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ことごとくピントをずらし続けている人たち

ウクライナ情勢の緊迫化を受けて、ネットはいろんな意見が盛り上がっている。

極端に右寄りの人の一部は「ロシアは悪くない!ウクライナはDS(ディープステート)の傀儡だ!」などといっているようで、よくわからない。
極端に左寄りの人の一部はウクライナに心を寄せるのだが、日本が国防に力を入れることやウクライナに武器を送ることには断固として首肯せず、よくわからない。

そういえば、なぜこういう人たちは、しっかりとピントがずれた発信をしてしまうのだろう。
一度くらい「これは正論だ」ということをいってもいいものだと思うのだが、まともな言論がなかなか見当たらない。

米国の大統領選のときも同じだった。
トランプ氏の勝利を疑わなかった人たちが右寄りの人を中心に大勢いた。
選挙結果が出ているのに「トランプは勝つ!」といっていたユーチューバーのおっさんがいて、大統領選を終えたトランプ氏が何に勝利を収めるのかと、私は不思議に思ったほどである。
ものすごい内容のデマが飛び交ったこともあった。

ことごとく事実ではなく、そして主張として整合性も妥当性もないことを言い出す。
何のために言っているのかもよくわからないし、どこに向かっているのかもわからないし、誰のためになるのかもわからない。

こういう言葉たちが、わたしには一種の宗教のようにみえることがある。
極右にとってはDSがいると考えるだけで世の中の全てがわかるのだろうし、極左にとっては目の前の現実を見ずに戦争反対!ととなえていればそれでいいのだろう。
ちょうど、人間が誕生したことも、世界が生まれたことも、全ての理由を神様の行為に帰着させる宗教と同じであるし、「この言葉をとなえれば救われますよ」といって金科玉条のように一つの言葉をとなえさせる宗教とも同じなのだ。
考えることをやめて、「この枠組みで考えれば全てに整合性がとれる」と信じることに、身を委ねているのだろう。

世界情勢が激しく変動する中にあってもなお、「現実がどうなっていても、そう信じたい」と思う言葉を振りまくのが、人間なのだろうか。
現実や事実から目を背け、信仰に自然にすがってしまう弱さに、まずは自覚的になる必要があるのではないか。

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