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「なんで勉強なんてすんの?」

大人であれば誰しも、思春期というものを体験している。

子供から大人になるその過程で、世界や日本といった、自分より大きなものへの疑問がわいたり、はたまた自分の存在意義といった観念的な世界にも身を投じる時期でもある。

こうした日々の中で誰しも一度は先生に投げかけたギモンがある。

「なんで勉強なんかするんですか?」

いろんな先生がこの疑問に答えてきたものの、そのたびに私は首を傾げ続けるばかり、答えにたどり着けないまま何年もの月日が経った。

インターネットが発達し、世界は情報にあふれるようになった。
マスメディアが政権批判を絶えず繰り返し、一貫性がない報道をしているとの指摘は今に始まった話ではないが、それがますますコロナ禍で明らかになっている。
テレビなんかは顕著だが、たとえば緊急事態宣言を出せ出せと煽りつつ、いざだせば「経済苦で死にそうです」となる。
もしそこで財務省が金を出そうものなら「日本の借金が過去最大水準で財政の健全性が…」と騒ぐ。何をしても、マスメディアは批判をし続ける宿命にある。ちょうど、自民党と真逆の路線で勝負をし続ける日本共産党みたいなものである。


特に、テレビでそうしたメッセンジャーとしての役割を果たすのが、いわゆる知識人だ。知識人が言っているとなんとなく正しく聞こえるものであるから、人々はそれをみて情報をうのみにしやすい。


左寄りの報道がテレビや新聞にあふれる中、いわゆる右寄りの人たちが活路を見出しているのがネット上である。
特にYouTubeは外出自粛のなかで勃興してYouTuberも増えた。
ただ、私のYouTubeのおすすめには、独メルケル前首相が「国際ディープ・ステート(?)といわれている」と主張する人が滔々と喋り続ける動画、宗教のにおいがする明らかにうさんくさそうな女性が「真実を知りましょう」的なことを訴える動画など、奇天烈なものが数多く出回っている。

金を払っているのかなんだか知らないが、「あなたへのおすすめ」に出してくるのは勘弁してほしいものである。一体YouTubeは私を何だと思っているのだろうか。


まあ、批判はさておき、こうした情報の洪水ともいえる状況では、誰が正しいことを言っているのかがわからなくなる。
そしてこの世界が、これさえ知っておけばOK、などというお手軽な世界ではないことに気づく。
情報に接するたびに「マジかよ?」と疑いを持ち、一つ一つの情報が本当に確からしい事実に基づいているのかどうかをいちいち確認する作業が必要になる。
だからちゃんと勉強をしない限り、人前で語れることは非常に少ないはずだ。

マスメディアの情報をうのみにすれば頭を使わなくてよいし、非常に楽だ。
トンデモ右翼の界隈で意味もなくワイワイやっていれば、それはそれで楽しいのかもしれない。


でも、わたしはどうにもそういった発想が大嫌いだ。
だって、この世界のどこにも正解などないのだ。
マスメディアも正解ではない。右翼も左翼も正解ではない。中道も正解ではない。


そうしたものに流されないよう抗するため、己の回答を作るために勉強しなくてはならないのだと、私は思う。
「私はこう思う」と十分に言えるだけの知を一人一人が身につけなくてはならぬ。いわば、思想に芯を入れる営みこそ、学びの本質であるといってもいい。
というのが、私の中での今時点での答えだ。

こんな風に、若き時代を謎のウイルスに襲われるとも知らないあの日の私に答えたら、また首をかしげてしまうのだろうか。

それもまた、懊悩という名の思春期の特権である―。

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