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1900年ぶりに作られた国へ⑥

翌朝はイスラエルの南にあるネゲヴ砂漠に向かうことにした。
朝早くからバスに乗るわけだが、暫く走るとバスの車内で「ビーッ、ビーッ」とアラームのような音がしはじめた。運転手もいろいろと機器を動かしはじめたが、音が鳴りやむことはない。
何が起きたのかはわからないまま、普段100キロ以上を出すバスが、20~30キロで走りはじめた。バスに何か故障が生じたのだろうか。私ができることもないので、黙ってバスの停留所に着くのを待った。

アラドという小さな町でとまると、バスの運転手は「降りてくれ」と一言。降りるとバスのエンジンがあるところから大量の油が漏れている。冷静に考えてメチャクチャ危ない。よく数十分ものんきに走ったものである。

ちなみに、このアラドという町は小さくてかわいらしい場所だ。次来たときにでもまた訪れようと思う。
同じバスに乗っていたイスラエルの住民が私をアラドのバスターミナルまで連れて行ってくれた。彼はアラドに住んでいるそうで、私が日本から来たことを伝えると、「日本は大きくて発展していて、この小さなアラドとは大違いだね」と自嘲していた。アラドも素敵な町だと返して、二人で笑った。
彼は丁寧に何番のバスに乗るべきかまで教えてくれた。人間の思いがけない優しさに、心が少しほっこりした。

ふたたびバスに乗る。砂漠を目指して1時間半。ようやくお目当てのSde Bokerなる場所に着いた。
このスデ・ボケルは先に述べたベン・グリオンの終の住処である。砂漠を開拓しながら、「てめーら挑戦する心を忘れるんじゃねえ!」と、自らの身を挺してその生きざまを示した場所だ。今でもここには彼と彼の妻の墓がある。一応お参りしてきた。


ここは緑に包まれた自然公園で、シカが結構多い

甚くのどかな場所である。人も少なく、ただのんびりとしているだけでも楽しい。近くには土産屋もあり、ベン・グリオンに関する絵本など、様々なものがおいてある。

しかし、この何もない砂漠のなかに木を1本でも生やしたその驚異的な努力には敬服するばかりだ。自分だったら出来るのか―そう考えるだけで「無理だ」と口をついて出る弱さが情けない。不可能なんて本当にないのかもしれない。

公園を去ろうとバス停に向かう。次のバスは30分後のようだ。しばらく待っていると、一人の青年が現れた。こちらの様子をちらちらうかがいながら、彼は「どこから来たんだ」と私に問うた。

「日本だ」と言うと、驚いた顔をして続ける。
「出張なのか?」。私は「単なる趣味だよ」と言うと、彼は眼を大きく見開いて「すばらしいことだ」と話す。
いろいろと話を聞くと、彼は来年から徴兵に取られる予定なのだという。こちらでいう高校を出ると、男女を問わずイスラエルでは一度は軍隊に入る経験をすることになる。
学校教育において、さほど軍人の話はしないらしい。ベン・グリオンの名前こそ知っているものの、そこまで学ばないのが実情だという。彼によると、「むしろ入隊してからしっかり勉強するんだと思う」という。教育のシステムとして位置づけられている面があるのだろうなと感じた。

軍に入ることをどう思っているのかを聞くと、「たぶん、ファンタスティックなんだろうね」と幾分客観的ではあったが楽しみなのには間違いないらしい。彼から日本の軍部教育はどうなっているのかを問われると、日本では軍隊に近づく機会もないから国民のほとんどが軍に関してよくわからないのが実情だ、と答えたのが情けない。国など、当たり前に続くモノではないのに、歴史を紡ぐことが当たり前になっている日本人には危機感を覚えざるを得ない。

彼は「そうか」というと、「きょうはきっと、軍人がたくさんバスに乗っている」と口にした。なぜかと問うと、彼によると以下のような説明をしてくれた。

イスラエルは金曜の夕方から土曜の夕方まで、「シャバット」という休暇に入る。その時間帯には必ず家にいなくてはならないので、イスラエルの軍人たちは木曜には家に帰り、金、土と休んでから日曜に再び基地へと向かう、という日程を組んでいるそうだ。
となると、この木曜夕方のバスには軍人が大量に乗っている―ということになるという。

「へえ」と感心しているとバスがやってきた。
バスのステップをのぼると、席に座るのは大量の軍人たち。さすがに整然と座っているが、なかなかの迫力だった。次の目的地までは数十分。座る席もないので立っていることにした。
軍人のでかい体をすり抜けて、バスを降りる。ついたのはここだ。

一体何なのか、と思うひともいるだろうが、こういう場所がイスラエルにはいくつもある。「キブツ」というところで、砂漠のなかで唐突に現れるオアシスだ。
いわば自立的に共同生活を営む小さなコミュニティみたいなモノだと思ってくれればイメージは近い。自分たちで畑を耕し、酪農もし、病院もあり、学校もあり、そして工場や自転車の修理屋まであるという、そんな感じだ。他に依存しない自治体というべきか。こういうキブツではボランティアを受け入れていたりする。

時々、肥料につかっているのであろう糞尿のにおいがする。地元にある、乳牛を飼う施設さながら。どこか懐かしいにおいだ。
どうやらここに、ベン・グリオンの終の住処があるという。そこを目指してきたわけだが、何処を探してもない。
こういうときには地元の人に聞くに限る。工場の外で何かを洗っていたおじさんに聞いてみた。
英語でベン・グリオンの家は何処なのかを聞くと、おじさんの顔が「はて」とゆがみ、私は直感した。

英語が、全く通じない。(つづく)

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