    心労で襄が倒れてしまう前にね? 
    私の仕事が増えてしまうもの。
    学校のことも忙しいのだから、
    襄こそ栄養をつけて養生してください。
襄   oh,dear…
    藪蛇になる前に退散といたしますか。
    書斎にいますね。
八重  ええ、食事の支度ができたら呼びます。
    さてと、
    滋養のあるものを食べてもらわないと。

    …そういえば夢、何だったかしら。
    ま…いいか。

    〈書斎〉

襄   寄付を下さった方のlistは…あれ、うーん。
    この辺りにおいていた気がするんだけど。
    もっと奥か? 

    ん、なんだろうこれは…こんな戸棚の陰に、
    っしょと。
    …手紙? 川崎八重殿…八重さん宛だ。
    かなり古そうだが
    …随分整然とした字を書く方だな。
    送り人は川崎、尚…之助。
    これは彼女の前の夫…
    でもなんでこんなところに? 
    …八重さんごめんなさい、でも少しだけ…。


尚之助 前略、戊辰の籠城戦の後、
    療養していると聞いた。
    それから息災に過ごしているだろうか。
    盛岡という地も、
    昨今世話になっていた米沢も、
    驚くことにあの会津よりも寒さが厳しい。
    洋学を学ぶため江戸へ来た折も
    西の生まれの私は随分寒さに驚いたものだが、
    初めて会津で迎えた雪降りしきる美しい冬ほど
    驚いたものはなかったことを思い出す。
    今は、来る日も来る日も君が
    日新館からの帰りを迎えてくれた、
    あの心あたたまる会津の冬が恋しいのだ。
    長く険しかった戊辰の戦のことも
    いまだに思い出される。
    だが君の姿ばかりなのだ。

    〈回想 一八六八年、戊辰戦争
     会津 鶴ヶ城内〉

八重  尚之助様!
尚之助 銃を手にした君が
    銃撃戦の前線に飛び込んできた際、
    私は幻を見ているのではないかと思った。
八重  私が鉄砲隊と前に出ます。
    尚之助様は大砲の指揮を。時を稼ぎますから。

    鉄砲隊は私と城壁へ! 
    旧式は精度が低い。よく引きつけなさい!
    …お城は、殿は、私達が守る。
    会津は賊軍などではない!!

     〈回想終わり〉

尚之助 髪を短く切り落とし、
    男にも引けを取らぬ砲術を以てして
    「女武者」「会津の巴御前」と
    世に言わしめた我が妻。
    ある時は私と並び立ち、
    ある時はこの背を預けさせてくれた。

    〈回想 八重・二三歳、尚之助・三二歳〉

八重  弾込め急いで! 後列、前に!
    肩にしっかり当てて。
    弾を無駄にはできませんよ!
    この城壁が落ちれば会津が落ちます、
    絶対に敵を入れてはなりません!
    大砲の部隊の用意が整うまで支えますよ! 

    …尚之助様が、必ず蹴散らしてくださる…
    一発とて私の旦那様に傷はつけさせない!

    〈回想終わり〉

尚之助 今でもこの世に二人とない、そんな君を
    私は誇らしく、尊く思っている。
    だが我ら会津藩士は
    帝に弓引いたとして遠き地に追放された。
    ただ一心に将軍家と
    他ならぬ帝への忠誠によったものだが、
    我らはこの汚名を雪ぐまで
    咎人と呼ばれ続けるだろう。
    だから八重、君の夫として頼みがある。
    最後の頼みだ。

    私と離縁してくれ。
    君が「咎人の妻よ」と謗られることが
    私には何よりもつらい。
    その昔、己の力を世の中に問い、
    武士として名をあげたいがばかりに、
    私は故郷を捨てた。
    君の兄上と江戸で知り合ったのを頼り、
    会津に来たものの、余所者として
    寄る辺なく日々を過ごしていた。
    そんな会津と縁もゆかりもない一浪人の私が、
    君と娶せてもらうことで会津の人間となり、
    会津の侍となった。
    覚馬さんに連れられた君が射場を訪れたのは
    まだ少女の頃だったろうか。

    〈会津の山本家射場 覚馬・三二歳、
     八重・十五歳、尚之助・二四歳〉

覚馬  八重、もしお前が軍師ならば、
    この場合どうする。
    我々会津藩は寡兵だ。
八重  はい。鶴翼の陣は
    兵の数が多い時に威力を発揮する受け身の陣、
    攻勢を掛けるなら魚鱗の陣です。
    戦場で鉄砲をお役に立てるには
    陣の広がりを抑え、
    確実に敵を討つのが上策です!
覚馬  よおし、よく覚えた!
    だが実際の戦はそうはいかん。
    それでもまずは知識の礎をお前の中に築けよ。
    今はいらぬと思っても、
    いつか役立つかもしれぬ日のためにな。
八重  はい、兄上!
尚之助 …覚馬さん、
    少女にこのような兵法が入り用ですか?
覚馬  なんだ、尚之助さんともあろうお人が。俺達が
    大砲や化学を学ぶことが必要であるように、
    女子供だからと言って
    知らなくていいことなど俺にはないと思う。
    女でも己の未来を選べる時代は、
    必ずやってくる!

    〈回想終わり〉

尚之助 やがて程なく、君は我々と何ら遜色なく
    銃を語り、西洋を語り、
    戦を語らうようになる。
    いるべくはずもない場にあって、
    語らうべくはずもない知識を語る。
    面と向かって君に伝えることはなかったが
    「なぜここに女子が?」と、妙な感慨が
    波のように押し寄せることもあった。それは
    無意識に人の中に埋没した常識としてあり、
    それこそが我々の前進を阻んできたものに
    他ならなかった。
    傍らにあって淀みなく銃を語るこの女子は
    一体何なのか、何度も不思議な
    まやかしを見せられている心地がしたものだ。
    あまりにも、君は
    世に先んじた女人であったから。
    そのことを本当の意味で理解するまで、
    随分と時を要した。
    己の至らなさを恥じるばかりだ。

    知識と技術、更には
    それを用うるための知恵を求め、
    学び、活かす人。
    そして八重、君には
    それらを過たずに用うるための
    奇しき魂があった。
    正しき心根を携えていた。
    君と過ごす内、男だ、女だということは
    次第に過ることもなくなった。
    表面的な所属など些末な問題に過ぎぬのだと。
    本質を見極める必然性を
    私に強く刻んでくれたこと
    何よりも感謝している。
    西洋の学問を修め、
    新時代への夢を語る私の口は、
    それまで軽挙な志を空に放っていただろう。
    それが君という存在に出逢い、
    己のつまらぬ常識を壊して共に歩んだ時、
    生きながらにして
    生まれ直す機会をもらったのだと、
    今更ながらに噛み締めている。

    〈回想 八重・十七歳〉

八重  尚之助様、私は会津を守りたいのです。
    人に何と言われようとも、
    ただ、この景色と家族を、
    守れるようになりたいんです。

    〈回想終わり〉

尚之助 君は女子でありながら、故郷と
    そこに住まう大切な者達を守るために、
    周囲の者にどれほど非難されようと
    己の力を揮う。
    戦場に来るなといくら私に言われようが
    引かぬ、頑なで一途な会津女。その妻を、
    そして妻の愛する郷土を守らんと
    するためにこそ、
    私は武士となる決意をしたのだ。
    私達は砲術を介して強く深く結びついていた。
    我々の意識には境目などなくなろうほどに。
    私があの美しき雪国に
    根を下ろすことが叶ったのは、
    君という伴侶を得たからに他ならない。

