本誌236話を読んで

236話「南へ」を読んで


◎前置き
当記事には少年ジャンプ23年43号までの呪術廻戦におけるネタバレ及び、それに関する記述がありますのでご注意ください。

ついでに、この記事筆者の人生のバイブルである機動戦士ガンダム00シリーズについても言及しておりますので、これから知る楽しみをお持ちの方はどうぞお控えください。




◎236話「南へ」を読んで一番 最初に思ったこと。

ああ、この作品に出合えてよかったなと。
同じ時代に生まれることができて、10年後ではなくリアルタイムでこの作品に寄り添えるのが幸せだなと感じました。
読んで最初に思ったこと、と申し上げたけど、厳密に言うとこの時の気持ちを具体的に形にできたのは次の日だけど。ちょっと言い方ずるかった。
でも、正真正銘、私が心から思ったことです。よくこんな開き直った悟り開いたようなこと言えるよなと自分でも思いますが。



◎この記事を書くに至って

私は生来、つらいことがあるとその気持ちを文字に起こして形にしないとその山を越えられない性分なんです。
律儀というか、面倒というか。
本を読むしかなかったくらい本と文学がすきで、コミックも映画も人並みに読んでいたけど、むかしから兎角文字を書くという行為が好きだった。私にとってのカタルシスが、言葉に置くことであり文字に起こすことです。

みなさんは236話「南へ」をどんな風にかみ砕き、嚥下して、消化していますか?まだまだその域になくてずっと残り続けていますか?

「南へ」を読んだ方、どうぞお付き合いください。


◎私このヒトのこと変態だとおもってたけど、それであってるみたい。

私、五条悟のことを初めてみた時、あぁ変態だなと思たんです。
でも今思うと、七海さんが同236話、空港のシーンで「変態」って言っていたから曲がりなりにも、私は謎多き五条という人間からそれを感じ取れていたんでしょうかね。

七海さんてすごいですね、私たちが欲しい言葉を欲しい言葉で表現してくれるんだもの。「絵にかいたような軽薄」「変態」五条悟のそばにいて、彼を見て、友人ではなくあくまでも後輩として振り回されて、でも好きでなかったら出ない言葉ですよね。傑くんとは違う立場からみた五条悟が、肯定じゃないのに小気味よい。”愛”には何億種類もの色があるって話です。
話がそれた。
私は今作の初めてはアニメでの拝見なのですが、眼を隠しているし、言葉選びなんかもすごい変態だと思って。キャストの中村さんが(多分)そう演じているのもよかったです。つかみどころのなさ怪しさ、そういうのものを芝居に昇華させるのもまた上手で。

でも五条悟という人物が本作で描かれるうちに、”絵にかいたような軽薄”の裏にある(気がする)性根の良さがあって、顔もきれいで術もかっこいいのが分かった。とっても好きだったんだけど。好きだったんだけど、でも不思議で。
この記事を書くまで、なんでこんなに彼の死が自分にはつらくて涙が止まらないのか不思議だった。アニメのキャラクターの悲しい事には慣れているはずなのに。
ジャンプ読んだ翌朝の私は職場で、先輩と共に大泣きでした。なんなら気を抜くと今も吐きそうなくらい。
私の人生の推しであるグラハム・エーカー(ガンダム00より)が”水先案内人”になった時もこんなに、涙を流したりしなかったんです。悲しかったけど。すごい悲しかったけどね。食欲がおかしくなることもなかった。いやすごく悲しかったんだけど。

でも同時に、こんなに五条悟という人間、だい好きだったんだなと思いました。そりゃあみんな大好きになるわよね。



◎236話読んだ後、月曜の”朝日”はというと

我々、月曜の朝に目が覚めたら、彼がいなくなった世界で朝を迎えるのが初めてなんだなという切なすぎることを思いました。
これから同じ朝日をみて笑うことも、はたまた雨の空を見つめて憂うこともないのだなと思って。
私もわざわざこんな言い方しなくてもいいのにね。でも人が死ぬってこういうことなんですよね、嫌です。
こんな地獄絵図を描くために あんな1話があってあんな0巻があったんだと思うと なかなか下々先生を許せはそうもないのですが。笑


◎236話読んで「よかった」という気持ちがあったの。サイコパスじゃないよ。

散々悲しくてかなしくてやりきれなかったんだけど、でもいまの五条悟は亡き仲間たちと再会して、「悔いがない!」と言い切って、笑っていたのが、それだけは嬉しく思うのです。
もう一人、独り、孤独、じゃないし、もう戦うこともないのだなぁと思うと、それは良かったなと思って。
私はもとより、「死に対しての救済」って物語の中では特に好んでいないのですが。それがぴったりハマって最高の形になるのもあるだろうし、否定するつもりもないし、むしろ好きな作品の中でそれもあるし。そもそもガンダムや軍人にとって、それがまたひとつの美徳になっている事実もあると思うので。

