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無職日記?|はやく自分の魅力に気づくべき


日記

若干二日酔いによる気分の悪さで目覚める。
コロナで飲む回数も減り、無職になってさらに飲む量も減ったので、アルコール耐性がかなり弱くなった。すぐ酔う。

因みに昨日は奢ってもらった。命拾い。



水をめちゃくちゃ飲み、お茶漬けを食べて、胃が気持ち悪くなりまた横になる。

お昼からは今日締め切りの請負作業を行い、その後は本を読んだり思いついたことをノートに書いたり、浮かんだアイデアを商品化できないかちょっと余裕持って考えてみたり。

やるべきことという感じは無いけど、必要な時間を過ごせたなというのは感じた。

夕方、ジム帰りに夫がケンタッキーを
買ってきてくれた。ハッピーサタデーすぎる。



羨ましさに囚われない比べない

友人にとっても絵の上手いセンスのあるイラストレーターがいる。

デザイン系の専門学校時代から、
彼女の絵は見る人を本当に惹きつける。

めちゃくちゃ死ぬほど羨ましかった。それでいて羨ましすぎてもはや清々しかった。暗くてドロドロした感情とかはあんまり湧かなかった。

デザイン系の学校だとどうしても「評価」や「比較」の場面が多くなるから、それに耐えられなくなる人はいる。(女子とかたまに泣いてたり、グループ内で比較されてギクシャクしてたりとかもあった)

でもわたしの場合は、この人の絵は完璧すぎるから、同じ土俵に立っても自分には到底敵わない。
だから自分は自分のできる範囲で自分のいいと思うところを拾いつつ作品を作ろうと、
いつもは根暗でネガティブなわりに、この時は前向きに思えた。それくらい彼女の絵に惚れていたんだと思う。



それで当時から思ったのは、
「あの子はいいな」という他人の視線を集めることへの羨ましさにに囚われそうになったら、
他者の声を片耳でそこそこに聞いておきつつ、自分の内側に落ちている好みや特技、求められていること、好奇心を拾い集めることに少し集中する
ことだった。


デザインという点でも、普通の仕事でも、
「他者の目や意見」はやっぱり大切になってくる。画家やアーティストならまだしも、基本疎かにしちゃいけない。

でも両耳では聞かなくていい。
人の話を聞いたり意見を言われると、いくら良い話でも心身ともに疲弊する。
ここで意見を飲み込むことに疲れてしまうのは、さすがに力の入れすぎだと思う。
「へ〜」でいい。気づかれない程度に若干他人事になるのが良い。

そして必ず自分の内側にある既に持っている素質で勝負できないかを必ず考える。
みんな何かしらアイデンティティを持っている。絶対に誰にでもある。
無いという人は「短所は長所の裏返し」ということをきっと信じていないんだろう。
デザインといったかなりクリエイティブなものだけに限らず、今後、「やりたい事」を叶えるには自分の内側をいかに分かっているかが重要になってくるだろう。

わたしは絵を描けないけど、文章や言葉を作るのは結構好きだし人より得意だ。創造のものを作ったり描いたりするのは苦手だけど、経験した上で書いたり作るのは好きだ。
そうやって拾い集めていったら、絵の上手いあの子と同じ言葉とまではいかなくとも、前向きな言葉をもらえることがぐんと増えた。


狭い学校で1人評価されると、自分だけ置いてかれたように思う。

でも世界にはたくさんの方法で道を切り開き、活躍している人がたくさんいる。
輝いている人を見過ぎて、自分それぞれのやり方次第で自分も輝けることを忘れないで欲しい。

下記は植物学者の出した本に書かれた文章だ。

私たち人間は、花の美しさを知っている。花の色や形は、いろいろあることが美しいと知っている。 
それなのに私たちは、ときどき「たくさんあること」の素晴らしさを忘れてしまうのは、どうしてだろう。 
「違うこと」の素晴らしさを見失ってしまうのは、どうしてだろう。 
くらべたり、優劣をつけたくなってしまうのはどうしてだろう。 
花は自分を誰ともくらべない。 
そして、自分だけの花を咲かせる。 
世の中には、さまざまな花がある。 
花の数だけ咲き方がある。 
そして、花の数だけ、物語があるのだ。
花は自分を誰ともくらべない~47の花が教えてくれたこと~「はじめに」より


花の世界では正解は一つじゃ無い。
花の数だけ子孫繁栄のための秘策があるからこそ、地球上にはいろんな花が咲く。


同じでなければいけないとか、あの子がいいなら私は駄目、なんていうものはない。

わたしたちも、正解は一つじゃ無いのだ。



わたしももっと自分の内なる魅力を知って、それを知ってもらえるために行動する人生にしたい。知ってもらえて言葉をもらえたら嬉しいし、
なによりその方がきっと楽しいだろう。



おわり

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