見出し画像

どれだけ歩いても端に辿り着かない

 二十代半ばで上京した際、小金井公園の目の前に住んでいた。アパートの敷地内から走り幅跳びでもすれば届くくらいの距離である。二十三区内では家賃が高い割に狭い部屋しかなく、郊外で探していた結果たまたま見つけた物件だった。特にその周辺の土地には縁もゆかりもなかった。僕は日課のように小金井公園を散歩したものだが、その広さにはいつも驚かされた。というか、規模や全容を把握することが全然できなかった。なにせどれだけ歩いても端に辿り着かないのである。
 自然豊かな園内には野球場、テニスコート、バスケコート、ゲートボール場、アスレチック、ドッグラン、体育館、弓道場、バーベキュー場など、ありとあらゆる運動施設や娯楽設備があった。開けた芝のエリアでは少年チームのサッカーやラグビーが行われており、その他にも人工芝のゲレンデやふわふわドームと呼ばれるトランポリン、さらには江戸の歴史的建造物を保存する博物館なんかも併設されていた。行楽で訪れる家族連れから運動部の学生の集団、ドローンのテスト飛行をしている人やキャンバスに風景を描いている人、太極拳やラジオ体操に勤しむシニアの集団からスケボーを練習する若者達まで、利用者の顔ぶれは老若男女問わず様々だった。調べてみると公園の面積は約八十ヘクタールで、小平市、小金井市、西東京市、武蔵野市の四つの市にまたがっており、東京ドームに換算すると十七個分になるみたいだ。

 僕には上京した理由がほとんどなかった。他人に訊かれる度にそれっぽい説明を適当にでっちあげ、自分でもそれを信じてきた節があるけれど、振り返ってみれば「地方出身者の漠然とした憧れ」ということに尽きる。進路に迷った高校三年生がとりあえず大学に入るのとほとんど同じである。具体的に働きたい業界があったとか、明確な夢や目標を持っていたわけでは全然なかった。それでも「このままでは駄目だ」という漠然とした危機感と、劇的に環境を変える行動力が無駄にあったのである。さかのぼれば僕は学生時代には根暗で極端なインドア派だったにも関わらず、バンドを組んでギターボーカルを担当していた。また東京に二年以上住んだ後には、海を越えてオーストラリアへと引っ越すこととなった。どうも僕の人生にはそのようなショック療法的な選択が時折必要らしい。
 そんな僕にとって、小金井公園の利用者達はその地域に根付いているように見えた。都会の人間のステレオタイプとして語られるような個人主義で冷たい雰囲気はそこにはなく、かといって田舎の結束が硬いコミュニティにあるような排他的で息苦しい感じもなかった。適切な距離感が保たれているような気がした。直接的な交流を持ったわけでないので本当のところは分からないけれど、都会の外れにある公園というシチュエーションが僕には心地良かった。
 あるいはそれは環境自体とはまた別の話で、自分の意思で街を選ぶということが重要だったのかもしれない。僕にとって東京は初めて自ら主体的に選んで住んだ土地だった。物件探しから引越しまでのあらゆる雑事を一人でこなし、ようやく自ら見出した居場所だったのだ。与えられたものや既に手にしているものを素直に喜べないような天邪鬼で疑り深い自分には、たまたま生まれ育っただけの地元を離れ、いわばゼロから一をやり直す必要があった。それが僕にとっては東京だったわけだ。

 上京する際にどの街に住めば良いか分からず悩んでいる人には、もうちょっと気を抜いて適当に決めて欲しい。どうせ住んでみなければ分からないことの方が多いし、どこであろうが「住めば都」精神さえあればなんとかやっていけるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?