でも、一般的な物語において死が救済ってのが、もっともらしい正解の顔をして居座るのが嫌なんですね。泥臭いのが好きだけど、もっと泥臭く「諦めないから強い」を推しているわけです。
また話がずれた。
でも少しだけね。"最期はよかったんじゃないかこれで"と思う自分に気が付いて結構、結構嫌悪しました。嫌悪、なんですよね。生きていてほしいと願いながらもこれでよかったと思えることに。

でも、五条悟という人間は生まれた瞬間に決まってる訳じゃないですか。
生まれた瞬間に「持っている」ゆえに運命が決まっている。無下限と六眼を持って生まれた瞬間に決まっていた「呪術師」としての運命は、きっとその肩に重くのしかかっていたのだろうと思います。
彼の口から出る言葉が軽薄であればあるほど、クソガキであればあるほど、彼の誰も知らない顔が、またそこにはあるのだなぁと思っていました。それが多少なり今回の236話でも垣間見られたと思うし。かと思えば「変態」だからこの我々が思う彼は全然常人と違うかもしれないけど。


悠仁ともっと話してほしかったし、恵とも乙骨とも 囲んで笑っていてほしかったけど、
五条家、呪術界、ひいては呪術大国日本の未来を背負っていた五条悟の、一人で背負うにはあまりにも重すぎる肩の荷が、今降りたことは 少しでも我々の心を軽くしてくれるかなと もはや願いに近い思いがあります。
「花に自分のことわかってほしいとは思わない」かもしれないけど、彼は他人に わかってほしくない人間じゃないと思うのです。

もう最強じゃなくていいんだよと思います。
誰かと戦う前提の上にある「最強」じゃなくて良い。
誰かと一緒には戦えない孤独の「最強」じゃなくて、もう良い。
本当に今までお疲れ様だったね、と思います。また涙が出てきました。別に泣くためにも泣かせるためにも書いてないんだけどね。


◎私は最後に書き残しておきたいことがある。

1つ書き残しておきたいことがあって。あれ、これって私の遺言?

というのも、次の月曜日がきて本誌で次のお話をよんだら、同じ気持ちだとしても違う言葉をつかって表現しちゃいそうだからさ。
今の私が今の気持ちを今の言葉で表現したいなと思ってるんです、もうちょびっとだけお付き合いください。

それに、この記事が何年か後になって「答え合わせ」できたらおもしろいじゃないですか。

それで、私が書き残しておきたいこと。

五条悟がこの物語の最後に生きていることに、私は10:0でかけています。

勿論、10が生きている、の方。
それが祈りにも似た希望的観測であったとしても、其のうえで根拠を並べ立てて考察じみたことをする私がいても、10:0です、誰がどう言おうとこれは最後まで。これは今後たとえ、彼の死が確定したあとですら変えるつもりはない。最終回までってことです、五条悟はまた戻ってくると思っています。

だって、私グラハム・エーカーの生存を信じ続けた人間ですもの。ガンダムは伊達じゃないってわけなの。別にうまくないけど。

私の思う根拠や考察は、当該記事の最後にでも置いておこうと思うけど、今は根拠うんぬんの話ではなくて。
この呪術廻戦という作品は、呪術とかなり本格的な科学がまじりあってる世界線だから、五条悟を生かす方法は幾重にもあると思うんです。
でもそれは、最後の最後作者である芥見先生にかかっていることだから。
最後は芥見先生を信じようかなと思って。

芥見先生の今までのことを読み返すと、本当に希望もクソもないし裏切られそうだけど。
信じる方が苦しいのかもしれないですけどね。
でも、信じる方が楽になることもあるよと思って。

なにより、「大丈夫、僕最強だから」の五条先生のこと信じようと思って。
だって我々の、五条先生ってこんなもんじゃないでしょ。

きっと数年後かにこの答えが自ずとわかるんだけど、その時どうなっているか楽しみだと思うし、こんな抽象的な「10:0だと思います」さえ、見当違いかもしれないけど。
その時はみなさんで答え合わせできたら面白いなと思います。
こういうのは書き残しておくのがおもしろいんだよ、知らない状態なのは今だけなんで。


