失敗が許されなかった事
こんばんは、お久しぶりです。八咫鴉です。
先日Twitter上でした「失敗」についてのお話を今回は綴ろうと思います。
それは八咫鴉の過去から現在まで繋がってきたもので更に鬱になってから以降年数が経つにつれて苦しみが増大し病状が悪化している根源の1つだからです。少しずつゆっくり綴るのと読みながら自分の体験を思い出し気分が悪くなる人も出てくると思うのでフラッシュバックや予期不安等に注意して読んで下さいね。
また適当な画像が無かった為今回はとりあえずで常にあちこちに置いてある剃刀を写真に使わせて貰いました。これ自体フラバする方は記事を読まないか画像を見ない様にして下さいね。
さて、今回はとある言葉についてです。
私の家庭はモラハラは日常的過ぎて状態化しており、いわゆる家父長制と呼ばれる所轄父親に全ての実権がある鶴の一声だという家でした。
母親からは機嫌を損ねればナマイキだと蹴られるのもあったし父親からは悪い事をすればVIProomと名のついた玄関横のベランダ扉からベランダに出され、更にベランダについた物置に鍵を掛けて閉じ込められます。(大体小一時間〜)
余程マジで悪い事をしたか、口答えやナマイキな事を長くした場合ここに入れられます。そうは言っても私は生粋のADHDっ子。
子供の頃からその症状は発露していた様で例え物置に鍵を掛けて閉じ込められても「罰」というよりも『八咫鴉の滅多に入らない物置の冒険』が始まってしまうので罰にはなり得なかったと思います。
・アルバム
・Xmasツリー
・オーナメント
・5月人形
・雛人形
ありとあらゆる行事者の品がダンボールに入って所狭しと積み上げられ、物置部屋と言ってもほんの小さな一角のコンクリート部屋。
子供には届かない上の方に小さな子どもでも通るのが困難な窓があるくらいです。閉所恐怖症を併発している今だったら直ぐに過呼吸で発狂するレベルだったと思います。
その中で今なら不安でパニック発作を出すでしょうが当時の「小さな私」は閉じ込められた事を自覚していません。その為、興味心の方が勝りあれこれ箱を開けては普段触ると怒られる様なものを見たい放題だ!!と意気揚々と狭い部屋で探検が始まるのです。
なので実質罰にはならず本人は楽しんでおり、出されてもケロッとしている始末。
それはベランダに締め出される罰を受けても同じで、トイレに今の様に固執していなかったので何時間ベランダに出されようとただ外でおままごとをして遊び錆びたサイズの合わない三輪車に片足をかけ乱暴に乗り回し、使われる機会の少なくなったBBQ用のプラスチック机と椅子に座って夕日を眺める等をするだけで。
これも同じ様に罰としての効果は無く本人は自覚しておらずただ、ベランダで数時間遊んだというケロッとした状態で家に入れられます。
勿論それなりには何故外へ出されたのかどれがいけなかったのかちょっとは検討はつけていたりします。全然判らん時もあります。
私は幼少期から「空想がち」な所があり地に足がついてないというか心ここにあらず的な事が多かったです。現実世界より空想世界に住んでいた時間の方が長かった。その為か言われた事を自分の事として捉える事が難しく、実感がわかず、誰の事?みたいな反応になってしまいます。勿論悪気はないです。
さて、そんな私も少しずつ歳を重ね…とはいえ小学校から中学へあがった位の頃。
この頃既に体の事で病み始めていました。それでもまだ熱中できる空想世界があったのでそれが救いだった気もします。そしてこの頃かいつからか解りませんが実の兄は怖い対象でしかなかったのです。
何かすれば怒られるので兄の前で極度に緊張する様になってしまいました。
些細なことでした。咀嚼音がうるさい、耳かき汚いトイレ使ったら綺麗に使え、洗面所汚すな等。
当時長期間の外耳炎で耳が痒かったり膿んで痛かったり色々大変でした。が、ここは兄が正しくて当時の私気にし無さ過ぎだったんです。要するに気を付けれなさすぎたんです。咀嚼音も気にしなさすぎたので矯正されて良かったと今は思っているし、耳かきについても発作的に痒くてわー!って掻いてしまうんですがそれは人の見てない所でやるべきで共用の場でやる事ではないという事を後に学び、自室でやる事もしくは人の見ていない所でやる事と線引きを出来るようになったのはだいぶ後ですがこの辺りの事には兄に成人してから感謝しています。
只、言い方に問題があったのです。
