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幼少期。

ど田舎に産まれて小中高をど田舎で出ました。
三兄弟の長女として育ちます。
中学まで田舎の祖父母宅で同居し、
高校入学と同時に引っ越し。
祖父母宅から車で5分程度の場所なのでもちろん田舎。

幼稚園入園と同時に、
ピアノ、英会話、公文と習い事をさせていたそうです。
(英会話の記憶はなんとなくあります)

というのも、母がゴリゴリの元ヤンで
悪い事は全てしてきた(ご想像にお任せします)
というよな。家庭環境も最悪で、典型的な毒親に
育てられた(育てたというのか?)過去を持つので、
自分の子供には不自由な思いをさせたくない。
真面目に勉強し、普通に平和に過ごしてほしい
との思いが強く、幼少期はかなりスパルタな母でした。

礼儀作法にも厳しく、兄弟三人ともどこに行っても
お行儀がよく、真面目だと褒められたそうな。
(小さい頃ですがね)

私はその母の教えを、その当時はもちろん疎ましく思っていたかと思いますが、今思うと母の思いは非常に嬉しく、愛おしいものだと思います。

母は私に対してはすごく厳しくしすぎたと、妹が産まれて反省し、習い事も全て辞めさせ、学業やそれ以外(身の回りの事)に口を出す事をやめたそうです。

母は素直に健康に育ってくれればそれでいいのに。自分の欲を子供に押し付けて最低な母親だったとまで言いますが、私としてはそこまで思うこともなく、むしろ母が頑張ってくれたおかげで私は普通に幸せに、なんの不自由もなく過ごせていたと思います。

母の子であることが一番の幸せですし、母以外の母親のもとで育ったら今の私は無い。母だから私になれたのであって私は母の子で本当によかったと常々思っていました。

母よりも強い人間はいないし、母よりも謙虚な人間を見たことがない。母を語ると止まれない。それが私たち兄弟なのですから、母のような“偉大な母の子”として産まれてこれた事が何よりも誇りに思います。

というのも私の子供時代は、人間関係にかなり悩まされ、母の力なしに乗り越えられなかったのは事実。
色んな事が起こるたび母はすごい。母のようなお母さんに、人間になりたい。と何度も思いました。
私の目標は今も変わらず母であり、これからも母なのです。

完璧な人間などいません。もちろん母にも欠点があります。
ですがその欠点ですら愛おしいと思える母は私の絶対的な存在なのです。

長くなりましたが、母を語ると本当に止まらない。
若くして私を授かり、大事に大事に育ててくれた母を今度は私が、私の家族と共に一生かけて守りたいと思っております。

その母がきっと一番最初に悩んだであろう事件が
私の保育園時代の出来事。

保育園での遠足で私と食べてくれるお友達がおらず
先生と一緒に食べていたらしい。

私は自分でいうのもアレなのですが、
田舎者の中で一目置かれる容姿をしていました。
色が真っ白で着ている服は母がこだわりぬいた
田舎ではあまり見ないようなお洋服。
靴も毎日新品同様にピカピカで、
持ち物や髪の毛全てを毎日綺麗に着飾っていて
さらに母が若い。
他の母親に比べて若いしおしゃれでとにかく目立つ。

その反面私の性格はかなり内弁慶。
何か言われても言い返す事はできないし、
やられればやられっぱなし。
先生に申すこともでき無いような子供でした。

そのため保育園という集団生活の中
田舎の洗礼たるものを受けていたのです。

ですが子供ながらに恥があったのか
母に話す事は無く。母も何事も無く
楽しく過ごしているのだろうと思っていた時の
私のこの訴えで、かなり動揺しただろうと思います。

私も同じ母親の立場になって分かったのですが
色んな葛藤があっただろうと思います。

ですが母は田舎だから
(周りはほとんど知り合い、はたまた身内)とか
さらにエスカレートするのではとか、
そのような事を考える間もなくすぐに行動してくれました。

先生、親、誰がいようとお構いなしに
「娘をいじめる奴がいるならタダじゃおかない」
と啖呵を切らしてくれた母がとてもかっこよかったです。

そして私はこの時から母に

「他人にどう思われてもいい。自分に自信を持ちなさい。あんたはなんでももっていて、家族も仲がよくて、みんなが羨ましがるから妬まれるんだ。だけどそんな小さい人間の事をいちいち気にしなくていい。人は人。ただ自分の事はしっかりできるようになりなさい。誰に何を言われてもやるべき事はしっかりやりなさい。真面目に生きている人間は何を言われても痛くも痒くも無いんだ。やられたらやり返してもいい。でも弱いものをいじめるような人間はクズだ。ゴミだ。そんな人間には絶対になってはダメだ。」

と毎日呪文のように言われるようになります。
そして今私が自分の娘に同じ事を伝えています。

母の言葉はこれから大きくなっていく私の子供達にも受け継がれていく大事な言葉です。

「謙虚さを忘れてはいけない」
「人は人。人に何か指図するなら自分を完璧にしなくてはいけない」
「あなたは完璧な人間なのか?」

など色んな言葉をかけてくれました。
それらが全て私の助けになりました。
人が人を変えるのはものすごく難しいというのを
後に知るのですが、それをやってのけた母には
本当に驚かされました。

私を私にしてくれたのは他でも無い母ですから。

幼少期の話が母の話になってしまいましたが
私の子供時代は母無しに語れないので。

今だに行きすぎた親バカで心配性の母ですが
母自信それを知っていてそれに悩みそれに泣き。
それに生かされてきた母なので。
私たち兄弟も母と同じような「親バカ」になっていくのです。

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