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マイノリティかもしれない思いが涙に溢れて、すずめの戸締まりを見終えた

珍しく情報を一切入れずに映画を観た。どうやら扉や鍵しめをする話、ぐらいの情報だけで済んだ。

もし同じように、まさかこんな文章を前にするまで何も知らないまま本作を見るか迷ってる人がいるなら、ボクがすべき注意事項はただ一つ。

あなたは被災経験がありますか?




今作は恋愛ものとしての明るさを存分に込めながら笑える部分も意欲的に入れているようで、そっちに注視できる人が多くいるだろう。
そしてもっと大部分の震災パートについて考察をする人も同じくらいいる。

観客全体の二割くらいかもしれない。
ボクのようにしんどさをしんどいまま食らい、どこかこれが昇華され美化されうる対象になってしまうような僻みを覚えた人は。もっと少ないといいんだけど。

94年兵庫で生まれたボクには、翌95年1月17日に阪神淡路大震災という超大型の同級生がいた。
とはいえ兵庫県は広く、ボクの地元の播磨地方では生活に打撃を与えるほどではなく震度5強ほどだったと聞く。

それでも地震の世代と呼ばれることになる。
震災教育や地震の歌「しあわせ運べるように」は、どの年代よりもあてがわれたのではないだろうか。

だから16年下の世代の東北で生まれた見ず知らずの方々の気持ちが多分おそらく、少しわかる。

だから君たちがこの映画を観ながら感想を求められるのもわかるし、辛い思いをぶり返した人もおそらくいるだろう。

ボクも兵庫を離れて10年経つし、神戸は全然地元じゃない。同じ学年って程度だ。

でも作中、神戸の街にヒビが入りかけたシーンは本当に胸が苦しくなった。自分でもおかしく思うくらいその場面が響いた。

多分あれが、ゴジラに踏み潰される名もなき街の風景程度にしか、多くの人には見えないんだろう。

それが経験の差だ。

ボクらは象徴にされる。

震災下でみんなを勇気づけるために地元の音楽の先生が作った歌『しあわせ運べるように』を兵庫の学童生徒は今でも歌っているだろう。
生まれる前の知ったこっちゃない出来事なのに、何か戒めや象徴のようにして。大人のためのような姿をさせられるような。

迷惑に思う。本当は。

0歳の時感じたらしいたった一度の大きな揺れよりも、そこから何年もかけて人によって伝え聞いた災いは、こうも心身に刻まれることを周りの大人達は知らない。責任も取らない。ただひたすら悲しいできごとを引き継がせる。

この映画を見た現地生まれの11歳の人たちに言いたいのは、自分のために生きてほしいということ。

地元や誰かや、僕らの要らない業のような運命はそっちのけで。
すずめみたいに初恋を駆け回るぐらいのことを平気でやっちゃえばいい。


「生きることなんて運だから」
その言葉は被災した人にだけ伝わるよう、たった一言すずめの台詞になってたと思う。すずめは4歳のときで母も失ったから、より被災者として鮮明な記憶もあっただろうけど。


『明日』や『朝』は必ず来る、みたいな優しい言葉より、ボクはそっちの方がよっぽど素の言葉で、救いあるメッセージだと受け取った。
だからすずめは好奇心旺盛で事件に首を突っ込みたがった、っていう筋は通っているんだ。命の軽さと儚さをわかっているから。


このうっとおしい気持ちの澱みは、それでも心なしか悪い気はしない、とボクはエンドロールで泣いていた。兵庫を思ったというより、誰か同じような涙を流している人と一緒になれる気がして、より寄って肩を抱くような気分だった。

その優しさが備わっていると思えば、少しは意味のある28年だったかもしれない。


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