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空爆の記憶に会いに行く②

セルビアの町を歩く。ベオグラードは是非行ってほしい町のひとつだ。
ベオグラードはだいたい、渋谷と同じである。駅が低地にあり、駅前の砂っぽい感じ、なんとも言えない治安の悪さ、すべてが同じだ。
坂を登っていくと空爆の痕があり、さらに行けばモダンな中心街がお目見え、というところだ。町が変化に富んで実に面白い。
美しい町並みに途端に国際政治の現実が頭をもたげる風景だ。

日が暮れてきたので予約していたはずの宿を探す。方向音痴の私である、なかなか見つからない。3時間歩いて見つけられなかったので、やむなく途中で休憩を挟む。
格安で麺がぶちぶち切れるボロネーゼを頂いて、再び宿探しをするも、それでもないのだ。7時間探してもない。
どう考えても地図上ではここだという場所に来ても、それらしい建物が全くないのである。海外旅行ではよくあるのだが、結局私は駅前の適当な宿に泊まることにした。
しかし代わりに泊まることにした部屋がなかなかナイスだった。風呂便所つきと申し分なく、朝飯までついてくるらしい。「これはなかなか良いところに泊まれたものだ―」とブルガリアとは真反対のふかふかのベッドに横たわりながら思った。

翌朝にはボスニア・ヘルツェゴヴィナに向かうことになる。哀しきかな、快適な時間ほど過ぎるのは早く、朝日を拝むまでそう時間はかからなかった。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナのサライェヴォに出発である。サライェヴォは盆地にあるから、かなり行くのが面倒くさい。バスも「山登り→町に寄る→山下り→山登り→町に寄る…」を繰り返す。
山の道は険しく、道も無意味に狭い。いろは坂以上の難所である。もともとサライェヴォが盆地にあることは知っていたのだが、こう山に立ち寄るたびに到着したと勘違いし、裏切られ続けるというのに疲れてしまうくらいだ。バスに揺られて10時間くらいか、ようやくサライェヴォについた。

こんな感じの場所で降ろされた

到着したところがいやに殺風景である。これがサライェヴォなのか…と一瞬思ったのだが、ダイヤモンド社から出ていた「地球の歩き方」は実に優秀で「東側の国から到着した場合、東サライェヴォに到着するから注意されたし」と書いてあった。サライェヴォといっても違うサライェヴォらしい。

もっとも、中心街の方のサライェヴォに向かう方法が分からない。バスがあるとかどっかで聞いたがどうにも見つからない。
インフォメーションに聞くと、「バスなんかあるわけねーだろ!行きてえならタクシーしかねーから!」と不条理なくらいキレられた。
思い返してみると海外でタクシーに乗った経験がない。海外初タクシーがまさかのボスニア・ヘルツェゴヴィナとは思わなかった。
弱そうなタクシーのおっさんを見つけて半ば脅すように交渉した。「サライェヴォ駅に行きたいけどいくらだよオイ」と、乱暴に言い放つ。
おっさんはいまいち英語を解しておらず、意思疏通ができていたのかが謎だったが、とりあえず20兌換マルクでつれていくよとそんな話になった。
私も1兌換マルクの価値がどのくらいかわからず、まあいいかという感じで乗った。元銀行員なのに情けないものである。当時のレートだと大体1400円くらいらしい。40分くらい乗っていたのでまあ無難なのだろう。

先述したように、おっさんはあまり英語を解していない。当然のごとく、車内は沈黙に包まれる。
おっさんはしびれを切らしてしまい、鼻毛を勢いよく抜き始めた。
何も今この瞬間に鼻毛を抜かなくてもいいだろという気がしたのだが「恐れ入りますが、鼻毛はあまり人前でぶちぶち抜かないほうがいいと思います」という英語は私の中にはなく、笑いをこらえるので必死だった。

おっさんは間違いなくサライェヴォの駅に私を連れていってくれた。最後、優しく微笑んだおっさんだったが、歯がほとんどなかった。
手を振ってタクシーを見送ると、サライェヴォの街並みが、私を包み込んでいた。(つづく)

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