    〈回想 覚馬・三五歳、尚之助・二九歳、
     八重・十八歳〉

覚馬  尚之助さん、すまん! 一生の頼みだ。
    八重をもらってやってくれ、この通りだ!!
尚之助 覚馬さん、頭を上げてください。
覚馬  尚之助さんも、
    これで会津藩士に取り立ててもらえる!
    嫁き遅れちまっとるが、
    あいつは本当にまっすぐな娘なんだ…
    ああ見えて武家の妻の心得は
    しっかり持っとる。尚之助さんの役にも立つ。
尚之助 私が、彼女を妻に迎えたいんです。 
覚馬  そうか、もらってくれるか!
    これで八重にも銃を諦めさせないでやれる。
    本当に…(頭を下げる)

    〈回想終わり〉

尚之助 覚馬さんからの勧めがあったとはいえ、
    私は私の意志で君を選んだのだ。
    君の聡明さと熱意はいつも私を鼓舞し、
    或いは支えてくれた。
    君と暮らして十年あまり、
    夫婦としての時は三年ほど。
    私と夫婦になったことで、
    伸びやかに学びが叶っていたのであれば、
    得られた自由があったと思ってもらえたのなら
    共に新しき世に踏み出したこと、
    こんなに喜ばしいことはない。
    会津に生を受けし君と、
    出石に生まれ落ちた私と。
    育まれた土地は異なるが
    伸びた枝の先が重なり、
    やがて一本の木となっていく
    連理の木であったのではないかと思うのだ。
    この身ひとつでは生きられぬ、
    欠くことのできぬ半身。どれほどの人間が
    そんな存在にめぐり逢う僥倖に浴せるのか、
    君とのこの出逢いが
    私をいかしたということだけが確かだ。
    それを知っていてほしい。

    どうか八重、来世でもまた私と添うてくれ。
    君と二人、共に学びながら穏やかに生きよう。
    僕らで三郎さんを育てたように、

    〈回想 八重・十八歳、三郎・十六歳、
     尚之助・二七歳〉

八重  三郎! 勝負しますよ! 
    尚之助様は検分をお願いいたします。
三郎  ま、待ってください! 
    ご指導をいただいてからでなければ
    姉上にまったく叶いません!
八重  情けないことを言って! 
    稽古が足りないからですよ! 
    三郎は引金を引く時がよくない!
三郎  申し訳ありません…。
尚之助 八重、その物言いでは三郎殿が困ってしまう。
    三郎殿、狙いをつけるところまではよいが
    引金を引く際に強く強張りすぎているのだ。
    狙いすぎることもよくない。
    力みに繋がるからな。
    八重、見本を。私がその様を説こう。
八重  はい、尚之助様。三郎、よく見ていなさい!
 
    〈回想終わり〉

尚之助 たくさんの教え子らもまた育てながら、
    会津の土地に深く根を張るのだ。
    今生ではもう恐らく
    共に時を重ねることは叶わぬが、
    来世もまた必ず君を見つけてみせる。
    他の女子と見間違いようもない
    世にも珍かな銃を放つ女人。
    それが私の妻である君だ。
    どうか咎人の妻としてではなく、
    山本八重として
    君のその才を余すことなく花開かせてほしい。
    それが勝手ながら私から君への頼みだ。
    …では、くれぐれも体に気を付けるよう。
    次にまみえる時まで暫し。

              草々。川崎八重殿。


    〈書斎〉

襄   …こんな離縁状は、
    アメリカでも聞いたことがないな。時期は…
    十八年前、八重さんたちが上洛した頃か。
    離縁はやむを得ないことだったと
    覚馬さんから聞いたことはあったけれど、
    彼女を想ってだったのか…。

    〈一八七一年、京都に来てほどない頃
     八重・二六歳、覚馬・四三歳〉

八重  …そんな…なぜ…
覚馬  八重。
八重  尚之助様は勝手すぎる! 
    私たちは夫婦なのに! 
    一人で斗南に行かれることだって
    私はよろしいなんて申し上げていない!
覚馬  言ってやるな。尚之助さんはお前を思って…
八重  それが勝手だと言うんです! 
    殿方はいつだってそう!
    母上やみねを誰が支えるのかって…
    それが方便であることなどわかっています! 

    どうして
    私を連れて行ってくれなかったんですか…
    いつだってご自分のことを棚に上げて…
    夫婦になった時「ずっと隣で支えてくれ」って
    仰ったじゃありませんか。

    〈回想終わり〉

襄   んー…、彼とは話が合いそうだけど、
    八重さんと一緒はNo,thank youだな。
    八重さんへの気持ちで
    人に負ける気はさらさらないが、
    勝てそうにもない。…僕もそろそろ、
    八重さんに書かなくちゃいけないなぁ…。
    あ~…
    おつかいはすべて頼みきってしまったしなぁ。
    とは言え、八重さんのいる所では…。
    そうか、覚馬さんの所なら! 

    八重さーん。ちょっと来てくださーい。
八重  (階下から声を張り上げる)何です襄? 
    食事の支度はもう少し掛かりますよ。
    我慢してください。どうしてもというなら
    お味噌汁とか頂き物のお煮しめくらいしか…。
襄   違いますよ!
    お腹は平気です! ちっとも! まったく! 
    だって八重さん、パイの包み焼き
    作ってくださっているでしょう!
八重  もう、違うの?
襄   違います! …というか
    今日は戸棚にクッキーがありますよね? 
    僕ならそれで…あ!
八重  襄…。
襄   しまった…
八重  また生徒さんのために用意しているお菓子を! 
    私が寝ている間に食べましたね!
襄   わー! 許してください! だって
    和食じゃ僕、力が出ないじゃないですか! 
    それに八重さんの作ってくださるものは
    全部おいしすぎて…悔い改めます。
    一枚齧りました、ごめんなさい…
八重  もう、本当に…クッキーはあと一枚だけです。
    卵もお砂糖も、栄養がありますからね。
襄   Yes !
八重  それで? 何か話があったんじゃないの?
襄   はっ、そうです! 
    すみません、おつかいをお願いしたいんです。
    これを覚馬さんの所に。
八重  いいけど、中は何?
襄   ああっ、中を見てはいけません!! 
八重  なぜ?
襄   いや、なぜって…その、重要な書類で!
八重  それなら余計に見ないと。
    兄上にお伝えする時に
    間違いがあっては困ります。
襄   だめですってば!! ええっと…そう! 
    これ開封無効の誓約書が入っているんです! 
    だから中は絶対に見ないでくださいね!
    えっとえっと
    今メモをつけます、待ってください!
八重  変な襄…。
    はっ、もしかしてまた具合が悪いのですか⁈
襄   元気です! 
    もう伝道も募金のお願いにも行けそうなほど
    元気ですから!
八重  そう?
襄   はい、じゃあお気を付けて!
    いってらっしゃい!!
八重  ちょっと襄! 押さないで! 行きますから!
襄   …はーーー…
    何とか納得してもらえた…かなぁ?とりあえず
    中身を覗かれたりはしないで済みそうだ
    …ひとまずこれで
    八重さんを引きとめてもらえるだろ…。

