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齋藤健さんが法務大臣になったので「『三十年』~大和民族の遺伝子~」を引っ張り出して読んだ

葉梨法務大臣がお手本のような失言をして更迭されたことを受けて、以前お話を伺ったことのある齋藤健衆院議員が法務大臣になられた。
実は齋藤さんは「『三十年』~大和民族の遺伝子~」という小さな冊子を書かれている。この際なので少し引っ張り出して読んでみた。

30年という長いようで短いときのなかで、日本人が変わり果ててしまったことを嘆き、危機にある中で依然として今平和ボケをしていることに警鐘を鳴らしている一作だ。
冒頭はこんな言葉で始まる。

三十年という月日は、日本社会を変質させるには十分な時間である。
そして、そのことをその時代に生きている人々はほとんど認識できないようだ。

と。そのうえで齋藤さんは、平成の30年間を「宿題をやらなかった夏休み」だとして、令和時代にその宿題が残っていると指摘する。
一方で、日本人がその「宿題」をするのは、「内乱で勝ったときか、極端な外圧がかかったときぐらいしかない」と嘆く。

そういえば夏目漱石は日本の文明開化について「外発的開化だった」と指摘していた。すなわち、海外の圧力を受けて日本が変革を「余儀なくされた」という立場をとっているわけで、言わんとすることは近い。

そして、こうした課題を残しつづける日本の在り方に懸念を示す。それは他でもない、大東亜戦争で負けたあの時の日本と同じだとする。
真珠湾攻撃において飛行機で船を沈没させた日本が飛行機で戦う時代を作り上げたのに、なぜ日本は最後まで巨大戦艦に頼り、海軍の終わりを告げられなかったのか。

そこにあるのが「国家の存亡、生き死にがかかった極限状態においてもなお、優先順位をつけられない」という問題点だ。
日露戦争から大東亜戦争まで、およそ30年の月日が流れたことになるわけだが、そのときの軍人の在り方は大いに変化していたという。

これはA級戦犯となった松井石根陸軍大将の「武士道とか人道とかいう点では、当時とは全く変わっておった」という言葉を引く。つまり、軍人の質が変化していたというのだ。これを齋藤さんは自身の「転落の歴史に何を見るか」という本で4点の変化を指摘する。

それが、

①指導者がジェネラリストからスペシャリスト中心になった
元来、武士はジェネラリストだったが、明治維新から急激に西洋の軍事技術をつけはじめた(=スペシャリスト化の進展)。日露戦争はジェネラリストである武士の末裔が指揮をとり、参謀にスペシャリストである維新以降の軍事官僚が就いていた戦争であり、かみ合わせが良かった。
*とはいえ、学問が進展すれば専門化が進んでくるのも事実である。スペシャリストの養成が進むのも致し方ない点もあるのやもしれない。

②日本の組織が自己改革しきれなかった
「なぜ負けたのか」の分析をしていない傾向にある。摩擦を避けるための「事なかれ主義」が、生死をかけた場面であってもそこにあった。争いを避けるために和を乱すことを嫌う姿勢があり、変革を求める声そのものが「和を乱す」行為にとらえられることから改革は掛け声だけになりがちだと指摘する。

③日本人の道徳律が変質した

④戦争の歴史をきちんと残していなかった

という。
ここで興味深いのが、「令外の官」という言葉だ。

律令国家の日本であった平安の世の中では、律令がいまでいう憲法のような役割を果たしていた。しかし、律令に規定はないものの、関白や摂政という政治的な役割が必要となってきた。
そのとき、なんと律令の改正を行っていないというのである。
となると、同著で山本七平氏の言葉にあるように、憲法9条があるなかでの自衛隊の存在というのはまさに「令外の官」なのだという。その点で齋藤さんは「日本は平安時代から変わっていない」と上記②の自己改革の不完全性を指摘する。

こうした議論を展開したうえで「どうしたらいいのか」と問う。
それが、何が物事の本質であるのかを追求し、そうした追求を許容する組織を維持することであると述べる。話し合おうが和を乱そうが、「おかしいことはおかしい」といえる人をきちんと作らねばならないというのだ。

足元の日本社会を見れば、経済規模や人口減少などをはじめとして危機は多くある。しかし平和ボケはやまない。それに危機感を募らせるべきだという。私もその通りだと思う。
そして、今こそ改革の一歩が今求められるとして、齋藤先生は本著の最後に白洲大尉の言葉を引く。

「進歩のないものは決して勝たない。…敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の再生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか。」

我々は果たして、日本の再生のために自身の生命を投企する意思を持てているか。問い直さなくてはならないのはほかでもないいまではないのか。

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