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おみやげ

2020.10.05

そう言えば、自分には感じることぐらいしか出来ることがなくて、それなのにそれをはい、客観的に変換して言葉にしましょう、みたいなことを誰に頼まれるでもなくやることに決めてしまって、自分の感情の出し方が分からなくなってしまったことが、ここのところの閉塞感の原因なのじゃないかな、と思っている。きっと、情勢はきっかけでしかなくて、遅かれ早かれこうなる運命だったのかも。みんな、自分の感情をどこに仕舞っているんだろう。私は今、何を感じているんだろう。

好きなものをただただ好きだと思うことも、できなくなってしまった。不全・不能。物理的に社会の役に立っているかどうかより、自分の中で大事なものが機能していない感覚の方が深刻なのだ、きっと。



川の近くを自転車で走ると分かりやすく気持ちがいいので、今度住処を変えることがあったら(災害のことはよく調べるにしろ)川の近くがいいなと思ったこと。家も好きだけどホテルも好きなので、旅と言い訳をして定期的にホテル暮らししたいと思ったこと。初めて会う人と話すのはあまり得意ではないけど、プロには積極的に美味しいものがある場所を聞いていこうと思ったこと。(あんまり能動的にここでご飯を食べたいと思うのが苦手なので他人のおすすめをどんどん吸収したい)(とは言え人におすすめする機会が多い人生)他人といると呪い思考にブレーキをかけてもらえるけど根本的に思考が消えてなくならないと一生呪い呪われ続けることになること。人の横顔が好きだなと思うこと。あと、舞台裏が好きなことを思い出したこと。人の間違いを正すスマートで柔らかいやり方を探そうと思ったこと。(タクシーの運転手さんに道の名前を何回も言い直されてちょっとムッとしたので(笑))(でも、正しい知識を得られて良かったな、と思うことにした)他人のことを新しく知ったり発見したりすることの楽しさ。「できない」ことなんて別にないという考え方。美しさと生命力とエロス。むしろこれは全部セット。孤独=悪いものではないという考え方。希望という言葉の意味。家族という安心と責任のなさ。子は親を選べないが、親だって子を選べなかったということ。一緒に旅に出られる他人の存在。

私だってちゃんと旅人になれるはず、と思い直せたことが一番救いだったかもしれない。