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ライフステージから外れること

 異常独身中年男性は仕事場での飲み会で居場所がない。30代前半ぐらいなら、仕事のことやその場の空気で乗り切れるところがあるし、それで許される(なお私はズレているので、ビール瓶や料理の皿の片付けにいそしんでいた)。結婚しているのが不自然でない30代半ば以降になると子育て、子どもの学校行事、習い事、受験など子どもの話題が鉄板になる。仕事の話もあるが、それだけで時間を乗り切れるわけではない。趣味の旅行もフツーの人が食い付くようなところを私が行かないため、話題にできない。陽の者ならトーク力でいけるだろうし、既に結婚しているに違いない。あたりまえ体操。

 人生の節目である冠婚葬祭。「冠」は成人式。「婚」は結婚式。「葬」はお葬式。「祭」はお盆や法事。異常独身は「冠」と「葬」ぐらいしか体験しない。「婚」は当人どころか交友関係が無いため、祝う祝われるが絶無。「祭」は末代確定するとどーでもいい。ご先祖様すんませんでしたという思い(あっかんべー)もあるし、なんで私を出生させるに至ったんだという恨みもある。親はいい大学に入学できれば、ライフステージを堅実に進められると頑なに信じていたようだ。実際に投資をしてもらったし、私はいい大学を卒業した。しかし、就活は祈り多きものだった。原因は中学生で躓いた人間関係で、人間関係構築力は育つことは無かった。むしろそれを涵養する土台が腐敗していた。両親はそんな失敗作である私を嫌悪し詰った。1990年代で警察や裁判沙汰でなく精神医療へ診察させられる保護者はどのくらいいたのだろうか(反語)。

 現代では早世でなければ「冠」は当たり前なので、ライフステージの実質開始は「婚」である。親になれる可能性が飛躍的に高まるからだ。夫婦関係云々の話は憚られると推理できるため、子どもに照準されるのだ。子どもが居ようもない異常独身には飲み会や雑談の話題に参加できないし、いたたまれない視線を感じてしまう。せめてものの思いで旅行先でちょっとイイ感じのお土産を配り、話題参加できないことをごまかすのであった。仕事が繁忙で残業ぎみならバラマキ用のお土産も追加する。私は気遣いができるのだ。ガハハッ!!


たぶん旅行の代金になります。