    〈八重の兄・山本覚馬の屋敷 
     八重・四三歳、覚馬・六三歳〉

八重  兄上、失礼します。ご機嫌いかがですか?
覚馬  おう八重。
    久しぶりだな、新島の具合はどうだ?
八重  お蔭様で随分落ち着きました。
    まだ無理はいけないとお医者様は仰せですが、
    いつも通り…もう手紙の虫が起きだしました。
覚馬  そうか、そりゃよかったと言うか何と言うか。
    しかし今回ばかりはちと心配したぜ、
    随分長く寝込んだからなぁ。
    で、今日はどうした。
八重  はい、襄から兄上に
    お手紙の届け物を預かってきました。
覚馬  手紙? 何か言付けはねぇのか?
八重  開封無効の書類だから、
    くれぐれも直接兄上にと。
覚馬  偉く仰々しいなぁ、
    上等の紙なんぞ使いよって。
    理事の俺が出にゃならん問題でも
    同志社で起きたか…なんだこりゃあ。

襄   「覚馬さんへ
     八重さんに改まって
     LoveLetterを書かねばならなくなりました。
     常々、主と八重さんには、
     どれっっほど僕が八重さんを愛しているか。
     と言うのをお伝えしてはいるのですが、
     折角の機会なので。ただ
     本人の前で認めるのはさすがにちょっと…
     ということで暫く山本家の皆様で
     八重さんの足止めをお願いいたします。
     ひとつ、覚馬さんが
     昔の八重さんに関する小噺でも
     してくださるとよろしいかと。
             From Joseph 新島」

八重  兄上?
覚馬  おい八重。新島の奴ぁ、
    お前にはなんか言って来とらんのか。
八重  えっと…あ、
    兄上へのメモの下にもう一枚これが…
    「この件に関して、
    急ぎ重要な人物に手紙を書く必要があります。
    それも秘密裏に進めなければならない
    ミッションなんです! 今日は
    ひとりで集中させていただけると
    ありがたいです」…と。
覚馬  はー…八重、お前に新島から追伸だ。

襄   「Dear八重さん
     おつかい本当にご苦労様でした。
     ありがとうございます。
     この大切な手紙を書き終えたら
     僕がお迎えにあがります。
     それまでどうぞ覚馬さんのお宅で
     僕の看病疲れを
     Refreshしていてくださいね。
                By Joe」

覚馬  だとよ…まあ、
    新島が迎えに来るまでのんびりしていけ。
    じきに母上も戻る。
八重  では、お言葉に甘えて。
    兄上と二人というのも久しぶりですね。
覚馬  ああ、確かに。この頃は
    お前が屋敷に来るのが難しかったからな。
    ちと話すか。
八重  なんだか新鮮です。会津にいた頃は
    そんな時間はありませんでしたから。
    お茶を淹れます。
覚馬  ああ、頼む。
八重  そういえば、みねが亡くなってそろそろ一年…
    早いですね…。
覚馬  ああ…しかし、
    みねは本当によくお前に懐いとったな。
    生まれてすぐに俺は殿に従って
    上洛しとったもんだから
    随分といろいろな姿を見損ねた。

NA  覚馬の主であった会津藩主・松平容保は
    一八六二年、二十七年前に京都守護職を拝命し
    京都に長らく滞在していました。

八重  生まれた時から傍におりましたから。
    兄上が半分私の父上替わりなように。
覚馬  戊辰の戦が終わって
    お前たちをここに呼び寄せたとき、
    あれの母親には
    三行半を突き付けられて離縁して…
    俺のせいで母なし子にしちまったからな。
    余計にみねを自分の子のように
    可愛がってくれたんだろうが、手間を掛けた。
八重  いいえ。義姉上が立派な
    会津っ子に育ててくださっていましたから、
    私は何も。
    みねには我慢ばっかりしてもらって。
    私の方がずっとあの子に救われていました。
    傍にいることくらいしか
    してやれなかったけれど。
    母の心地も味わわせてもらって、
    これ以上はありません。
    そうそう、戦の折、子供達が
   「会津はまだまだ大丈夫だ」と知らしめるために
    凧揚げをしたのですけれど、みねが
    一番くらいに張り切って。
   「前線の叔母上にも見えるように!」
    そう揚げたと…心美しき娘でした。
    …悔しいですね、
    代わってやれたらよかったのに。
覚馬  老いぼれから先に逝くのが筋だってのにな…。

    実の親どもよりお前の方が親らしく
    世話してくれとったからな。
    あの懐きようは致し方もあるまいが。
    俺にはそうそう寄り付かんかった。
八重  それは兄上のなさりようのせいですよ?
覚馬  ああ?
八重  年若い後妻の浮気を、半端に許すから、
    みねが怒るのも当然。
    産みの母と生き別れた理由は
    兄上の浮気でしたのに。
覚馬  むう…。
八重  「ならぬことはならぬ」、
    会津の武家に生まれた娘ですから。みねも。
    私も。許しません。お忘れなく。
覚馬  ああ、わかったわかった。俺が悪かった。
八重  (笑って)昔は兄上が私に
    「ならぬ」と仰っていましたのにね。
    ふふ、おかしい。変な心持ちです。
    …時代が、変わったんですねえ。
覚馬  そうだな…。しっかし、あの男はなんだな。
八重  あの男?
覚馬  新島だ、新島。お前、本当に
    とんでもねえ男と一緒になっちまったなぁ。
八重  ええ? 何です今更…まあ襄はねえ。
    随分と慣れたつもりですが
    まだまだ驚かされてばっかりで。
    それはもういろんな意味で。
覚馬  はは、そんくらいの奴じゃねえと
    お前には物足りなかったろうからな。
    とんでもねぇ者同士、
    似合いの夫婦なんだろうがよ。
八重  ちょっと兄上! 私もとんでもねえんですか⁈
覚馬  何だ、怒るな。本当のことだろうが。
    生まれついての馬鹿力。男勝りで、
    裁縫だの料理だのより喜んで砲術の稽古だ。
八重  (鼻白む)
覚馬  それだけじゃねえ。他人の問題に首
    突っ込んじゃ、当事者差し置いて
    お前だけは許さんところとかなあ。
    そういうのをとんでもねえっていうんだぞ。
    まだ言うか?
八重  だって! 臭いものに蓋をしてはいけません。
    ならぬことはならぬものです!
覚馬  これだ。強情すぎるくらいに言って
    譲らんからな。
八重  ええ、譲りません。 
覚馬  はは、お前は本当に「什の掟」が
    よっく染みついた会津者になりおった。
八重  兄上。
覚馬  しかしな、
八重  え。
覚馬  自分の旦那を呼び捨てにするわ、
    俺の言うことはきかねえわ! それにお前、
    学生になんて呼ばれていたのか知っとるか、
    鵺だぞ、鵺。
    これをとんでもねえ以外のなんだってんだ。
    なあ鵺さんよ、
    俺ぁ、いつから妖怪の兄貴になったんだ?

