月曜日の朝の憂鬱

月曜日の朝、この単語だけで非常に不快な響き、まあ朝に気持ちが上がることは滅多にないのだけれど、それでも月曜日は一際、人間を絶望に追いやる力がを持っていると思っている。「嫌なことのはじまり」が好きな人はいないだろう。
鉛のように重たい体を布団から引き摺り出し、なんとかPCの前に座る。分量も何も測っていないコーヒーを片手にぼんやりと朝のメールチェックをする。くだらない宣伝メールが五割、あとは全体返信の関係ないプロジェクトのものばかり。私宛のものはほとんどないが、それでもメール欄の数字が多いとウッ、という気持ちになる。

哀しい。

先ほど月曜日は悪い事の始まりであるから苦手であると述べたけれど、きっとそれだけではない。自分というものがよくわからなくなる。怖い。
夜中まで色々なことに悩んで眠れず、ふっと起きた時の、あの心許なさ。泣き出しそうになる気持ち。
毎日抑えて、コーヒーでなだめて、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせる。
今日はデパスに頼る。頼らないと何もできなくなってしまうから。本当はすぐに酒で意識を飛ばしてしまいたいでもそれだけは耐える。

自分のしんどさの原因はほぼ人間関係に収束する。今もそう。人の気持ちがわからず、人の気持ちを考えすぎ、人の気持ちを勝手に想像し、勝手に体調を崩していく。
私は「繊細な人」という言い回しは好きではない。私は繊細ではない。繊細というか、裏読みが激しいだけに過ぎない。
嫌味の裏読みはそこまでしないが、人の言葉をネガティブに捉えすぎるきらいがある。わかっている。分かっているのに、少しでも可能性があるのであればやめられない。

悩みと不安が気持ちの一番下のところでぐるぐる回り、何もできない状態になっている。何もできなくとも、何かしなくてはいけないので、体を動かす。心と頭を切り分けるのは苦手だったけれど、最近少しできるようになった。

朝をとりあえず乗り換えよう。
そしたらきっと、見えてくるものがあるはず。



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