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転職物語⑪ ㋬(離職していない場合)現職の会社と退職の交渉をする⑵

 10年くらい前まで、水泳をしていた。

結構小さい頃から水泳をしていたのだが、一応目標は全国大会に出る、というそれらしいものであったわけである。まあ、当時はまず無理だろうと思いながら、楽しく水泳を続けていた。

あるとき偶然にも―これは他でもなく、私以外のメンバーに依る所が大きいのだが―、リレーでの全国大会出場が決まった。「え」と思ったと同時に、目標が思いがけず達成されたことで、「これから何のために水泳をしていくのか」という疑問にぶつかった。

そこには何もなかった。ここで、チームのためとか新たな目標のためとかなれなかった幼さは、いまになっても悔やまれるところである。

結局、自身にとっての水泳なんてその程度のものだったのだ。そうして私は、「次の大会の申し込みはしないのか」とコーチ室で聞かれたとき、辞める旨の報告をした。コーチもなにも言わなかったが、私がどんな理由で辞めると言ったかは定かではない。

当時、自分の辞める理由が自分自身の中で言語化されていなかったこともあってかなり適当なことを言ったのではないかと思う。

いまになってみると、目標の喪失以外にも、同時に「タイムが止まることへの恐怖」がどこかにあったのではないかと思えてくる。そういう現実を突きつけられることを怖れていたのではないか、自分の成長が止まったと白日のもとにさらされる瞬間が、どうにも耐えがたかったのかなあなどと、そのプライドの高さには驚くばかりである。

そうしてコーチに報告をしたあと、いつも通り体操場に向かう。

この時の歩みの感覚が、まさしく先に書いた「浮いたような感覚」だった。歩いているのだが、そこを歩いていないのだ。もうここにいる人間じゃなくなるという事実は、簡単に人を別の世界に誘うものだと感じた。

友達とも話す。なるべく辞めることを悟られないように―そう、自然体を装っていた(言葉遊びのようになってしまうが、装われる在り方は自然体から最も遠いところにあるのではないか、なんて気もしてくる)。

あのときの私はどんな顔をしていたのであろうか。なんとも言えない「拠り所の無い感覚」が、私の肉体にへばりついていたのをよく覚えている。

そして別の日のミーティングに、コーチは私が辞めることを発表した。私もまさか言われるとは思わなかったから驚いた。そしてその瞬間、私は「もう戻れない」という、苦い何かを感じた。

「何で辞めんの?」と友達に聞かれながら練習に入った。そこからどんな練習をしたか、どんな雰囲気だったか、いまになっては忘れてしまったが、自分の中では何とも言えない異様さがあったように思う。

そして、私がいなくなるという意思表示をした、という変化があっても練習は何の滞りもなく行われるという現実も、その時の私には興味深かった。

そうして3月の終わり、全国大会で泳いだ。どこからともなく力が湧いてきたような感覚は、今までに味わったことのない、不思議なものであったのをよく覚えている。そうして最後に一回練習をして、水泳からは離れていった。

正直言って、私としては水泳から離れたら水泳で出会ってきた友人たちともう会うことはないのだろうと思っていた。実際、私もプールに行くのが何だか抵抗感があった。皆、途中でやめた私のことをよくは思っていないだろう、と私は思っていたのだ。行ってみれば行ってみたでそれらしく話はするが、あの時はどこか壁のようなものを一人で感じていたような気もする。

しかしこの年になって、水泳でしか繋がりのなかったはずの友達と酒を飲めるというのは、幸福と呼ばずなんと呼べばよいのだろう。時おりそんなことを思い返すと、じわりと胸が温かくなることがある。

と、ちょっといい話をしてしまったのだが、まあそんな感じでふわふわしながら退職する旨を伝えたわけである。

ここからはもう事務的な手続きになるから、正直あまり書いても各々の会社で違うだろうし意味はないだろうと思うから、割愛しよう。

最終出社日と退職日を決めて、書類を書いているとき、ふと周りを見ると、周りの先輩や同僚が仕事をせかせかとしていたりして、水泳をやめますと言った時と同じように、何の問題もなく世界が回り続けていることを実感した。

そして、社内ルールで接客も出来なくなっているなか、ただネットサーフィンをしている自分は一体何をしているのだろう―という気持ちになりながら見つめた窓ガラスに、転職活動の終わりを見つめている自分が映っていた。(つづく)

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