NA  同志社の学生は
    頭に大きな飾り帽子、足元はブーツに着物
    という奇抜な八重の恰好や、
    男を立てることが時代の名残としてある中、
    夫を呼び捨てにする様子などの非常識さを
    四種類もの動物の体を持った
    得体のしれない妖怪
   「鵺」と呼ばわっていました。

八重  ちょっと、兄上まで仰います?! 
覚馬  いや、言い得て妙だがな。
    さすがは同志社の学生。
    この都で洒落っ気は必要だ
八重  言っておきますが、この妖怪は
    兄上がお作りになられましたからね。
覚馬  はっはっはっ。
    …ただほんの少しだけ、
    お前の頭の中は革新的なだけなのにな。
    なあ八重よ。
八重  (むくれている)はい。
覚馬  お前はこうなったことを後悔しとらんか。
八重  何ですか? 急に。
覚馬  聞いておきたくなってな。
    俺は後悔はしとらん。
    …が、正しかったのかも判らんのだ。
八重  山本覚馬ともあろうお方がそんな気弱なんて
    お珍しい。
覚馬  茶化すな。俺と尚之助さんが
    砲術やら洋学やらを教えとらんかったら、
    お前は戦わずに済んだ…。   
    人に銃口を向けずに済んだろう。
    俺が薦めたとは言え、お前が
    聖書をよく学んどるのはそのせいだろう。
    違うか?
    …お前はあの戦で国や家族、
    他の誰かのため罪に手を染めた。
    本来であればあの時代、女のお前は
    銃を持たずにも生きられた。
    お前に銃のすべてを叩き込んで
    そうなる原因を作った俺を恨んどらんか。
八重  …しおらしい兄上なんて
    初めて拝見いたしましたよ。
覚馬  まあ…お前に「恨んどる」と言われたら
    頭の下げようがないからな。
    しおらしくもなる。
八重  …。

    〈回想 新島家の庭 結婚して間もない頃 
     八重・三一歳、襄・三四歳〉

八重  襄。私はね、人を殺めてきた罪深い女です。
    あなたに相応しくないのではと…
    今でも真剣に思います。
襄   お辛かったですね…話してくださって
    本当にありがとうございます。
    悔い改めましょう、
    罪を罪と認める勇気を持つ八重さんを
    主もお赦しになります。
    僕も一緒に祈りますから。
八重  …。ごめんなさい、できません。
襄   八重さん?
八重  私にはできない…
    だって、だってね、襄、私は
    もう一度会津に戦が起きたら、
    やっぱり銃を持って戦うんです。
    この手で人の命を奪います。
    そのことに一片の迷いもない。
    誰かの親であり、子である、尊い命を
    やっぱり撃ち抜くんです。
    三郎の仇を討たずにはおれないんです…。
襄   八重さん…。
八重  …この罪を悔い改めることを、私はしません。
    あの戦のことも、あの恨みも、
    忘れることはできないんです。
    ふるさとが、そこに生きていた大切な人が
    ある 日急に、なくなるんです。
    もう二度と、あの美しかった姿は還りません。
    罪を認めることはできても
    悔い改めてしまったら、
    私はきっとあのふるさとを忘れてしまいます…
    穏やかに日々を生きてしまいます。
    志半ばで逝かれた方たちを
    今を生きる人間が忘れては…寂しがられます…
    それはね、明日への希望に燃える若い世代に
    負ってもらうことではないと思うんです。
    罪を冒した私が引き受けさせてもらえたらと。

    …許して、襄。
    主に心からお仕えする、あなたの妻として
    相応しくなれない私を。
襄   八重さん、僕はそんなこと。
    そのままのあなたで…いいえ、
    そのままのあなたがいいんですよ?
八重  ハンサムな行いをするから? でも、
    牧師の妻が悔い改められなくてはだめよ。
    ならぬものはならぬものですから。
    私が赦せない。
    他の誰が赦してくれても関係がないの。
襄   八重さんは充分罪と向き合っています。
    悔いています。
    人は過つものなのです。そのことは
    何ら卑下なさることはないのですよ。
八重  ええ。でもね、改めることはできない。
    私ね…襄が時々眩しすぎるの。
    曇りのない心そのままに生きている
    襄が眩しい。
    私は、ずっと心の内に悪い夢が棲んでいて
    まだ目覚められていない気がする。
    会津のことを大切に想っている私と、
    あなたを大切に想っている私の、
    板挟みになってる…。
襄   …じゃあ、ひとつだけ、忘れないでください。
    …あー、いや、やっぱり
    今は忘れてくださっても構わないです。
八重  …何? 言っていることが変よ、襄?
襄   いいから、聞いてください。
    …悩み苦しみ、揺れ動く八重さんが
    僕には尊く、大切なんです。
    正しいことなど、時代時代や
    為政者の勝手で変わるものです。
    移ろってゆく。
    正しさは美しき良き心で以て、
    自分自身で定めなければなりません。
    八重さんは、それができる人です。
    僕の目に狂いはありませんよ。
    もがきながら真っ直ぐにあろうとする
    八重さんが僕は愛おしい。
    これは主の御心というよりも、
    ただただ僕の想いです。
    …八重さん、
    僕と出逢ってくださって、本当にありがとう。
八重  襄は変だわ、本当に。
    こんな私がいいと言うなんて…
    一度お医者様に頭を看ていただく?
襄   ひどいな、八重さん!

   〈回想終わり〉

覚馬  …おい、八重。聞いとるか?
八重  あ、申し訳ありません、少し考え事を…。
覚馬  でもな、俺はお前がいてくれたことに
    感謝してもし足りんくらい感謝しとる。
八重  何です、本当に今日は。
    お熱でもあるんですか? 
    弾でなくて槍でも降ります?
覚馬  喧しい。大人しく聞かんか。…俺はな、
    長く鎖国で国を閉ざしていた
    日本にありながら世界を知った。
    俺はもうこのままではいられんと思った。
    この国の、そして今は遠い
    あの故郷・会津のためにこそ。
    …お前にはこれからも
    さぞ風当たりがきつかろう。
    今も俺は苦労を掛け続けとるしな。
八重  苦労だと思ったことはありませんよ。
    いつだって新しくて、凄くて、面白きものは
    兄上が持ってきてくださったんです。
覚馬  八重。
八重  叱られて悔しかったのはわたしの至らなさ故。
    それよりもっと、
    普通の女子では見ることの叶わなかった、
    たくさんの景色をいただきました。尚之助様と
    肩並べて戦の中に生きることができたのは
    会津広しといえど私だけ。旦那様の背を
    この手で守れる女子になれたこと、
    どれほど誇らしかったか…。
    それに形見の装束を纏って臨んだあの戦、
    三郎とも生きられました。
    三郎は今も私の中にいて、生きているのです。
覚馬  …。
八重  それは兄上のお陰でしかありません。
    私に銃と学問をくださったから。
    感謝しております。
覚馬  …世辞なぞ言っても何も出んぞ。
八重  御謙遜なさっても取り下げません。
覚馬  …ったく。
    …女の身で教育者を志すことは、
    教育を受けるよりも格段に難しい。
    男の俺や新島でさえ、今でも人に謗られる。
    会津に来たばかりの頃の尚之助さんも
    そうだった。出る杭は打たれる。
    俺らは時に、進み過ぎていたからな。
八重  はい。
覚馬  俺は「教育が女子供や身分の低い人間の立場を
    変えられる」と信じてきた。
    その可能性を体現してくれたのは
    いつだってお前だ。

    …もう昔の話で
    お前が覚えとるのかわからんがな、
    三郎を庇った日のこと、覚えとらんか。
八重  しっかり覚えております。だって三郎ったら
    あんまりにも頼りなくて。
    砲術の家の男と生まれたからには…と
    兄上がお連れになりましたのに
    銃一丁、満足に担げませんでしたからね。

    〈回想 会津。鉄砲の稽古場。
     覚馬・二四歳、三郎・十三歳、
     八重・十五歳〉

覚馬  しっかり持って立たんか! 
    担げなければ話にならんぞ!
三郎  んんん〜…兄上、無理です!
覚馬  三郎、お前それでも男か!
八重  兄上!
覚馬  なんだ八重、稽古中だぞ。向こうに行っとれ。
八重  行きません。
三郎  姉上…?
八重  八重が代わりに担ぎます。三郎を守ります。
    会津のお役に立ってみせます。
    鉄砲を教えてください!

