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『赤毛のアン』は、古臭い?

【ワークショップ】ちくちく自習室
【日時】2023年10月20日 金曜日 18:00-19:30
【参加者】 6人
【場所】埼玉県越谷市 駅から徒歩5分 カフェあかね.ya

【様子】
お針仕事を持ち寄って、机を囲んで、ちくちくちくちく。秋の夕暮れ、おしゃべりに花が咲く。


共通点は、「縫う」。それだけ。

台風が来て、
残念ながらキャンセルになった前回。

今回は、少し風が強いけど
気持ちのよい秋晴れになりました。

ゆっくりと日が沈む時間に
ひとりふたりと集まります。

大きなテーブルを囲んで
それぞれが取り出したのは、
全員まったく違うもの。

小物入れに刺繍、ゴムひも通し、カバンづくり、
ワッペンづくりに
タペストリー制作などなど。

共通点は、「縫い物」というだけで、
てんでバラバラの作業が始まりました。


ハサミを借りたり、お互いのを見せ合ったり

『赤毛のアン』は、古臭い?


学生時代に愛読した
『赤毛のアン』のシリーズには、
よく縫い物や編み物のシーンが登場しました。

時代を考えれば、当たり前で
みんなが家で縫っていた時代のお話です。

主人公のアンや、そのほかの登場人物は、
ひとりで縫い物もするし、

みんなで集まってパッチワークしたり
チャリティの品を縫う集まりに
参加していた気がします。

わたしは、学生時代にその縫い物シーンを読んで

「なーんか、古臭いなあ。
こんなに縫わなくちゃいけない時代に生まれなくて
よかったよー」
と、
なかば批判的に感じていました。

『赤毛のアン』自体はとても好きだったのに
縫い物シーンには、否定的だったんです。

そこには、
女性が家の仕事を押し付けられている感じもして
縫い物が「時代遅れの象徴」のように
感じられたのだと思います。

でも、ここがとても変なのですが、
お菓子作りや料理のシーンは、
「ひゃー美味しそう」
「この材料は、どんな味?日本にある?」と
ワクワク想像しながら読んでいたのです。


そのことを思うと、
時代とかジェンダーではなく、
単純に、わたし個人の好みの問題だったのかも
しれません。

その後、わたしは結婚して子育てしていても、
縫い物に関しては、必要にせまられた範囲を
仕方なくやってきた日々でした。


なのに、今は「ちくちく」してる。


時がたち、
人生もぐるっと巡り、最近になって
縫ったり、繕ったり、作ったりが楽しいと思えます。

けっして、うまくはないのに、楽しい。

そして、ひとりではなく
みんなでお喋りしながら縫う作業が
面白いと感じられます。

この変化はなんだろう。
歳を重ねたせいなの?

考えながら、ちくちくしていました。

ちくちく仕事の魅力はなに?



「ゆったりとした時間」を感じるのが、好き

ぬくもりある人の声を聴くのも、好き

何かが出来ていく過程をのぞけるのも、好き

手を動かす行為そのものが、好き

そして、正解がないのも、好き

もしかしたら、学生時代には
分からなかった縫い物の良いところが、
ようやく見えてきたのかもしれません。

人がゆるく集まる「道具立て」


本の中で、主人公のアンは、
縫い物や料理という
日常生活に欠かせない「行為」を通して、

人とつながり、
時間を共有し、
じわじわとアボンリーという村になじんで
いったのでしょう。

パッチワークの集まりも、
ご近所の噂話もたっぷりありつつも、

村のみんなで縫い物をしながら、
アンという女の子を見守り育てていく機能も
あったのかもしれません。

などと、考え始めると、止まらない。

ちくちくを共にする時間は、
なんとなく、ゆるくつながっている実感があるのは
事実。

ありそうでなくなっている関係性を作るのに
ちくちくは、いい役割を担っている気がします。

古臭いと感じていた時期を越えて、
いまなら、そう思えるのです。

今回もご参加、ありがとうございました。

(とこ)

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