雑誌
文章を書くことは恐ろしい。筆者が何から影響を受けてきたのかが明白になるし、人と成りが残酷なくらい浮き彫りになる。どれだけ推敲したところで後になって読み返すと死にたくなってくる。かつてはツイッター、フェイスブック、ミクシィ等のSNSに投稿していたのだけど、ある時点で過去の投稿を全て消した上でアカウントを削除してしまった。句読点の使い方、大文字と小文字の区別、改行するタイミングなんかに細心の注意を払い続けるうちに疲れ果ててしまったわけだ。単に文章が気に入らなかったり、誤字脱字に気付いたりして投稿直後に削除するということはザラだった。公共の場で発信する以上は他人に対する行為だったのだけど、どちらかといえば自分自身との戦いという様相を呈していた気がする。ちょっとしたニュアンスや言い回しにまで、なぜあれほど神経質にこだわっていたのか。それはやはり、文章を書くことは楽しい作業でもあるからだ。会話でのコミュニケーションでは伝えられない、文字でしか伝えられない何かを表現しようと僕は夢中になっていた。センスのある人間だと思われたかった。そして今、こうしてまた文章を書いている。この記事がいつまで残っているか分かったものではないけれど。
先日、美容院で髪を切って貰っている間、置いてあった雑誌を見るとはなく見ていた。最新のファッションやら用途が判然としない雑貨をぼんやりと眺めていると、全国のハンバーガーショップを特集したコラムがあった。ハンバーガーや店の内装などの雑誌映えする数々の写真に先立ち、序文というかエッセイのようなものが最初のページを活字で丸ごと埋め尽くしていた。「カットが終わるまでにこの雑誌を読み終わってはならない」という課題を目下遂行中の僕は、その文章に目を通してみた。二行目くらいですぐに気が付いたのだが、筆者は明らかに村上春樹の影響を受けていた。僕にはそれが分かった。文章のディテールまでを明確に思い出せないので具体的な指摘はできないけど、端々からそのエッセンスを感じた。なんというか大友康平の節回しみたいな、完全にソレと分かるような言い回しが随所にあった。さすがお洒落な雑誌のライターは違う。そのコラムの文章を最後まできっちりと読み終えた後、ページの隅に筆者の近影なりプロフィールがないか探してみた。髭を丹念に整えている男か、自称インフルエンサーの女あたりが書いたのだろうと踏んでいた。その文章を書いたのは村上春樹本人だった。
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