    〈回想終わり〉

覚馬  そう言いだしおった。
    そんなお前を見て
    「これはひょっとしたら一端のもんになる」
    そう思った。
    俺が信じてきた教育の可能性を
    お前に見出すことができた。
    俺は嬉しくてな、
    お前の腕力やその負けん気の強さ。
    それが銃を教えろとせがんで来た。
    内心しめたと思ったな。
    女であるお前の将来はろくに考えんで、
    俺は、俺の夢を叶えるために
    お前を使うことを決めたんだ。
    そのために、男のもんだと
    されてきたような学問も多く仕込んだ。
    それも世界の最先端のやつをだ。

    あー…だから言いたいのはな、八重。
    他の誰が知らんでも、俺たち家族は
    皆わかっとるんだ。
八重  え?
覚馬  お前が情の濃い人間だってことをだ。
    特に三郎は絶対だ
八重  ひょろっひょろの三郎がですか?
覚馬  お前が誰より可愛がってた弟はな、
    二〇までしか生きなかったが、
    お前の二人の結婚相手どもより
    兄貴の俺より長く、
    誰よりもお前の傍にいたあいつがな
    言っとったぞ。
八重  一体いつ…。
覚馬  俺が京都に来る直前、出立前にな。
    二人でお前の話をしたことがある。
    「八重が心配だ」と漏らした俺に
    あいつが言っとった。

    〈会津の山本家・夜 
     覚馬・三四歳、三郎・十五歳〉

覚馬  気掛かりは多いが、一番はあれだな。八重だ。
三郎  申し訳ありません…
    私では姉上をお庇いすることができず。
覚馬  いや、それは仕方のねえことだ。
    年若いもんには難しい。
三郎  …姉上は見た目や砲術のために
    誤解されやすい方。
    気にしておられない振りを上手にされますが、
    本当はよそ様からの言われようや
    いろいろなことを気にしておられます。
    情が濃いからこそ。
覚馬  ああ、本当のあいつは誰よりも情濃く、
    賢い、新しい女だ。
    だが、それは目には見えねえ。
三郎  はい…。
    姉上は、父上様と母上様に
    お辛い思いをさせぬため、
    気付かれぬようお一人で耐えておられます。
    …兄上の稽古の厳しさに、
    隠れて泣いていらっしゃることも
    ありますよね?
覚馬  お前に見つかっとるか。
三郎  泣かれる前の姉上は
    顔に不満が出ておられますから。
    口では歯向かわれませんが、余程雄弁です。
    会津の女子は頑固ですからね。
覚馬  俺はあいつを甘やかしてはやれんからな。
    鉄砲を学ぶ以上、身内が庇い立てをすれば
    判官贔屓もままならん。
    あいつは奇異な目で見られ続けるだけでなく、
    謂れのない誹りを受ける。
    俺が会津を離れると
    あいつのかさがなくなっちまう。
    今は俺がいるからいい。
    尚之助さんがいれば技術は心配ないが、
    あいつ自身が矢面に立たされる…。
三郎  (居直り)兄上。私も元服いたしました。
    兄上がお留守の間、今度は私が
    兄上に代わって家を守ります。
覚馬  …お前が?
三郎  心ない言葉で姉上を傷つける者達から
    守ってみせます。
覚馬  できるのか。元服したとはいえ小童のお前に。
三郎  いたします。私も砲術指南・山本家の男です。
    …弱輩にて兄上のようには、できません。
    しかし姉上と共にいたむことはできます。
    進むことも。
覚馬  八重がお前にしてやっていたように、か。
三郎  はい。共に歩み進めてくれる者がいる心強さ。
    私がいただいてきたご恩を
    お返ししていく番です。
    お一人にさせません。決して。
覚馬  知らんうちにも新しい芽は出るか…。
三郎  …兄上?
覚馬  何でもない。
    …楽ではねえぞ、人のいたみを分かつことは。
    軽々しくやっては身を亡ぼす。
    自分も、相手もだ。
三郎  承知。
    私の姉上は会津で一番、いえ
    日の本で一番の女子。
    お強くて、けれど誰よりもお優しい。
    この三郎が必ず! 兄上に
    憂いなく都のお勤めに励んでいただけるよう、
    お留守をしっかりお預かりいたします。
覚馬  …頼むぞ。
三郎  はい!

    〈回想終わり〉

覚馬  …だから安心して京都に
    と言われてな。いつの間に
    こんな小憎たらしい口が利けるようになったか
    と思ったもんだ。
八重  知りませんでした。
    三郎がそんなことを話していたなんて。
覚馬  男同士の秘密だと、約束したからな。お前が
    たまに陰でメソメソしとるのは知っとったが、
    俺は砲術を教え始めてからは
    甘やかしてやれんかった。それを、
    三郎がちゃんとわかっとるなら心配ない…
    そう思って、
    お前のことはあいつに任せて旅立った。
八重  三郎のくせに、生意気です…
覚馬  男の面子ってものもわかってやれ。
    と言ってもお前には無理か。
    …しかし、俺ら兄弟三人は
    全員が戦場に出たが、
    末っ子の三郎が最初に討ち死にするとはな。
    因果というもんはわからん…

NA  鳥羽伏見の戦い。三郎・二〇歳
    江戸に遊学に出ている藩士たちが、
    京都に駆け付けていました。

三郎  くそ! 囲まれた! 長州を御所に入れるな!
    帝を、殿を! お守りせよ!

    〈被弾。致命傷〉

三郎  (呻く)まだ、ここでは、だめだ。
    まだ何ひとつ報いていない! お守りせねば…
    まだ…、まだお役に立てるほどの、
    何も学べていない…
    この戦は会津に及ぶ…兄上と約束した…
    姉上……! お一人にできぬ…俺が御傍に…

    〈回想終わり〉

八重  父上と母上より早くだなんて。
    「ならぬことはならぬ」と言われていたのに、
    本当に…
    だから戊辰の戦で殿をお守りしたり、
    御前で大砲のご説明申し上げる栄誉も
    私に取られてしまうのです。
覚馬  泣くな。武士の娘が…と三郎にも言われるぞ。
八重  …明治になりましたよ? 
    男女は平等に学ばせるべし
    と仰っているのは兄上なのに…。
    三郎だって、武士の子のくせに
    泣き虫でしたから、おあいこです。
覚馬  (笑い合う)…きっと
    あの世で俺らのことを見守ってくれとる。
八重  はい…それは感じます。
    あの戦で三郎の装束を着て
    鉄砲隊の指揮をしたけれど、
    敵の弾なんて当たる気がしませんでした。
    毎日二千発以上もの砲弾が降ったのに。
覚馬  三郎の所からも見えていたに違いねえ。
    …そうさな、お前は言ったら梅だからな。
    世を先駆けていくさだめなんだろうさ。
八重  梅…ですか?
覚馬  ああ、梅の花だ。
    大概に地味だがどこにいようが
    色濃く匂い立って人目を引く。
    儚く散ったりはせん。
    香りも実もあって、実利的だ。
    美しいだけの花になぞ、
    頼むからなってくれるなよ。
    他の花にゃ、絶対に出せんお前だけの色だ。
    はは、お前は華やかさとは掛け離れたところで
    本当に目立つしな。
八重  もう…
覚馬  はは。まあ、これからも
    三郎にお前の咲き様きっちり見せてやれ。
八重  はい…!
覚馬  あいつには恐らく一番の供養だ。あんなに
    山本八重を仰いどった奴はおらんからな…。
    …ああ、そう言えばもう一人、
    お前を仰いどる奴がおったなぁ。
襄   それは僕のことですか?
八重  襄!
覚馬  お前さん、いつから居やがった!?
襄   Just arrived ! 
    ちょうどそこの角で母上様と行き合って
    エスコートして参りました。
覚馬  …ったく、八重、お前の旦那は!
襄   訂正してくださいね、覚馬さん。
    僕は八重さんの旦那ではありません。
    僕らは対等で平等を神の前で誓いあった夫婦。
    「旦那」とは
    一方的に女性や奉公人を養う人のことで、
    僕が一方的に支えている関係ではない。
    と言うことを先日同志社の生徒諸君にも、
    熱く語ってきたところです。
    彼らは本当に優秀ですが、
    いまだに男尊女卑が抜けないところだけは
    本当によろしくない! 
    僕らは同じ志を持って高みを目指す者達。
    そう言う考え方は即刻改めていただかないと。
    そもそも僕ら夫婦に関して言うなら、
    圧倒的に僕が八重さんに世話になり、
    僕が八重さんに迷惑をかけてます! 

