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自分を知ろうとして自分を見失ってるなう

2023年の新年に、高校の時の友人と会い、今年の目標なるものを話し合った。

いろいろと深い話もしたが、まとめると「自分のことを大切にしてくれる人のことを大切にしたいよね」「すべての人を大切にするっていうのは難しいから、せめて自分のことを大切にしてくれる人たちのことは大切にしよう」っていうところに友人は落ち着いた。

私はとにかく、自分の気持ちや考えていることがいつもフラフラしていて確実性に欠けるので、自分のことを言語化するようにしよう!と意気込んでいた。

ただ、最近少しずつ気付き始めているのが、おそらく私はあまりすべての物事を言い切らない方が良くて、不確実の中にある可能性の中で泳いでいたい人間みたいなのだ。

そのせいか、自分の気持ちを掘り下げて掘り下げて、真実(のようなもの)に近付きある程度の答え辿り着く頃には、何故か心が憔悴してしまい、心身ともに元気がなくなってしまうのだ。

そして何故か、知ることができて嬉しいはずなのに、傷付いて悲しくなってしまうことが多い。それはきっと、喜怒哀楽の中でも「怒」と「哀」の表現がとても苦手で、これらの感情を「喜」と「楽」に無理やり塗り替えてしまうからだと分かっている。

でも、自分のことを知って自分のことをもっと好きになれたら…という気持ちで「自分の気持ちの言語化」を目標にしたのに、傷付いて悲しくなっていてはあまり意味がない気がしている。

目標を掲げて、理想としているゴールに向かっているはずがよく分からないところに向かっている現状で、迷走してしまっている。

そのせいか、最近は「なんで?」と聞かれることがすごく怖くなってしまい、考えないと…と思うだけで頭が真っ白になってしまう。それがなんだか悲しくて、想像力とかいろんなことを考えられる自分に価値を感じているせいか、余計に辛くなってしまう。

現状、いまの状況を打破するための策がある訳でもないし、この事実に今現在酷く落ち込んでいる訳でもない。

ただ事実として、久しぶりに人生ぐらい大きな単位のものの「上手くいかない」に直面したようで、なんだか辛いけどめちゃくちゃ人生って感じする…!ぐらい楽観的な自分もいるのだ。

幸いなのは、自分自身にも行動にもプライドがないため、辞めたくなったら「やーめた!」ですべて終わらせられることだ。

11ヶ月とりあえず頑張ったから、残りの1ヶ月は思うままに、少し自分自身に疎い自分と一緒に自分のことを守ってみようかな〜なんて、そんな月末だ。

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