◎ではほんとうに最後、根拠を並べ立てておこうかと思います。ここからは興味ある方だけで。

甲.あえて先に希望的観測と思いを。

封印解除から数日で致死って悲しすぎるし、”退場”から”退場”の繰り返しに、「もう少しなにか」が欲しい気がしてしまう。(命日が同じなのは見事すぎるからそこは感涙大拍手)
そもそも無下限六眼が十種の調伏に負ける話を知っている読者が、数百年後に同じ歴史を繰り返して、本人たちがなぞらえるだけって、ちょっとだけ物足りない。
これが幸せねと、良い終わり方だよねと思いながらの"腹八分目"もいいけど、もっと”芥見先生”を見たいっていうっていう希望的観測。
そして最強と散々言われてきて、「本当だ最強だ」と知った読者が「いや待て 思ってたもんじゃなく最強だ」と、さらにその最強にバックボーンがあることを知り、確たる強さを知っている読者に対して「そんな最強の彼が負ける宿儺という呪いの王」を説明するためだけに、いままで五条悟を君臨させてきたのにはちょっと寂しすぎる。物語批判のつもりは毛頭ないです勿論、念のために。


乙.そして事実と予想と考察と。

空港のシーンで、傑くんは一度も「悟」って呼んでいないことに気が付いた。「君」って言うの。あれ程「悟」と呼んでいた傑くんがです。
私はここに、名前を呼ぶことその行為自体に意味があるかなと。死者が生者の名前を呼ぶことは、それこそ「彼岸へ渡らせる」ことになりそうだなと。そもそも名前は親から最初にもらう祈り(であり呪い)だから、魂に触れることに関係するかな、言霊がそれにあたりそう。
本来の傑くんなら、もしかして拒絶するような「早すぎるから戻るんだ」とも言ってもおかしくないのに孤独だった親友の死をどこか迎い入れる傑くん。
悟くん、もう胴体切られて彷徨ってるというレベルじゃないし、間に合わないかもしれないのに、それでも「悟」と名前を「呼ばない」のだろうと思うと心がぎゅっとしてしまいます。

そして私、五条悟は死んでいると思う。

あれほど10:0と言っていたのに?という感じがしますが、これは揺るぎないと思います。
皆さんは、「首ちょんぱしてないから」「頭や脳で反転術式つかうから」と言ってらっしゃいましたけど、次のカットでちゃんと頭潰されている(or撃ち抜かれてる)と思うんですよ。五条悟にとどめを刺さない宿儺じゃないだろうし。

でも個人的にその方が10:0だと思っていて。

ここで「だって勿体ないでしょ?」という、人死に対して使うにはあまりにも軽薄な五条先生の言葉をここで引用しておきますが。(呪術廻戦1巻/アニメ2話「自分のために」より)

だって勿体ないじゃないですか。もし自身の反転術式だけでもとに戻るようなことがあったら。最強は最強なんだけど、一人で最強なんて悲しすぎると先ほど申したけど。
だから自分の力ではなく、私は誰かの術またはその反応によって生き返ることがあったらなと。どんなに最強でも誰かの力がいるんだよって。


ここで2つの説を押したいと思います。

1.恵の祝詞によって生き返る:これは私以上の専門家がこの国には沢山いてビクビク内心している。
そもそも恵(宿儺)が出した式神は、日本神話にでてくるひふみ祝詞が出典ですよね。

もっと小学館の「新編日本古典文学全集」から本文の引用や学説を交えてお話などしたいのだけど、あまり今時間がないのでそれは今度に。

ふるべゆらゆら、という祝詞は本来もっともっと長いです。前にも後ろにも言葉が続く。そしてその一音一音にも、意味があります。
万物の神々への感謝や、もっと広く火や生死、エネルギーなんかを意味するみたいです。
(天上天下唯我独尊、唯この世界が心地よい、と言っていた五条悟と同じ香りがしてきました。私だけ?)

この長い祝詞を省略している事と、呪術を発動する際にする音楽と舞を省略する事、がどうも重なってしまいます。

そしてこのひふみ祝詞は、全文を言って成る言霊があるんですが、それこそ「復活」「死者再生」です。(論文じゃないので言い切って逃げますけど、実際「日本書紀」のなかで天岩戸の段にこの祝詞の原型が出てきます。)
日本書紀、天岩戸神話といえばこの国に明かりをもたらす天照大神が閉じこもってしまったというお話ですが、五条悟という人間を呪術界から失えば、字の如くこの国の朝日はもうないのではないかと思ってしまいます。

そこで、ふるべゆらゆらが五条悟の復活になったらいいなと思います。あの状態からどうやって?とも思いますが。
儀式としての行為があれば、もしや死者再生もできるかなと。だから一度死んでいないとねと思うわけです。
普通に自分の反転術で蘇るなんて。「そんなの勿体ないでしょ?」(呪術廻戦1巻/アニメ2話「自分のために」より)