    〈八重、笑っている〉

覚馬  …そ、そうか。
襄   はい。あ、八重さん、
    母上が見てほしいものがあると。
    キッチンで待っていると仰っていましたから、
    行って差しあげてください。
    僕の用が済んだら
    一緒にホームへ帰りましょう。
    終わったらお声を掛けますね。
八重  ええ。 母上!
覚馬  …そんで書き終わったのか。
    ら、らぶれたーとやらは。
襄   はい、お陰様で先程。…まあ、
    八重さんに読んでもらうのは
    もう少し先のことになるかと思いますが。
覚馬  しかし、なんだって急に、
    俺宛てにこんなにまで仰々しく仕込んで
    八重を寄越したわけだ? 
    その、八重宛ての、ら、らぶれたー、とやらも
    わざわざ書く気になった? 常から見てる
    こっちがこっ恥ずかしくなるようなセリフ、
    散々吐いとるだろうが。
襄   僕は自分の心と主に正直なだけです。
    こっ恥ずかしさなどありません。
覚馬  へーへー、さよか。
襄   …実は、彼女宛てのラブレターを
    見つけてしまったんです。
    前のご主人、川崎尚之助さんからの。
    離縁の申し込みでしたけど、とんでもない。
    一世一代のプロポーズでしたよ。
    「生まれ変わっても…」だなんて。
覚馬  ああ…あれか。
襄   今の夫である僕に対する
    挑戦としか思えなかったものですから。
覚馬  そりゃあ被害妄想ってもんだろう。
    …いつだったか、泣いて怒って暴れてな。
    俺に文句をたれてきよった。

    〈回想 八重・二六歳〉

八重  尚之助様は勝手です!

    〈回想終わり〉

襄   いやぁ、想像に難くないですねえ。
覚馬  ああ、概ねあの通りだ。
    …離縁と書いちゃいたが、俺にも
    ただの恋文にしか思えん代物だったな。
    ありゃお前さんならムキになるか。
襄   ええ、書かずに
    いられなくなってしまいました。
    僕は短気な男ですからね、
    負けていられないと思って。
    八重さんのこととなったら
    僕はヤキモチも妬きます。覚馬さんにもね。
覚馬  本当に相変わらず八重馬鹿だな…お前さん。
襄   それ褒め言葉です。
    …それに川崎さんからの手紙は、
    亡くなられる少し前に
    書かれたもののようだったので。
    僕も準備をしておかないといけないな
    と思ったんです。
覚馬  新島。
襄   僕に残されている時間は
    もうそんなに多くありませんから。
覚馬  あと、どのくらいと。
襄   いつ何時止まってもおかしくないそうです。
    随分前からDoctorには怒られるのを通り越して
    呆れられていて…
    「よくこれだけ大学設立のために奔走して
    野垂れ死なんもんだ」と。
    いやー、まいっちゃいますよね!
    まだやらなきゃならないことが、
    山ほどあるっていうのに。
覚馬  (言い淀む)
襄   …今、僕が生きていられるのも
    全部、どんなときにも僕の傍で笑って…
    時々、僕を気遣うあまり僕や来客の方たちにも
    「私の襄を働かせないで!」と叱りつけながら
    支え続けていてくれた八重さんのお蔭です。

    …覚馬さん、僕がいなくなったら
    彼女に手紙の場所を伝えてください。
    僕の書斎机、鍵の掛かる引き出しの
    一番奥です。これがその鍵です。
    渡していただく時期は…そうだな、
    僕らのホームの庭の梅が、
    開きはじめる頃がいいと思います。
    一番花を多くつける気が綻ぶ頃に、きっと。
    僕の一番お気に入りの木のことだと、
    八重さんにはわかるはずなので。
覚馬  新島…
襄   その頃の八重さんに
    必要になる気がするんです。
    多分、ですけどね。
    ふふ、梅って八重さんみたいで、
    僕好きなんですよ。別に
    争って無理に一番に咲こうと
    努力している訳でもないのに
    自然とあらゆる花の先駆けになる。
    その姿が、僕に勇気をくれます。
    もう長いことずっと。
    覚馬さん、その頃にきっと。
    どうかよろしくお願いしますね。
    その後の彼女のことも。どうか。
覚馬  …俺の方がお前さんよか
    早くくたばるかも知れん。安請合いはできん。
襄   いやいや、視力に次いで足までお悪いのに、
    もうどれほど生き永らえていらっしゃると
    思ってるんですか?
    会津の人間としての咎を受けて投獄されたり
    なんだり、とんだ目にあってるのに。
    憎まれっ子って本当、世に憚るんですよねー。
覚馬  喧しい。じゃあてめぇもじゃねえか。
襄   ははっ、そうですねぇ。それはいい。
    僕は、訳のわからん宗教に毒され、
    人々を洗脳しようと
    胡散臭い学校まで立ち上げたと、
    あの悪名高き「新島襄」ですからね。
    …さて、そろそろ八重さんと帰ってみます。
覚馬  ん。
襄   八重さーん。こちらはお話が終わりました。
    そろそろ失礼しましょう。
八重  はーい、今行きます! 
    襄、終わったのですか。
襄   はい。お待たせしてすみません。
    おや、八重さん、
    何を素敵なものをお持ちですか?
八重  滋養の付くものをと、野菜をたくさん。
    今夜はシチューにしましょうね。
襄   oh,yes‼ 
    ああ、母上、いつもありがとうございます。
母   お大事にしてくださいね。
襄   はい。また僕らのホームにも、ぜひ! 
    久栄ちゃんにも、またTea Timeに
    遊びに来るようお伝えください。
    聖書の解釈についてお話もしたいので。
八重  ねえ襄。
襄   なんですか八重さん?
八重  重要なミッションは、大丈夫なの?
襄   No,problem ! 
    しっかり覚馬さんにお願いしましたから。
    大丈夫です。
八重  ならよかった。
    最後は随分と盛り上がっていたようですけど
    何の話?

