サブスク時代に見るドラマより(001) 1977年放映TBSドラマ「岸辺のアルバム」
ドラマの金字塔と生誕祭は崩壊から
1977年放映TBSドラマ「岸辺のアルバム」
山田太一という巨匠の背負う戦後より
日本社会の家族とドラマを少し長いスパンで考えて行きたい。日本社会全域の家族はどう描かれてきたのだろうか。都市家族を中心に周辺を見出す作業を少しして行こう。 (*当然ネタバレなので了承の上、お読みください)
山田太一の代表作1977年放映のTBSドラマ「岸辺のアルバム」が描き出したものは、崩壊家族というホームドラマの革命であった。現在でも名作ドラマとしてサブスク時代の荒波の中でも日本の名作ドラマコンテンツとして消費に耐えている。増水した多摩川の氾濫による建売住宅の家屋倒壊と父と母、子ども2人の四人家族の崩壊を重ねた物語である。
表層的には河川の防水堤崩壊のビジュアルインパクトが強烈で家が瞬間的に傾き流されて倒壊する。毎回繰り返されるオープニングテーマが刺激的だが、それを敢えて除くことをしてみる。すると家族単位やメンバーは変化し流動性がある事実に気付かされるはずだ。加齢とともに変化するのが家族の実像でもある。
家族は子どもの自立により、別の家族が創造される。
その過渡期の混迷物語だと気付けるはずだ。
当初は八千草薫と竹脇無我の熟年不倫物語の偽装に惑わされ没入感を漂わせる。国広の熱演の空回りが大人の事情と青年の直向きさに純粋さ見る。
次第に物語の要素としては企業業績の低迷からの不協和音、受験戦争に敗れ浪人生となったり、自らの大胆さから始まる性犯罪の被害者となり堕胎をするなど、コンテンツとしての事件が多産され、崩壊を描くことになる。
物語の下敷きにされたのは多摩川水害と言われる。1974年に多摩川流域で発生した水害で19棟の家屋が崩壊・流出した。
ホームドラマを破壊する過激な行為が、自然災害なのか、現代の驕りとしての治水事業の失敗なのかその表層性では噛み足りないであろう。
そこで外圧としての建築解体に憑依させているが、そもそも内部は腐り切っていて既に崩壊していたんだと、短絡視することには強烈な違和感を覚える。
私は家族の成長物語という説を取る。家族は分裂し、新しい家族物語の萌芽と捉えることが好ましい。全て水に流してしまい、新しい単位が誕生する。
長男の国広はモスバーガーの店員である風吹と家庭を持ち、長女の中田は海外留学をして外国人の妻となる。杉浦、八千草の老夫婦は孫の誕生を望む。その先にあるのは凡庸な日常性なのである。
そしてアルバムに言及して終わりたい。
家族の思い出を記録した写真集がテーマとして浮上するのは、記憶は薄れて変容するが写真の記録性は真相を描写していると期待するからだ。その記録集は本来、いいとこ取りの捏造記憶装置であり、虚構の物語を描いる。しかし、当人達はそこにあるのは時間軸の推移記録だと大いに勘違いするのだ。
トリミングされ、捏造され、コラージュ集は真実のごく一部を偽装した家族像を描き出している。
家族という装置は自然体のブラックボックスなのである。
第1回了
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