見出し画像

映画「20歳のソウル」初号試写終了

なんと表現して良いか分からない。

それが今の正直な気持ちです。昨日、「20歳のソウル」初号試写が終わりました。東銀座、松竹さんの東劇試写室にて。大義くんの大切な方々をお呼びしました。

お母様の桂子さんはじめ、大義くんのご家族。

市船吹奏楽部、高橋健一先生と、副顧問の先生方。

出演者の方々。

いつも一緒にいてくれる秋山組とクリエイタースタッフの皆様。

ロケでお世話になった古谷式典の木村様

そして、文庫本を世に出してくださった、幻冬舎 見城徹社長。

秋山監督は、前の日からずっと緊張しておられたようですが、私も朝からドキドキが止まらず、支度して家を出るのがやっとでした。

七転八倒しながら、「これだ」と思える本を書きました。

秋山監督の撮った映像を編集段階から見せていただきながら、間違いないと思いました。丁寧にドキュメントのように事実を大切にしながら、それでいて大義くんの心に沿ったドラマを多くの人の共感を呼べるような作品となっていました。音楽も、効果も、色も、すべてが素晴らしかった。

胸を張れる作品なのになぜ、緊張するのか。

はっきりとした言い方をするならば。

それはもちろん、私たちが「当事者」ではないからです。

大義くんを、失ったあの瞬間を、私たちは持っていないのです。

どれだけ取材して話を聞いて追体験しようとしたとしても、ご家族や友人や先生方の痛みを、私たちは経験していない。ご葬儀の映像に映る164人の演奏は、音が泣いていました。音が「ありがとう」と言っていました。音が「悔しい」とも言っていました。音がその場にいたすべての人たちの複雑な想いが、そのまま吹奏楽の音になって響いていました。その音以上に、心に突き刺さるものを、小説でも映画でも作ることなどできないのです。

私たちは、それを充分承知の上で、作品作りに臨みました。ですから、どれだけ誠心誠意やろうとも、心血を注いでも、私たちの表現が受け入れられなければ、すべてが無に帰す。その覚悟はありました。

覚悟はあったはずなのに、やはりいざとなると、足がすくむものなんですね。「受け入れて欲しい」と思うから、緊張するんでしょうね。

昨日の試写会、ご家族、先生方、皆様1時間以上前に会場に来られました。

大義くんの祖父でいらっしゃる忠義さんから前日、「大義と一緒に行きます」とのメッセージをいただいていました。私たちは中央のお席に大義くんの席を用意して、監督は大好きなコーラを差し入れして待ちました。

時間が近づき、ご来場者が集まる中、元恋人の愛来さんもご家族と一緒に来てくださいました。お会いした頃と変わらない、花のように美しい人です。

開映の時。私は原作・脚本として皆様にお礼を述べさせていただきました。

大義くんにもちゃんとお礼を言おうと思いましたが、その瞬間、「俺はいいよ~」っていう声が聞こえたような気がして思わず泣けました。大義くんはそういう時、必ず照れてかっこつけるんだよなあ、とまるで自分の弟を想うように思いました。

2時間15分。大義くんの人生がスクリーンいっぱいに広がりました。

何度も見た映像でしたが、まったく違う感慨がこみ上げました。まるで3Dのように立体感を伴って私に迫ってきました。会場が涙に包まれていました。と同時に、とても温かでした。

17年の11月に、中野の舞台で「JASMINE~神様からのおくりもの~」を上映した時には、全体の空気が水色に見えました。涙の色、魂の色。大義くんが纏っていたヨサコイの色、そして青空の色。(この舞台で大義くんの役を演じてくださった小日向星一さんは、今、最も期待される若手俳優の一人として躍進を続けていらっしゃいます。)

しかし、昨日の試写会の終わりの空気は、サーモンがかったピンク色でした。桜の色のような、人の肌の色のような、炎のようなオレンジ色。とても静かで、温かで、懐かしい空気でした。

秋山監督が挨拶をされました。

普段、監督は話し出したら長いのですが、本当に珍しく言葉少なでした。感無量、といった言葉がぴったりの、今までに見たことがないような表情をされていました。

高橋先生とは、ほとんど言葉を交わさずにお別れしました。お互いに言葉にならない、というのが正直なところでした。

私にとって高橋先生は、恩師でもあります。いつの間にか私を一人の生徒のように接してくださり、導いてくださいました。大切なことを教えてくださいました。最初に取材に訪れた私を「自分に戦いを挑んでいる」と見抜いてくださった先生です。私には、大きすぎる存在です。何か、言葉を発するよりも、ただ空気感だけを共有して、その場は別れました。天野先生はじめ、お世話になった先生方にも、お礼以上の言葉は、言葉になりませんでした。

お母様から桜の花のバルーン、愛来ちゃんからピンク色のお花をいただきました。お花が優しくて、また泣いてしまいました。

「中井さんがいたから」

そう愛来さんが言って下さました。辛かったね、と思います。大義くんのことが大好きだった愛来さん。辛くて辛くて何度泣いたか分からないよね。大義くんが亡くなった後、報道ステーションで取り上げられて、小説になって、その間、いろんなことがあったよね。それでも堂々といつも世の中に大義くんのことを教えたいと頑張ってくれた。

「大義のことだったら、私、いくらでも話せます。まだまだ聞いてほしいことがあるんです。もし中井さんが現れなかったら、私が本にしようと思っていました。だから中井さんに託します。大義のこと、必ず本にしてください」

出会った最初の日に泣きながら愛来ちゃんが言ってくれた言葉、忘れたことはありません。その言葉がここまで私を引っ張ってくれました。ありがとう。そして、たくさんたくさん、幸せになろう。

お母様の桂子さん。

「神尾さんが何度も大義に見えました」

その一言で、映画関係者すべてが救われた思いです。言葉にはできない、いろんな想いがあることでしょう。少しずつ、少しずつお話できたらと願っています。私を家族の1人のように、温かく接してくださってありがとうございます。変わらぬ笑顔を、昨日も見せてくださって、ありがとうございます。

妹の千鶴ちゃんが、大義くんのアカウントからツイートしてくれました。

「人生は素晴らしい」

私は脚本家ですが、これ以上の台詞は書けません。ありがとう、千鶴さん。今度、一緒に市船に行かせてくださいね。


幻冬舎の見城徹社長が、惜しみない賛辞の言葉を贈ってくださいました。映画を何千本も御覧になっていらっしゃる社長からの、ずっしりとしたお言葉、しっかり胸に刻みました。ありがとうございます。


もう、これ以上書くと、また泣いてしまいそうです。

大義くん、3月19日に、誕生日に、また挨拶に行くね。

愛をこめて。


2022年3月7日 中井由梨子

画像1

大義くんのお母さまからのバルーン。桜です。「20歳のソウル」と書かれています。

画像2

愛来ちゃんからのお花。私のスピリチュアルスポットに飾っています。


見出しの写真は、愛する秋山組です。いつも支えてくれて、ありがとう。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?