    〈襄、焦る〉

覚馬  ああ、それな。
    新島がこないだ、お前のブーツだのの踵
    を全部切っちまったって話だよ。
    真っ平らな底にしちまったって。
    やっぱりこいつはとんでもねぇ男だな、八重。
襄   わー! 覚馬さんその話、
    やっと落ちついたのに!
八重  落ちついたって…
    その言い方はやっぱり反省してない! もう!
襄   ちょ、八重さ、って、痛っ! 痛いですって! 
    叩かないでください!
    主の教えは「汝の隣人を愛せよ」って聖書に…
    って、痛っ!
覚馬  いやー、新島よ。ありゃねぇぞ。
襄   だってあれは! 八重さんの体重で
    あんなヒールの高いブーツを履いていたら、
    いつか絶対に転んで
    大怪我をするじゃないですか!
    八重さんが怪我をしたら僕が困る! 
    八重さんがいないと僕は何もできない!
八重  襄!
襄   痛ったい! 
    …八重さん、最後の一発は本当に痛いです…。
八重  襄は何にもわかってない!
襄   わかってますよ! 
    だって危ないじゃないですか!
八重  だから、わかってないって言ってるの!
覚馬  はははは。
    それ威張って言うことじゃねぇよな。
    なあ八重。
    やっぱりお前の夫はとんでもねぇぞ。
八重  今、よっっくわかりました兄上。
    こうなったら今夜は和食です、和食!
襄   My godness! 
    八重さん! そんなご無体な!
覚馬  続きは家でやれ。…おい、新島。
襄   ああああ覚馬さん、僕今
    とっても大変なんですけど…
覚馬  …お前さんの頼み。
襄   ! はい。
覚馬  確かに預かった。必ず届けてやる。
    だから安心しな。
襄   ありがとうございます…これでひと安心。
    覚馬さん、感謝します。
覚馬  さあ気ぃ付けて帰れよ。
    八重、そろそろその辺にしてやれ。
襄   八重さん、帰りましょう…?
八重  もう、誤魔化して…。
襄   とんでもない! 
    八重さんにだけはそんなことしませんよ? 
    お手をどうぞ、My dear。
八重  …本当に調子のいい。どうかしら…? 
    兄上、母上、また伺います。
襄   八重さん! ご機嫌直してくださいましたか! 
八重  それは帰り道にじっくり話しましょう。
襄   わー…はは。…では皆さん、失礼します。
覚馬  おう、またな。
    …まったく、面倒なこと引き受けちまった。
    しょうがねえか、俺の弟でもある。
    引き受けてやらぁ。
    手数料にせいぜい長生きしてくれねぇと困る。
    …俺の大事な妹を泣かせてくれんじゃねぇぞ。

    〈帰路。京都の道〉

襄   ねえ、八重さん。
八重  何ですか。
襄   …なんでもありません。
    八重さんがいてくれてよかったって。
八重  なんでもなくないじゃない。
    まだ和食の可能性は消えていませんからね?
襄   ははは…本当に怖いなあ。
    でも、そんな八重さんがいいんです。
    夢に魘されて
    ベッドから落ちてしまうようなね?
八重  私、魘されていた?
襄   はい。だいぶ。
八重  そう…。ごめんなさいね、襄。
襄   八重さん! そんなふうに仰らないで。
    …僕のクッキーのつまみ食いも
    八重さんの問題も、同じですから。ね。
八重  ありがとう…襄。
    やっぱり今夜はシチューにしましょうかね。
襄   八重さん!
八重  まだ決まっていませんよ? 
    帰ったら誰かが支度を手伝ってくれないと?
襄   もちろん、この襄めに!

    〈笑いあって帰る二人〉

NA  一八九〇年一月二十三日、新島襄永眠。
    神奈川大磯で没する。享年四六歳。
    そのおよそ一ヶ月後の新島邸。
    襄の亡き後、臥せりがちな八重は
    四四歳となっていました。(覚馬六二歳)

覚馬  八重。
八重  兄上。
覚馬  そろそろ外に出ちゃどうだ。
    じきにひと月になる。一ヶ月の追悼集会も
    同志社でやってやらなきゃならん。
    そこにお前がいないわけにはいかんだろうが。
    …空しさが埋まらんのは分かるが、
    お前が倒れちゃ仕方がねえぞ。
八重  動けないんです…。
覚馬  ……八重、実はな。新島からの手紙がある。
八重  襄、から。
覚馬  「梅の花が咲く頃に」と頼まれとった。
    二階の書斎机の引き出しだ。鍵を持っていけ。
    …あいつはずっとな、
    お前を残して逝くことばかり心配しとったぞ。
八重  襄…。
覚馬  なあ、八重。
    あいつは、やっぱりとんでもねえな。
八重  え?
覚馬  てめぇが死ぬ頃の見当がついてたのも大概だが
    死んだ後までお前のことなら
    よくわかってやがる。
    本当に…あいつは誰よりもお前を見とったな。
    八重、辛ぇかもしれねぇが手紙を読んでやれ。
    そんでしこたま泣け。泣いてやれ。
    読んで泣くのも、読んで元気になってやるのも
    お前でなきゃあ、あいつには意味がねぇぞ。
八重  …そんなこと、どうして兄上にわかるんです?
覚馬  そりゃあわかるさ。お前たちは
    十四年間夫婦だったかも知れんがな、
    俺たちだって十四年間兄弟だったんだ。
    そのくらいはな、わかんだよ…。
    …さあ、俺はここでお前を待っとる。
    行ってこい。
八重  はい…!
覚馬  これで新島襄から新島八重宛ての恋文が
    やっと届くな…一体どんな手紙なのやら。
    筆まめなあいつから一番最後の、
    そして一番の恋文ってやつのお手並み拝見か。
    …俺の体も奴とどっこいだっただけに
    これでようやっとお役御免。肩の荷が下りた。
    …「確かに」って約束は
    違えずに済んだぜ、新島。

    〈書斎〉

八重  引き出しの、その奥…あった…(深呼吸)
    「新島、八重様…

襄   「新島八重様

    花の便りの聞こえる季節となったでしょうか。
    「また会おう」と言ったでしょう? 
    僕がいなくなって毎日泣いていませんか。
    心配でなりません。
    八重さんは存外泣き虫ですからね。
    でもそれも、僕しか知らない
    八重さんの姿だと思うと少し嬉しくなります。
    僕が机に向かっている今は、
    京都は秋が深まって紅葉の色が鮮やかです。
    きっと八重さんは覚馬さんのお宅に伺う道中で
    見ているんじゃないかと思います。僕が
    落ち着きなくお使いを頼んだ日のことですよ。
    覚えていますか?

    同志社のことをはじめ、いろいろなことは
    周りの人にお願いしてあります。
    お世話になってくださいね。
    僕たちの財産はすべて僕ら二人の子供である
    生徒たちのために使ってください。
    僕からのお願いはそれと、
    もうひとつだけです。

    八重さん、僕はあなたと出逢えて、
    そして確かな絆で結ばれて以来、
    本当に幸せでした。

    鎖国の時代にこの身一つで国を捨て、
    身分を捨て、アメリカを目指しました。
    何一つ持たない外国人の僕に
    アメリカの両親とも呼べる人たちは
    深い愛をもって、
    牧師になるための勉強をさせてくれました。
    感謝してもしきれないと思っています。

    でも、そのとき考えました。
    この不思議な運命を歩ませてもらっている
    僕の使命は、僕のすべてを懸けて
    神の恵んでくださった一粒の麦として地に落ち
    多くの実の先駆けになることだと。
    幕末という暗闇から抜け出そうと
    もがき苦しんでいる祖国を支えるために
    僕は日本に帰って人を育てたいと思いました。
    天が与えてくださったこの命の限り
    人という名の大地に、未来で豊かな社会の
    実りがあることをひたすら祈りながら
    教育という形で麦を蒔こうと。

    そのためにアメリカから帰国し
    キリスト教の学校を作ろうとしていた時
    同時に僕は生涯のPartnerと
    なってくれる女性も探していました。

八重  そして、私をみつけてくれた…

襄   見た目は美しくなくとも、学問があり、
    心の美しいハンサムな行いをする人を。
    そう言うとあなたは、
    見た目は褒めてくれないの⁈ 
    とひどく怒ったけれどね。

