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転職物語⑭ 後日談

新しい職場に来てしばらくになるが、ふと感じたことがあったので書き連ねていこうと思う。

実際、転職することに関してはああだこうだと書いてはみたところ、じゃあ実際転職してみてどうなんだよ、ということは、転職活動そのものが順調に行くこと以上に大切である。

私の実感としては、どういう職を選んでも結局は「嫌だなあ」と思う仕事は存在するということである。転職して給料もグッと下がったし労働時間はグッと増えた。ただ、逆に起きる時間が七時半とかになったり私服でたらたら行っても良くなったのはいいことかもしれない。

まあ、人間だから残業するのはそりゃあ好きではないし、仕事があるからやっているにすぎない。まして自分のやりたいことが出来ないッ、というのは実力のない若いうちは至極当然であり、そういう自分がやりたくもないようなタスクを遂行することを面倒だなあと感じるのもまた、人間としては当然なのである。

問題は、その先に「やりたいこと」があるかどうかではあるまいか。私は以前の銀行に入って二ヶ月目くらいに支店で一億円を見て「銀行でやりたいこと」の全てを完遂し、その先に「やりたいこと」が何もなくなったから辞めてしまった(まあまあ本当)。

過剰な残業を十把一からげに問題にするのではなく(まあ大概は問題なのだが)、その残業の先に何も見えていない人間を転職させるなり何なりでどうにかすることの方が重要だ。将来の見通しも明るくねえしやりたくもねえなあ、と思う仕事ならどんどんやめていけばいいし、その結果として人が集まらなければ企業だって人の雇い方を考えるものである。

それが出来なければ企業が壊れていくだけの話である。今の時代は何故か企業の方が個人に優越して個人を破壊していく仕組みが出来上がってしまっている。

とにかくいま眼前にあるタスクの先に自分の求めるものがあるなら、仕事はやめない方がいい、と私は思う。何より、先に「やりたいこと」があると、いま目の前にある退屈なタスクも糧にしようという社畜的思考が形成されていくもので、つまりは「つまらないことへの抵抗感が減る」のである。

これは労働をする上では非常にポジティブなことだ。先に「やりたいこと」もないのにそのような思考を身に付ける「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり」という高杉晋作的精神を炸裂させる強者が時折見られるが、これはこれでその事実に気づかない限り、幸福である。

あらゆる残業や雑務が悪いわけではないのだ。そこに見通しがないことが問題なのである。その先にあるものを見据えていま動いているかどうかで、人生の彩りはいくらでも増すような気がする。

実際、前述した高杉晋作的精神を炸裂させる強者は少なくないような気もする。大体、諦めきっているサラリーマンなんかはそうだろう。「もうそうするほか仕方ない」ところまで追い込まれてしまったのだと私は一方的に推察している。

若者にもそんな人が多い気がする。「自分の夢は夢、叶わなければそれはそれ」と、遠くにある夢を見つめ続けることこそ美しいと―確かに美しいのであるが―、そう信じながらどこかで言い訳をしている自分がいる…そんなことはないだろうか。

先に見える風景―これはまさしく、上に記した「夢」たちの戯れかもしれない―がはっきりと見えるなら、いま置かれている環境が相対的にドイヒーなものだとしても、あまり気にならないものだと私は思う。まあ、気にするような時期になったら、そのときは若者時代の終わりなのかもしれない。

—了—

というわけで、こんな感じでいまからおよそ5年ほど前にしたためた文章を投稿した。当時は「ええ感じで文章書いとるな」などと陶酔していたのだが、今読んでみるとすこぶる文章が下手で恥ずかしい。まあ、そう思えるということは多少の成長はしたということ、かも。

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