学生のあの時
私は元々の性格上、群れるのが苦手だった。
特に女子特有の群れ方が苦手でトイレにぞろぞろ行くのも落ち着かなく。
体調不良が長く偏頭痛や酷いPMSで毎日苦しく辛い記憶ばかり。
中学生の時親友だった友達とクラスが離れて同じ部活の友達と一緒に行動するのが常だった。
誰かと一緒にでなければ不安なのかもしれない。
それは私がなのか相手がなのかは解らない。
しかしその友達からある日、体調不良で蹲っているとこう言われた。
「いつも痛いとかそんなんばかりで鬱陶しい」
頭を強く殴られた様な衝撃と、突然の事で唖然としてしまい同時にやはり迷惑を掛けていた事に対して申し訳無さで居た堪れなかった。
なるべく言わない様に努力していたつもりだったが「ツモリ」であった様で友達は辟易していたのだ。楽しくあれる様にしろと言われた気がした。
私はその日からその友達と距離を置いた。
迷惑しか掛けないのならわざわざ一緒に行動する意味もないだろう。
彼女にとって迷惑なら離れるのが一番早い結論だと思ったからだ。
それから1人で行動する日々が続いた。
友達は上手く他の人達の輪に入れて貰って部活で顔を合わせるのが気まずかった。
1人でも構わなかった。
合わせるのもしんどかった。
だけど自分ではどうしようも出来ない体調不良を鬱陶しいとズバリ言われてとても傷付いた。
そんな事は周りからすればどうって事は無い事で、私が傷付いたかどうかは恐らく大した問題では無いのだろうと思った。
ただ自分の中で納得がいかなかった。
何を謝れば良いのだろう
確かにうるさかったかもしれない。
痛い辛いばかりで今ならその鬱陶しいという気持ちが解る。友達が何を言いたかったのか今なら汲み取れる。当時は必死でそれを汲み取れなかった。ネガティブばかりの私が悪かったのだ。
でも強がれる程の余裕が一ミリも無かった。
毎日痛くて辛くて保健室ばかりで、視界がチカチカ眩しくなっては1時間以上起き上がる事が出来ないで吐き気と凄まじい頭痛に耐えるしか無かった。腹痛も朝学校前の婦人科もホルモン注射による治療の副作用も何もかも解りたく無く、
私の中ではそれを周りに出さずに過ごすという程の軽度のものでは無かった。
ただそれは私の不足であって。
解っているから反論せず距離をとった。
何ヶ月だか知れない。
1人でも平気だと強がって過ごした。
ある部活の日。
また酷い腹痛や貧血等で立っていられなくなり
親友の子に部室まで付き添って貰い早退の支度をした日。その親友の前ではボロボロ泣いた。
悔しくて不甲斐なくて自分が腹立たしくて。
大丈夫だと言いたいのに大丈夫じゃない事が
許せなくて自分を憎んだ。
私が悪いのだから仕方がない。
けれど何処か悲しくて心が痛かった。
長く経って卒業式の日に鬱陶しいと言った友達から謝罪の手紙を貰った。意地悪をしてごめんと。
卒業といういい機会に謝って流せると?
複雑な気持ちだった。
謝られても、後の祭りだ。
しかし妥協点とするしかないだろうと思いそれを受け入れた。私の落ち度がある。
以降、卒業後はたまに遊ぶ友達として
割り切った付き合いをした。
卒業してしまえば高校は別だから付き合いも遠くなり距離も保たれて気にならなくなった。
しかし、今現在、体調不良の時人にそれを打ち明ける事に恐怖心を抱く一因になっている。
友達だけのせいではないけれど、また言われるのではないか落胆されるのではないか怖い。
義父だけでなく友達も失望していく。
私が選択肢を間違えた為に
そんな風に思えてしまって今でも恐怖心がある。
しかし1人で抱えきれない時は早めにカミングアウトするしかないので、この友達には勉強させて貰ったとも思っていて感謝もしています。
そりゃネガティブばかり聞かされたら相手も楽しくないし嫌な気持ちになるよね。
だから何処まで自分の中に留めて、何処から吐き出すのか、吐き出せる相手なのか見極める事は私がするべき事だと教えてくれた気がします。
そこは私が怠ってはいけない部分であり、甘えすぎてはいけない部分なのだ。
そこだけは言われなかったら考えれなかったろうし気づけなかったと思うので。
言い方はもう少し他にもあったと思いますけどそこはお互いが完結したので済んだ事かなと。
ただ今後もずっと言われた事は消えない。
正し続ける事に疲弊を感じている。
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