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つまり縄文人に会いたいよって話。

縄文人にハマってから約半年経った。
かなり飽き性である私の熱は、いまだに縄文時代へと注がれている。
全く飽きない。
飽きないというか、考えれば考えるほど縄文人は不思議で魅力たっぷりなのだ。
会いたい。
縄文人に会いたい。
縄文人なら未来人の私でさえ受け入れてくれそうだ。
「え?未来から来たの?じゃあどうする?トチの実クッキーでも食べる?」って言ってくれそうだ。
いただこう。トチの実クッキーをいただこう。
さあ近所の縄文人たちを呼んでお茶会だ。

「なんで土偶作ってるの?」
「どうやって翡翠に穴開けたの?」

この二つは縄文人に絶対に聞きたいリストに入れておこう。
いつ縄文時代にタイムスリップするか分からないからね。

最近では縄文人が好きすぎて、もはや家族以外にも縄文人の話をし始めている。
美容院に髪の毛を切りに行けば、美容師に。
近所で知り合いに会えば、井戸端会議で。
所構わず、縄文土器がね。縄文信仰がね。と話してしまっている。
もはや嫌われる要素になっているだろうな、私のあだ名が縄文人だろうな、と思っていたのに人間関係は不思議なもので。
抑え切れずに縄文人の話をするこんな私を受け入れてくれる人が出てくるのである。
その人がまた人を呼んで、縄文人の輪ができるのである。
もしかしたら南信州は土器や土偶がわんさか出土するので、縄文人の話を受け入れやすい土地かもしれない。

縄文人の輪は大きな広がりを見せて、アイヌ民族や諏訪地域に残る古文書、はたまたスピリチュアルな方向に伸びていくと、それはそれですごく面白いと思う。
面白いと思うが、このね。
スピリチュアルな方向というのが厄介だ。
なかなか楽しい話もあるが、突然陰謀論などの根拠や証拠のない話が出ると、陰惨とする。
私が知りたいのはロシアやアメリカの陰謀論なんかじゃない。
縄文人がどう生きて、何を信仰していて、宇宙人みたいな土偶は誰がモデルなのか。ということが知りたいのだ。
でも誰もわかんないことなのだ。
だからワクワクするし、楽しくて毎日「縄文人だったらどうするのかなあ?」って考えてしまう。

それで当てはめてみると、
縄文人が陰謀論を唱えている想像が全くつかない。
そんな論議どころか、腰が痛いだのの愚痴さえ読み取れない。
火焔式土器を見れば分かる。
火焔式土器からは土器に対する情熱と、自分今ノリに乗ってますから。という自信しか伝わってこない。

自分。今、ノリに乗ってますから。



だから私も陰謀論や、何が根拠かわからない怖い話には乗っからない。
それがせっかく出来た人との輪から外れることであっても、結局縄文人が私のワクワクの根源だからだ。

だってさ、ニュージーランドの先住民族の族長が言ってたよ。
「死んだら土地から離れることになるんだから、土地同士の争いをしても意味ないんだ。」って。
よ。族長縄文人!好きだよ。

ね、楽しいでしょ?
誰か一緒に縄文人の話しよ。

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