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紙詰まりを放置されたるコピー機のつめたき胸へ手を差し入れる/北山あさひ

紙詰まりを放置されたるコピー機のつめたき胸へ手を差し入れる

北山あさひ『ヒューマン・ライツ』「冒険」より

誰も気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、コピー機に紙が詰まったままになっている。そのエラーを解消しようとする最初の人が、コピー機の内部に手を突っ込む。そんなありふれた光景がこの歌では詠まれている。

わたしも先日、職場で同じ状況に直面した。コピー機に近づくと、「エラー」の赤い光が点滅していた。いつからこの状態だったのかはわからない。わたしは給紙トレイを取り外して、空洞に手を入れた。よく見えないので、奥の奥まで手を伸ばすと、カサッと紙に手が触れた。ゆっくり引っ張ると、蛇腹状に折れた紙が出てきた。こんなことは日常茶飯事だ。でも、何がどうなっているのかわからないものの内側に手を入れるというのは、本来とてもおそろしいことのはずだ。

何にでも誰にでも、外から見ただけでは理解の及ばない内側が、「つめたき胸」がある。自身ではどうしようもなく、かといって器用に助けを呼ぶこともできず、苦しみを放置することがある。だから、どんなにささやかだとしても、おそるおそるだとしても、一番に救いの手を差し伸べる行為は、「冒険」と呼ぶに値するのだと、この歌は気づかせてくれる。



歌集『ヒューマン・ライツ』には他にも、コピー機の詠まれた印象的な歌がある。たとえば、

一枚一枚紙が出てくるコピー機のそばでわたし、わたしも減っていく

北山あさひ『ヒューマン・ライツ』「ヒューマン・ライツ 1」より

永遠に泣かないエリカ コピー機のそばの窓から星を探した

北山あさひ『ヒューマン・ライツ』「ヒューマン・ライツ 2」より

「一枚一枚〜」の歌では、労働に疲弊して少しずつ擦り減っていく自分を、紙を一枚ずつ吐き出すコピー機に重ね合わせる。「永遠に〜」の歌では、〈同調笑い〉をするロボット「エリカ」の存在に思いを馳せながら、何か希望を探すかのようにコピー機の横に佇む。

どちらの歌でも主体は「コピー機のそば」にいる。黙々と健気に動き続けるコピー機は、働く自分の似姿であり、味方である。だから、SOSが出ていたら助けたくもなるのかもしれない。

でも、「コピー機のそば」には寂しさも漂っている。人間であるところの「わたし」がコピー機を仲間や味方のように思っていてはしょうがない、ということを「わたし」はわかっているのだと思う。コピー機と違って「わたし」には尊重されるべき人権があるのだから、と。

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