見出し画像

結婚して22年。主婦と名乗るのを卒業する

私は2000年代頭に結婚したのですが、その頃は共働き夫婦を「DINKS」と呼び始めた頃だったかなと思います。その妻側として、自分のことを「兼業主婦」とカテゴライズしていました。

夫も私も正社員相当で、働く身分としては同じだったと思います。ただ以下の理由から、何となく私の方が「主婦」を引き受けていました。

  • 子ども時代、中学校以降は「男子は技術(or体育)、女子は家庭科」という公教育を受けたので、家のことは女性がやるものだという認識があった

  • 私も夫も母親が専業主婦でその家庭経営を見ていた

  • 夫の方が年上のため、仕事の責任はより重かった

今よりも、男性の家庭進出が少なかった時代。夫の育休制度も一般的ではなかったと思います。「兼業主婦」の私が子供を妊娠すると「退職する?どうする?」と聞かれ、産休育休中は家事育児を担う「子持ち主婦」になり、そのあとは「既婚子持ち社員」になりました。ワーママという言葉はまだありませんでした。

職場では「既婚子持ち女性社員」という立場で、融通を利かせてもらいました。この頃はマミートラックという言葉も一般的ではなかったと思います。当時の私は部署で最初の「既婚子持ち女性社員」。毎日をこなすので精一杯で、この優しい「配慮」をただありがたいと受け取っていました。

家事育児を一手に引き受ける、今でいうワンオペ家事育児でしたが、細かいことは頼むよりやった方が早いし、繰り返すたびに上達するし、自分の好きに進められるしで、それなりの達成感がありました。

この時の家事育児バランスはその後も大きく変わらず、夫の職場での責任が増すにつれてむしろ固定化されました。家事育児の「『自分の仕事』化」が進み、数年前までは完全にワンオペ家事育児をやっていました。夫も別に無理に私に押し付けていたのではなく、私が自ら引き受けて楽しそうにやっているので任せた、という感じだったと思います。

これは困るな、と思ったのが、数年前の長女の受験の時です。学校・学習関係も全部私が引き受けていました。進学先の学校を調べたり、学校に進路面談に行ったり。  ・・・あれ、これ、全部私の責任になるの?って。
この時から、このままではいけないなと自覚し、少しずつ夫にヘルプを頼むようになりました。

今まで家事育児の分担をしたことがなかったので、最初は衝突することも多かったです。まずは、何か頼みたくても、夫の予定がわからない。予定を聞かないと教えてくれない。帰宅しても持ち帰り仕事をすることが多く、どれぐらい時間がかかるのかもいちいち聞かないとわからない、というところから始まりました。
一方で、頼んだことは(時間はかかるけど)やってくれるし、忘れていることももう一度(怒らずに)頼めばやってくれるし、掃除は苦手だけど料理は好き(だけど片づけは嫌い)、ということもわかってきました。


今年の手帳には、毎日の食事と出来事を書き留めています。

適応障害で休職中ですが、手帳を見ると、家族が手を貸してくれていることがよくわかります。

  • 朝なかなかエンジンがかからず、息子にゴミ出しをお願いしたり

  • 私がお昼をちゃんと食べるか夫が心配して、おにぎりを作ってくれたり

  • お風呂上がりに貨幣状湿疹(ストレス由来)の薬を手に塗ってしまい、夕食の皿洗いができなくなって娘に頼んだり

  • 学校への連絡が気が重いというと、夫が仕事の合間に電話してくれたり

私が担当している家事育児の量は、思っていたよりもずっと少ないです。

こうなると、もう自分を『主婦』と思わなくてもいいんじゃないかな?という感じになってきました。
主婦は、「家庭」という概念に属する役割名。
主婦以外に、私は『妻』で『母』で『会社員』で、それぞれの立場で責任や役割があります。これらの対象は夫・子ども達・会社や同僚といった、個々の人間です。

今後は、それぞれの相手の姿を見て、私のできること・するべきことをする、という考え方に変えようかな。

・・・実際には、家事全般の経験が一番多く、子どもの学校の様子もよくわかっているので、作業としては私が担当することも多くあるとは思います。ただそれらを『主婦として』私が引き受けるのは卒業しようかな、と思います。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?