余談ですが「首ちょんぱ」が”絶対な死”って宿儺がわかっていたら、次のコマでそうすると思うんです。でもそうしなかったのは宿儺及び恵が、五条vs父の話を全く知らないからかなと。
もし悟くんが父親のことを過去に恵に話していたら、恵の脳を通して宿儺に伝わっていたと思うし。話をしなかったことにも、あとで意味があるんじゃないかな、なくてもそれはそれでいいけど。

あと余談に余談ですが、できないはずの”死者復活”やそれに関する裏サイト「黄泉平坂」に対して五条悟が言っていた「すごいネーミングセンスだな」「…またセンスない冗談が出てきたな」(「呪術廻戦 逝く夏と帰る秋 2章反魂人形」より)が、より生きてくるなと思ってしまうわけです。
本人の口から「冗談だろ?」と言われたことが、のちの本編で色を変えてだしてくるなんて、ちょっとロマンティックすぎた?
ちなみに黄泉平坂とて日本神話です。これは偶然じゃなくて「必然」です。それっぽいこと言おうとしているんじゃなくて、すべての文学物語には少なからずこの国の神話の血が通っているから必然なんです。
話がそれるけど、たとえば桜の花が物悲しいと思うことや儚いとおもう国民性もそこには根拠、「根」が生えています。


2.タカバさんによって生き返る

これは言ってる人もいるけど彼の術式は「自分が面白いと思ったことはなんでも実現できる」ですよね、やっぱりここで「生き返ったらおもしろいんじゃないか?」と彼が思ってしまうことが最高だと思います。
彼は空気を読まないし、面白くないことを面白いと思ってしまうのでやりかねない。
あのギャグを心底面白いと思ってるもん「イカれてる」から術師なんでしょうね。

なにより「五条悟にも対抗しうる」ってナレーションベースで語られているってこと。
ナレーションは、例えば「わずか半年で社会復帰した」(渋谷事変)を知っているわけです。そもそもナレーションがそういうものと言われてしまえばおしまいなのですが「五条悟にも対抗しうる」ことをあの場で伝える意味は何だろうなと。

タカバさんは発言は面白くないんだけど、この彼の術式は誰よりも面白いと思いました。自身で術式を知らないことが、なによりも強さにつながること。自分の術式すら自覚できない彼が、「知っている」者や「持っている」者が できないことをするなんてかっこいい。

そしてこれまたかなり余談ですが、私がタカバさん初登場回を読んでいる時、アニメになる際のキャストは絶対に、杉田智和さんがいいなと思っていたんです。(そうにしか聴こえなかったんです)
改めておもうと、杉田さんが声をされるキャラクターが蘇らせた五条悟(キャスト中村悠一さん)、って構図がすごく面白いなと。

(断っておきますが、当記事作者は特別この役者お二方のCPの可能性について説いている訳ではないです。でもこの年で尊敬しあって仲が良くてとても素晴らしいよね、いいよねとは思っています。
例「中村悠一のあそびば:YouTube 2022年10月11日プレミア公開」にて)

呪術廻戦において、キャラクターとキャラクターの関係性が、役者と役者のつながりとも関係してると常々思っているのですが(この役者にこの役者を当てた時の空気間と間合いみたいな。すごく微妙で抽象的なわたし個人的な感想です)


◎もし仮に

10:0という私の思いが、物語で0:10とわかった時。どちらかわかるときが来るのでいつかは。
私はそれはそれでいいかなと思うし、五条悟という人間を信じて芥見先生を信じた時間も、「よかったよ」と思えるような気がします。
何年後か、はたまた次の44号で完全に撃沈してしまうか、わからないですけどね。
それまで思い悩み考えあぐねて抗ってみて。そして役者がどんな表現してくるかを楽しみにしつつ生きていこうと思います。


全然関係ないけど、改めて呪術廻戦というタイトルの味わい深さを感じます。
呪いや呪術そのものが、また巡って還るんだと。だからこんなにも繰り返して苦しいんだと思いました。
その連鎖や”廻々奇譚”が呪術師たちによって断ち切られることがありますように。

◎皆様に幸あれ

ここまで長い文章をお読みいただきありがとうございます。
感謝つきません。

  1. ※当記事執筆者は、国文学と神道にゆかりのある大学の文学部(ここまでいうとわかってしまう)を出ておりますが、出ておきながらかなり神道に関して勉強不足がいなめません。

  2. 出典や日本神話について記載の間違い・お気づき等ありましたらどうか「優しく」ご指摘ください。


ここまでお付き合いいただいた皆様にどうか幸あらんことを!



23.9.26 すしねこ  (すしうま)











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