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【育児】可愛くて 粗相も許す 親心

娘を風呂に入れていると、時々私の膝の上でちょろちょろとおしっこをしてしまうことがある。
赤ちゃんなのでよくあることではあるのだが私は風呂で「こりゃあんた粗相だね」などと言っている。
何もわかっていない娘は満足そうにしているが、私も私で別段嫌なわけでもなく、普通に排尿後の股を洗う。

この風景自体に特筆すべき何かがあるわけではないのだが、ふと私はこの時、小便をかけられて許せるって結構すごいのではないかと思ったのである。

もちろん、許す許さない以前に世話をしないと仕方ないという前提はあれ、感情としておしっこをかけられても別に嫌な気持ちにはならないのだ。
仮に見ず知らずのひとに銭湯なんかで膝をめがけて放尿されたら流石に不快であり、すぐ避ける。そしてまずもって非常識である。

可愛いと何かと許されがちな世の中ではあるが、放尿されて「オッケー」となる領域は単に外形として可愛いから可愛くないかとは別問題であるように思う。
自分が可愛いと思うタレントを考えても、流石に膝への放尿は受け付けられない。一部のマニアには良いのだろうが、私は無理だ。

これは逆に言えば他人からの放尿を忌避する私でさえ、自分の娘であればオッケーと受け入れているということでもある。もう少し考えてみると、自分の子であればまあある程度の年齢(5歳くらい)ならまだ同じことをしても許せるのだろうと思う。
つまり、この点で見れば、赤ちゃんは容易に世間で可愛いと言われるタレントの可愛さを凌駕しているということになる。

人間誰しも外形としての可愛さについつい目がいくけれど、何をしても許せるくらい可愛いという尺度で考えてみると、必ずしも可愛さとは単に外形によるものばかりではなく一義的なものではないことがわかる。
そしてそんな「何をしても許せる可愛さ」とは、おそらく顔が整っていようが整っていまいがどうでもいい何かがそこにあることを雄弁に示している。
そのような間柄をこの世界の誰かと築けることはそう多くはないし、そしてそれは幸せな現象なのではないかと、娘の小便を膝に浴びながら思ったのである。

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