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過去のnoteは今の自分に届いた最高の読み物

私は自分の書いたnoteを読み返すことがない。まったくと言っていいほどない。執筆して投稿、その後記事を開くことはほとんどないのです。でも、

昨日読んだ本で180度価値観が変わった。

日記について書かれた『さみしい夜にはペンを持て』に出会って。

この本では日記の書き方から効能まで、具体的にわかりやすく書かれています。どの文章も内容もとっても心に残るもので、何度も読み返したい1冊。その中でも1番心に残ったのは、こんなフレーズでした。

「書き物は読み物に変わる」

私は日記を書いていない。でも毎日noteを書いている。SNS上に公開する文章ということです、考えや思い、体験をベースにした記事を投稿しています。とうてい日記とは言えない内容だけど、日常の一部を切り取ったものなので、日記と近しいものがある。

毎日書いていると誰に向けて書いてるか?誰に届いているか?何のために書いているか?考えるタイミングがある。たくさん浮かんでくる問いに対して、自分なりに言語化してきたものの、しっくりくるときもあればそうじゃないときもある。

『さみしい夜にはペンを持て』では、そんな自分の疑問がぱ〜っと晴れるようなフレーズがあった。

「今日書いた物は、未来の自分にとっての読み物となる」という言葉だ。日記の醍醐味の1つに、大きなやりがいの1つに、未来の自分へのプレゼントとなることと書いてあった。

あ、そういうことか。とやっと納得した自分がいた。

もちろん私が書いたnoteは、こんな人に届いて欲しいなど、イメージがあったりする。けど、書いて書いて下の方に埋もれてしまったnoteは、誰の目にも触れることはなくなる(ことが多い)

記事の数が増えれば増えるほど、母数が大きくなればなるほど、過去の記事の存在はゼロに近くなってしまうんではないかと思っていた。

でも、過去の記事が現在の私にとって読み物となるなら、そうはならないんだ。

自分で受け取りに行くことで過去のnoteが息をする。

いや、本当はずっと生きてる。私が見ないようにしていただけ。下手くそな文章をまじまじと読むのが怖かったのかもしれない。だから読まずにいたのだ。

けど、現在の私が過去のnoteを読み物として再び開封するなら、積もり積もったnoteたちに意味づけをすることができるかもしれない。

過去のnoteと1括りにしていたものを、「今日の読み物」として心に留める

それだったら、今私が書いているnoteも未来の自分に届くことになる。書くことの意味が1つ明確になったような感覚があった。すっごく救われた気分だった。

何気ないたった1日の1記事は、私の捉え方と受け取り方でこんなにも意味のあるものになるんだな〜

日記を書く人、noteを書く人、これから書きたい人へ。一緒に未来の自分に向けて書いてみませんか?もしくは、過去に書いたnoteを読み返してみませんか?

私は今日から毎日過去のnoteを読んでいこうと決めました!

#過去のnoteは私の読み物  というハッシュタグを考えてみた◎自分からのプレゼントを受け取るように、毎日読んでみます!


これからnoteを書く人へ、ヒントが欲しい方は、ぜひこちらのマガジンも覗いてみてね◎

数あるnoteの中から、私のnoteに読みに来てくださりありがとうございます😌最後のページまで来てくださって感謝です💌 私のことばが誰かの心に届けば、、、と毎日奮闘中です💭あなたの心が動いて「こいつ、やるやんっ」て思ってもらえたらサポートお願いします👀🌟