あ、こんなところにエイゴ沼にはまった外資系ジョブホッパーが。③~渡英の思い出~

噴水の中を着衣のまま、ざぶざぶ歩いていた。
あとちょっと歩けば噴水部に到達してきもちいいシャワーが浴びれるな。
頭が冷えてさっぱりして気持ちいいな。
酔っぱらいの光景でしょうか。
いいえ、小学二年生のころの私です。

今でいう、やりらふぃー系大学生がしこたま呑んだのちにやりかねない愚行を小学六年生たちに見つかった上に担任に密告され、
翌朝のホームルームで私はわんわん泣いていた。
困惑する担任に、同級生による指示から心を滅してそのような行為に及んだことを告白したことで激しい誹りは免れた。
ホームルームで恥を忍んで号泣したことでいじめも止んだが、
代わりに元いじめっ子たちに「絵が上手」だの「顔がかわいい」だのと褒めそやされながら粘着されるようになった。

まあ、いじめさえなければなんでもよかった。
毎日毎日いじめられるという環境が急に毎日毎日ちやほやされる環境に変化するような天変地異を経験すれば、
これ以上過激な変化はよもや人生に起きるわけがない。

イギリス行きが決まった。

父親の栄転に伴う、大規模な転勤である。
任期は3年程度。
父は、私と母を日本に残して先に単身赴任という形でイギリスに向かう。
半年後に当たる11月に私と母が父を追いかける形で渡英することも次いで確定した。
当時小学二年生。まだ九九も習っていなかった。

激しく煽られながら自らざぶざぶ入っていった噴水のように、
天変地異が起きるきっかけにはいつだって自分自身が密に絡んでいる。
7歳児はどこかでそう信じていたのかもしれない。
しかし、天変地異の中には自ら入る噴水どころか、あらぬ方向から襲い来る津波のようなものも含まれているのだ。

いじめで流した涙と噴水と津波で、渡英のイメージはどこか水や水色のイメージが強い。
母に手を引かれながらJALの搭乗ゲートを前にし、
背後には必死に涙をこらえて手を振る祖母。
イギリス行きの飛行機に乗るという段階になってようやく渡英に伴う別れや悲しみを自覚して泣き出した私を、母は慰めるために水色の飴玉をくれた。
JALブランドの、無料でテキトーなやつ。
今では立派な大阪のおばちゃんになった母は今もここぞというときに飴玉をくれるが、ラムレーズン味やら濃厚ミルク味やらずいぶんとハイカラな趣味をしている。
JALブランドの飴玉が食べたい。

慣れぬフライトでぐったりした私たちをヒースロー空港に迎えに来てくれた父親はとびっきりの笑顔だった。
私たちを気遣ってくれたのもあるが、寂しさを我慢していたのがやっと報われた、という気持ちのほうが強かったはずだ。
慣れぬ異国で環状交差点をかいくぐりながら毎日車で通勤して、イギリス特有の大きな一軒家で一人寂しく寝ていたのだから。

3LDKに必要以上にバスが複数ついている一軒家で、父親はホテルのアメニティみたいな冷蔵庫から冷凍ピザを取り出して焼いてくれた。
なんでただのマルゲリータがこんなまずいんだろう。
喉も乾いていたから、ポリタンクみたいな入れ物からオレンジとマンゴーのジュースも注いでくれた。
なんでオレンジとマンゴーを混ぜただけで鼻をつんと突く刺激臭がするんだろう。
時差ボケで眠れなかった私は日本から持ってきたポッキーを大事に大事に齧った。

次回からいよいよ噴水なんかではなく、エイゴ沼に浸かる。
ここまではどうしても子供のころの思い出を書かないと気が済まなかった。
次からは本気を出す。これはフラグではない。本気を出す。




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