兄の方が先に不登校、引きこもりの道を通っていたので基本的にいつ見ても不機嫌。私は放っとくんですが向こうが何かしら私の駄目な事をみつけては重箱の隅をつつく様にネチネチ嫌味を言うか怒ってくる。これが長かった。私が中学以降ずっと、何かの八つ当たりの様に他にぶつけれない事を私にチンピラの様にしてくる。その為兄の前では極度に緊張してしまい食べる事が段々憂鬱になっていきました。口を閉じて食べていても、咀嚼音がうるさいと言われるんです。
いや言われてからは閉じてる閉じてる。気を付けてるし兄が一緒の時はそおっと噛むように気を付けてるし。それでも尚。理不尽に怒られる。
そのうち食べる事たけで満足せず私に会えばなにかしらいちゃもん。洗面所の電気がつけっぱなしだなんだ(テメーも忘れてるくせに)自分の事を棚に上げて人がうっかり忘れたりした事を目くじら立てて切れ散らかしてくる。怖いしうざい。
だから兄がいる食卓が嫌になりました。
体調の悪化もあいまって私が中学、高校へ進むにつれて怒られるのは変わらずですが私も私で発散する術をなんとか見つけようと必死でした。
理不尽な家の状況を、例えば好きなアーティストの音楽を聞いて自室にこもる等。
中学位まで自室が無かったんですよ。兄と私は同じ部屋で2段ベッド。姉の部屋はあるけど。しかし義理の姉は海外へ交換留学行ったりインターナショナル・スクールに行ったりと義父の家に段々住むようになり。(兄と姉の喧嘩が凄まじかったからってのもあるかも。)そして1つ部屋が空いた為念願の私の一人部屋となったのです。
そして部屋を手に入れた事で自室での喫煙は中卒から、自傷行為が高校不登校から始まります。
中退して以降自傷行為に明け暮れODに明け暮れ怒られる度意見が食い違っても大人に抑えつけられる度に発散する様に切る。怒られると言ってももうコレ以上は理不尽の領域が常にだったので、理不尽だとも言い返せず、ただ怒られる時間が一刻も早く終わるのを待ち終わったら自室に篭って喫煙と自傷行為。それしか無くなっていました。
祖父も厳しい人でしたから、大勢が集まる場では女は朝起きたら化粧をしろと言うタイプでした。全員席に着けば途中での離席は失礼だと許して貰えず、腹痛の為やむなくトイレへ退席するがグチグチ怒られるという感じ。
そして祖父に捕まるととにかく話が長い。祖父からしたら大切な事を教えたい恥ずかしくない様にいられる様にというのだったと思いますが、教本の様な右向け右なやり方にはこっちが全て合わせなくてはならずじっとしている事が苦痛でなりませんでした。
私は幼い頃からおっちょこちょいというか、とろい面がありました。あえて使います。
例えば家族で食事をしている時必ず汁物をひっかけてこぼすのがデフォで、その度に怒られる!と怖かったですがその怖さは現実となり母親から嫌味の嵐。
ヒステリー出た時は目の敵の様に怒鳴り散らしていました。
そんなに怒らなくても。というより怒ってる理由と経緯を教えて欲しい。こぼしてしまったのは申し訳なく思っているのに何故ここまで怒られるのかいつも解りませんでした。
失敗をすれば義父を失い、家族をバラバラに失い、帰る家も無くなり。そして失敗する前からあれこれ言われ続けてきて失敗が怖くなった。
「失敗」した時「そら言わんこっちゃない」と言われるのも嫌だったし失敗する前から「失敗するよ」と言われるのも嫌だった。お陰で今は重度の予定通りこなせないと死ぬマンに大変身。
失敗は許されない。失敗をすれば文句を言われるから。失敗をしていなくても文句を言われるから。
一体私は何なんだろう。
何十年も自問自答して「私は何者でも無い」「価値がない」と結論づける他ありませんでした。
さて。
長くなりましたが。とある仕事で滅多にやらかさないのですが厳重に気を付けていたのにうっかり領収書を紛失するミスをしました。
領収書と言っても手書きで書いてくれなかった為レシートでした。これは大事だから分けておこう。そう思い早々と分けた筈なのですがどうも他のレシートに挟まってしまったらしく大探ししても見当たらない。(そうは言っても自分が先に支払いをして自腹切ってる奴なので私が只損害を被るだけなんですが。)
そしてそれを謝罪して次からは無い様に気を付けます!とし仕舞う封筒を作り仕事のはそっちと明確に分けるのを早める様にしました。
そして仕事の有無の話をLineでやりとりしていた時のある日。
「今度はなくさないでね!」
の1文のみ送られてきました。最初は、そうですね!と返事をしたのですが癪だなと思い送信取り消しを行い既読スルーをしています。
失敗を茶化すのは本当にサイテーだなと思っていてその洒落で言ってるよ〜🤗ってのはつまり刺されたいって事でファイナルアンサー?