八重  …そりゃあ怒ります。いくら私だって…
    わざわざ言うなんて。

襄   僕にはそれで充分、いいや、
    それが一番だったんです。
    教育はこれからの時代を
    女が生きていくための武器!
    と誰憚ることなく言い放つ勇ましさ。
    そして弱い女性や子どもたちのためにこそと
    誰よりも真っ直ぐな心優しさ。
    僕と同じように教育に心砕いてくれた、
    そんなあなたが良かったんですよ。
    僕が病に倒れるたび、
    「襄が仕事をしないように、
    寝ずに見張っています。
    見張っていないと襄は私に隠れて
    書類や手紙を書いたりして仕事をするから」
    と言って聞きませんでしたね。

八重  そうよ、私の襄だもの。勝手は許さない。
    …言うことなんてひとつも聞かない。
    本当、頑固なんだから…。

襄   あなたが倒れてしまったら、
    僕が大困りだからゆっくり眠りなさいって
    何度言い聞かせたかわからない。
    やっぱり僕は、他の誰かではだめだったんだ。
    あなたじゃなきゃ、だめだった。

    アメリカに渡り、キリスト教と出逢って、
    僕は翼を得たと思いました。
    どこまでも自由に、
    空をも飛べると信じていたんです。
    けれど、そんな簡単なことはなかった。
    叩かれ、蔑まれ…
    「我が祖国は何ひとつ変わっていないのか」と
    絶望の淵に立たされた心地がしました。
    日本では革命などなっていない。
    ただ、髷を落とすだけの革命であったのかと…
    時に怒りに苛まれていました。
    八重さん、あなたに逢えるまで。

    そういえばね
    僕にはひとつ決めたことがあるんです。

八重  「戦で人を殺めるという罪を犯した私。
     そして、あなたを心底想っている私。
     どの私も、あなたと結婚した
     新島八重という人間だけど、
     その正体は、襄、あなただけが、
     知っていてくれればいいの」…。

襄   そう言ってもらったとき、
    僕は本当に嬉しかった。
    八重さんの弱さ、醜さ…強さや優しさの陰で
    僕だけが知っている八重さんです。僕は
    聖書を携え、多くの方に主の言葉を伝えては、
    救いをお配りしてきました。けれど
    僕が僕自身として支えることができたのは、
    存外、八重さんだけだったのかも
    と思うんですよ。
    八重さんが僕の重き荷を預かってくれたように
    僕も少しは
    八重さんの荷を分かち合えていたらいい。
    共に空をも駆けたと思っているのは
    僕だけではないと信じています。
    いつか二人で主の前に立って
    裁きを受ける日がきたら、
    僕が八重さんの赦しを請います。
    牧師として、そして夫として。
    もう決めましたから。
    決めたったら決めましたからね。
    そういう訳で安心して
    のんびりとこちらに来てください。
    慌てて駆け込んでくるなど
    「ならぬことはならぬものです」よ。

    〈八重、泣きながら笑ってしまう〉

襄   僕らは子どもたちに
    未来という名の希望を託し、
    我が身のすべてを植え続けてきました。
    それが今確かな実を結びつつある。
    僕ひとりではきっと叶えられなかったよ。
    ねぇ、八重さん。
    僕らのこの出逢いは必然にして奇跡だよ。
    絶対に。
    同じ夢を抱いて同じように追いかけてくれる
    あなたに出逢えて、僕は本当に幸せだった。
    だから、何度でも言うよ。
    僕がいなくなっても狼狽えないで。
    八重さんは大丈夫だ。
    あなたは弱く寄る辺のない女の味方。
    僕の希望の蕾だ。
    今日より明日、明日より明後日と、八重さんは
    置かれた場でその才を一層花開かせる。
    梅は、見た目こそ他の花々に勝りはしない。
    けれど、豊かな実りをもたらし、
    芳しい香りで僕たちを包む。
    百花に先駆け花を咲かせて人々に春を告げる―
    新しい時代を誰よりも力強く先駆けていった、
    八重さんそのものだろ?
    八重に咲く梅が、花びらを重ねて
    鮮やかさを増すように
    あなたはますます人々に愛されていくんだ。
    そうやってあなたと出逢って幸福だった
    すべての人々が八重さんの幸せを願っている。
    だから笑っていてください。
    悪い夢は、僕がすべて
    お預かりしていきますね。
    たくさんの方に愛され続ける八重さんを、
    主と僕に見せていてください。

    …でもね、八重さん。
    あなたは僕がどういう男か、
    よく御存知でしょう? 
    八重さんを想っていることに関しては誰にも、
    兄上の覚馬さんにだって負けたくないんです。
    だから次に出逢ったときも僕と。
    この襄と、生きてくださいね。
    できれば、迷わず僕のところへ。
    それがもうひとつの、
    そして何よりのお願いです。約束ですよ。
 
    さあ、涙を拭いて。
    顔をあげたら前に進んでください。
    背筋を伸ばし、ブーツを高々と鳴らして
    歩き出して。それが勝気で素敵な、
    僕の愛した八重さんらしい。

    そろそろお別れの時がきたようだ、
    Good-bye,My Dear。
    八重さん、また会おう。」

八重  …襄ったら。
    尚之助様のことを気にしていたなんて
    ちっとも知らなかった。
    兄上にもだなんて、変なところで子供で、
    本当に我が儘なんだから…
    …でも私もそんな襄がよかったの。
    私のためにも仕事を休んでくれない、
    頑固な襄でなくっちゃ、
    一緒に、夢を抱いて走ることは、
    できなかった。

    何度も何度も「女にはそんなことはできない」
    「女のくせに」と
    口さがない言葉を浴びせられてきた…。
    そんな私に、同じ景色を見るために、
    たくさんのことを分け合ってくれたのは、
    最初から、今の、
    この私を受け入れてくれたのは、襄だけ。
    襄だけだった。

    〈八重、手紙を握りしめ激しく泣き出す〉

    その襄がいてくれなくちゃ、
    私はもう強くなどなれない…!
    あなたのいない明日が、どんなに恐ろしいか。
    そのことが、どんなに私を苛むか、
    手紙じゃ襄が足りない!

    …私の希望は確かに消えてしまった…
    でも、もう落ち込ませてもくれないのね…
    本当、勝手な襄。
    もうずっと、襄が私を赦してくれていたのね。
    私自身が許せなかった罪さえ、
    全部襄が受け止めて、赦してくれた…

    あなたがみせてくれた空は本当に美しかった…
    あなたを失った時、翼折れて
    もう立ち上がることもできないと思っていた。
    なのに、私の中には襄の言葉が残っている…
    たくさん。…やっぱりずるいわ、襄。
    あなたに信じられたら、託されたら…
    裏切ることなんかできない。
    …あなたの蒔いた麦を守り、育てることが
    私の役目。たくさんの人に
    自由と良き心を手渡すための学問を。
    あなたは大学を作ることは、
    二百年を擁すと言った。
    二百年を耐える学び舎を、育んでみせます。
    襄の夢を、私が繋いでいくから、必ず。
    そして私自身も一粒の麦にならなければね…。

    …また逢えるかしら。
    遅かったら置いて行ってしまいますよ。
    だって私は時代を先駆けてゆくんでしょう? 
    待ってなんか、いませんからね、
    あなたの愛してくれた私らしく、
    歩いて行ってしまうから。

    …また見つけてください。
    ありがとう、襄。またね…。


                      【幕】


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