140文字の世界

Twitterというサービスが好きだよという話を今からします。いいですか?いいよ!では、します。

Twitterというサービスというか、SNSというか、場所というか。もう何て表現していいのかも分からないんですけど、どれも正解のようでどれもしっくりと来ないような感じさえする不思議な心地なんですけど、まぁ兎に角好きなんですよ。好きじゃなきゃ10数年も定住してないんですよ。
そりゃあね、この10年と少しの間に時代は進んで色んな種類のSNSがベビーラッシュが如く産声あげまくったわけですがね、あたしゃ結局Twitterに戻って来ちまうってんだから。もうここまで来ると好きだの嫌いだのとかいう生温い話でもないのかもしんない。そんな心境です。

10数年も居ればさ、アカウント開設当時から繋がってる人間なんてひと握りになってくるわけよ。それでもいるわけじゃん、握れるだけの人数はさ。その中で頻繁にリプ取り合ってる人も居なけりゃ、連絡先交換している人なんてほぼ無に等しいんですがね。でもさ、居るんだよ。タイムラインには居るんだよ、10数年ずっと握り潰さずに大事に大事にしてきた人間達ってのが。そんな関係びゅーりっほでパーへくちじゃん?人は言いたいことが積もり積もると突然ハム語をも駆使し出すのを知った春、2023。

アカウント開設からの仲でなくても、私は元々クソ人見知りなので滅多に自分からはフォローしないながらもTwitter小屋でちゃんここさえて毎日つっぱり稽古してたら素敵だなと思う人を見つけたりすることもあってだね。そりゃあフォローするじゃん。小屋が華やか且つ、賑やかになるじゃん。ハッピーじゃん。
誰しもがみんな各々のやり方で、自分の小屋なり部屋なり庭なり家を自分が心地よく住みやすいように作ってきたと思うんだよな。

ここ最近の妙な流れがいつ頃始まったのか具体的な時期は忘れてしまったけど、段々Twitterが変わり始めてTwitter山のたぬきのみんながこの山はもう駄目だと言い始めて私は動揺した。何故ならこの山がもう駄目だと言われても全然実感が沸かなかったから。えぇ!?この山はもう駄目なんですか!?と言いながら林檎とか葡萄を食べていた。Twitter山はいつも好物で溢れる故郷だった。

そんな中、遂に今日Twitterというものは消滅するという旨のニュースを見掛けた。実際には傘下に入るだの改名だのという流れらしいけども、使用していたアプリが締め出しを喰らったり、なんだか理不尽なやり方で色んなユーザーが振り回されたり困ったり戸惑ったりするのを見ていると、この山は本当にもう悪い方向にしかいかなくて最終的にクソダセェ何色とも形容し難いビルがぶっ建つんだろうなって気がしてる。
ただ、この流れを責めることも出来ないと考えている。時代は流れていくものだからね。

私が今回伝えたいのは、Twitterという場所が好きだという話です。みんなが話したいことを話して、その話を聞きたい人が聞くみたいな空間が居心地良かった。私という得体の知れないコンテンツを応援してくださる人も出来て本当に有り難かった。時に、よくもこんな得体の知れない正体不明のもしかしたら人外で画面から飛び出してきて内臓バター焼きにして食い出すかもわからないユーザーにそんな心無いことが言えますねあなた…という人も居たりしたけど、まぁ許しますよ。根には持つけど。

急になんでこんな話をしようと決めたって、明日突然じゃあいいよ!Twitterおわり!お前らのせいです!あーあ!!って何もかも木っ端微塵になって消えてもなんもおかしくないところまで来てるのかなと思ったからです。実際はそうはならないと思うけどね、わからん。イーロンの考えてることがちっともわからん。
ただ仮にね、仮にですけど、もしそうなる未来が来てしまったとして、なんも残せなかった場合のことを思えばあまりにも無念なので取り急ぎこの文章を打っています。言うなればこれは私のTwitter遺言書です。

ここ数年の私はタイムラインの要介護としてフォロワーのおばあちゃんとなり、フォロワーは老若男女全てが孫でした。親愛なる孫達よ、さようならの日がもしかしたら近いのかもしれない。そう言って100歳までTwitterやって尻尾が何本も生えて妖怪の類となり、Twitter側からお金を払うので頼むからTwitterから成仏してくださいと言われる厄介の権化になるのかもしれない。後者の可能性が滅茶苦茶高いなと思っていることでしょう。案ずるな、私もだ。

私が敢えて具体的にTwitterの終わりに触れて来なかったのは、例えSNSでも何かの終わりというものに敏感なやさしい人達というのは何処にでも存在するからです。人と人の繋がりというものは別に本名を知らなくても、@越しに通知飛び交うメッセージを高速ラリーで打ち合わずとも、そこにその人が居てなんかしょうもねぇ替え歌だけ口ずさんでいるのを見たり、気ままに飼い犬や飼い猫の写真を無言で載せるのを見掛けたりするだけでも「おっ、大将!今日もやってんなぁ」って気持ちになれるもんだから。そういうさり気ない日常がごっそり持っていかれるかもしれない寂しさって結構大きいんじゃないかなぁ。

ここからはもうシンプルに、本当にシンプルに言います。塩コショウを気持ち数回振った程度のあっさりテイストでお送りしますと、Twitter楽しかった。みんな優しかった。もしこの先どうにかなっても、ならなくても、私は私のまま好きなことを言って好きなことをしてそれを必ずどこかで発信し続けますので、見守ってください。というのは建前で全然TwitterがいいのでイーロンはTwitter諦めてどっか行ってください。お帰りあちらでぇす!!


お陰様で晩御飯のおかずが一品増えたり、やりきれない夜にハーゲンダッツを買って食べることが出来ます