次また失敗したら何かを失ってしまうと恐怖心に囚われそういう生い立ちである事も知っていて尚、この様な「肩の力ほぐしただけですよ」みたいな事を平然としてくる事がデリカシーの欠片もないという事です。お前のその1言で自傷行為再開出来るぜ!!
まぁそんな事ではしませんが。
自分が言われたら不機嫌になる癖に人にはそういう嫌味を言うのは本当にサイテーの1言に尽きます。
それが義父、兄、仕事、毒親で囲まれてるんですから死にたくもなりますよ。ははっ( ◜◡◝ )
本当にこのままハンドルきってやろうかなと思ったのは兄が癲癇発作で倒れ救急車で運ばれた時でした。某県まで自家用車と社用車を運べときて夜に病院の退院までの長時間拘束を経てくたくたなのに隣県まで車を運転しろと申す。こいつ頭大丈夫そ?
私がパニック発作で運転控えてる事も知ってるし、そもそも兄の車はカスタムしてあってくそめんどい。MT車乗るなやめんどくせぇ。
流石にMT車は母親が運転する事になり、社用車の方に兄を後部座席に乗せなんか車にあった毛布をかけ発作で意識失って倒れて救急搬送で経過観察後の退院だった為気を遣っていたのですが。
病人だと思って気を遣ったのがそもそもの間違いでした。やれあーしろこうしろ。運転の仕方に文句、道違うとか文句、ブレーキのタイミング踏み込み荷物を後ろに置けだのどーのこーので
「ウルセェ!黙ってくたばってろ!」
とこの時ばかりは言いたくて仕方が無かった…
そもそも運転が久々で緊張している上に隣県までトイレに行けないので既に発作は出ており、更に1番嫌な兄貴と2人の空間しかも運転とかいう1番口うるさく言われそうな奴な時点で逃げ出したかったんです。お金も貰えないのにそんな事してやる義理がねぇ!しかし他に誰も居ない為仕方なく。片道1時間以上掛けてくたくたな中1時間ぎっちり過緊張で運転しましたとも。
で、隣県の兄のアパートに到着したら今度は車の停める場所にうるせーわ荷物運ぶからどーのでうるせーわお前早く倒れて寝ろよっていう。意識なくなれよって思いましたね。あの時は地獄のドライブでした。生きた心地がしなかった。そしてこれこそが何をしても駄目出しされるから萎縮して何も出来ない製造機の典型例でした。
そんな過去の事も思い出しつつ、だからこそ事情を知っている人に「今度は失敗しないでね🤗」と茶化されるとぬっころころすっぞ?お?と思ってしまいます。仕事一緒にしてる相手に対して失礼極まりないですよね。見下してるからそういう言い方を出来るんです。皮肉のつもりでしょうが寒いんだよ。時代は変わってるんだよ。
そんな訳で私の今現在の失敗に対する恐怖心は義父と兄によって育まれたものでお前らどう責任とんねんという気持ちです。もう別に責任とって貰おうとも思わないしそもそも宛にしてないし頼りにならない事も知っているので。しかしこの呪いは一生とけないんですよ。
そういう事本当に自覚薄い野郎、屑のクソとしか思っていません。
せいぜい屑のクソから人間になれる日が来るといいね、死んでからも無理だろうけど。と淡々と冷ややかに心の中で思って見切りをつけています。
結局怒鳴ったり舌打ちしたり頭悪いだの暴言を吐いたり自分より弱い立場の人にしか出来ないんだろ?と思うのでそれってくそダサいなとしか思いません。女を見下し、私を見下し、道具の様に使うことしか考えていないからそういう言葉が出るんですよ。対等にみてたらそんな言葉は出ないです。
失敗への恐怖を植え付けるのはいつだってこういう奴ら。そして一生苦しむ呪いを受けるのはいつだって真面目にやっているこっち。
そして藻掻くほど症状は悪化していく。
原因、お前らだよ。自覚しろよ。
彼らにはこの言葉を贈っておきたいと思います。
自覚たり無さ過ぎ。