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モシン・ナガンの妖精

ゴールデンカムイ(以後、金カム呼び)の話です。いつも通りネタバレします。
いや、そもそも「Twitterでネタバレな話するのはまずいな〜」ってnoteという場所を開拓したのにTwitterでバリバリにネタバレツイートしまくった。それほどに狂っている。

何に狂ったかという話をさせてもらいます。先日完結した金カムでヴァシリというキャラクターに狂わされています。

そもそもこの漫画で好きなキャラを選べっていうのがまず無理だと思ってました。前半までは。それほどにどのキャラも魅力的でストーリーも面白くてグロいのも下ネタもギャグも強め。すべての要素が強め。主人公の杉元・アシリパコンビは本当に相棒って感じがして好きだし強い男と聡い少女の組み合わせは前から好きだし乙女(?)な男と男前な女の子も好きなので「好き」の詰め合わせみたいなコンビ。

そんなところでちょっと気になりだした尾形。
僕は猫が好きです。猫なんですね、尾形。それも色々と暗喩を含めて山猫と呼ばれている。キャラの扱いとしては二枚目なはずなんだけど描かれ方が猫。
おや可愛いぞこの尾形とやら……と思っていたら、遠距離戦闘なら無敵の彼に好敵手とも言える相手が現れる。
それがヴァシリでした。

最初の戦いで相手を制したのは尾形(17巻)。冬の樺太で睨み合いの一夜を過ごし心理戦を繰り広げ、しかし実際の戦闘は一時で終わる。
尾形が隠れていると思わせた囮に、ヴァシリはモシン・ナガンに装弾できる五発をすべて撃ち込む。それを見計らったように、身動きせず死体に扮していた尾形はヴァシリの顎へと弾を命中させた。
けれど尾形も、一夜を身動きせず雪で白くなる息を殺し、どこに隠れているか分からないヴァシリが発砲するのをずっと待っていたために相当消耗した。互いにギリギリの戦いだったのだ。

死んだと思われたヴァシリ。でもヴァシリは生きていて、尾形との再戦をするために杉元・アシリパ一行と行動を共にするようになる。この時、ヴァシリは口元を隠しており言葉は発さない。そもそもロシア語しか話せないというのもあるが尾形の弾で上手く話せない口になってしまった。ということで彼は絵を描いて一行と意思疎通する。そして一行は彼の名が分からないため「頭巾ちゃん」とあだ名されるようになる。

もともともみあげと髭のある厳つい顔のヴァシリだったが、顔の下半分を隠し目元だけ見える姿となって厳つさは和らぐ。そしてあだ名にもなったシルエットだけでも分かる尖った頭巾と、意思疎通が難しいことにより分かりにくい思考感情。ワンワン言うのと同じような感じでフンフン言ってる。
気が付いたらレタラやリュウのようなマスコット枠である。とんがり頭巾が変わらない表情の代わりに、犬の尻尾同様感情を伝えてくる気がする(気のせい)。

そんな頭巾ちゃんだが実力は相変わらず尾形と同レベル。杉元・アシリパ一行に情があるかどうかは怪しいが、少し離れた場所から様子を見続け、ピンチになれば助けてくれるのは、互いに協力関係であると彼が思っているからだろう。
作中屈指の狙撃手である尾形がいる場なら、ヴァシリがいるだけで彼の行動が制限できる。なので一行には猫よけならぬ「尾形よけ」なんて言われたりもした。

ヴァシリが尾形に自分の存在を知らしめるのが、ビール工場での戦い。ヴァシリの心情としては、自分が来たことを知らしめるというより確実に尾形の頭部を狙った狙撃であったと思うが、思いもよらぬ理由でその弾は躱される。その狙撃を見て、尾形は彼が追ってきたことを確信する。確信の理由が「俺なら来る」というのがたまらない。お互いにお互いの思考を重ねている。
ちなみにここでヴァシリが尾形を見つけた時、いつも点のように小さく描かれているヴァシリの瞳孔が開いたように大きく描かれてるのが好きだ。
瞳孔というのは眩しい時に小さく絞られ、暗い時に大きく開く。けれど漫画の中でそういう描かれ方はしていない。ヴァシリの瞳孔が大きいのは尾形を見つけたときの1コマだけでその後はいつも通りの描かれ方をする。
人間でいうとよく、好きな人を見ると瞳孔が開くと言われる。感情でも瞳孔は拡大縮小するのだ。
その瞳孔の観察が容易いのが猫。猫は明るいところでもおもちゃなどの獲物を見つけた時、くわっと瞳孔が開いていく。要するに強い関心興味を抱くものを見つけた時に瞳孔が開く。
獲物を見つけて瞳孔が開いたと思うと、ヴァシリが可愛く思えたというわけだ。僕は可愛いものすべてに猫を重ねているようだ。

かなりの確率でコマから姿が見えないヴァシリだが、五稜郭での戦いでは確実に存在することが描かれているのに姿は見えない。ここでは樺太のときとは逆に、尾形がヴァシリを見つける。双眼鏡の反射らしくチカチカと光るものを見つけて、尾形は一度その光を素直に撃とうとした。相手はあのヴァシリだろうことは分かっていた。けれどあいつが反射を考慮しないはずがない。つまりあの光は囮。尾形はそう考えて、光から腕一本分下を狙う。双眼鏡を掲げて囮にしたと仮定したのだ。
返答の弾丸は尾形の足に返ってきた。ヴァシリを仕留められていなければ死ぬのは自分だと思っていた尾形は勝利を確信した。尾形を殺せないヴァシリの狙撃は、彼の負傷が死に近いものを物語る。

落ちて地面に突き刺さり、血の滴ったモシン・ナガンは、分かりやすく死を暗喩していた。
銃を逆さに突き立ててその上にヘルメットや軍帽を乗せるのは、「バトルフィールド・クロス」と呼ばれ、戦場の戦死者を埋葬した際の墓標になるのだ。僕はそれを連想して彼は死んだのだと思わずにいられなかった。
そうだとしても、美しい退場だと思った。逆に美しすぎて「金カムにおいて生々しい死の描写が無いなんて死んでない」と思うくらいにはきれいな最期で、ヴァシリに与えられた死がこれならば納得するしかないとさえ思った。

そんな感じで一旦受け入れたヴァシリの死だったのだが、僕の予想は的中してたみたいでヴァシリは生きてた。でもこのまま完結まで姿は見せてはくれず、彼が生きていたことを物語ったのは「山猫の死」という絵画だった。銃を落としたヴァシリは生きてて、きっと傷の手当をしてまた尾形を追いかけて、そして尾形の死を知ったのだ。

どんな気持ちだただろうと、あの最終話を読んでから何回も何回も何回も想像した。国を捨ててまで追いかけて、いくつかのチャンスを逃して、それでも自分が生きてるから追いかけて、でも自分の手では殺せなかった。
銃弾の合間に、「俺なら」「私なら」と互いに相手の思考を考えたこと。互いに互いの狙撃を評価したこと。それこそ一つの称賛の形だと感じている。
ヴァシリは尾形を畏敬していたと想像した。だからこそ自分の手で討ち取って、自分の能力が上であると証明したかったのではないかと思った。そのくらいのプライドが彼にはあったのだと思っている。
でも敵わなかったし叶わなかった。ヴァシリは作中で一番尾形のことを見て、追って、考え続けたキャラだと思う。なにそれもう愛じゃん? って思う。
愛というのも色んな形があるから愛と呼ぶことのできる執着だとは思う。でも僕は愛という一言に収まらない感情のデカさを受け取った。

だって「山猫の死」というタイトルの絵まで描いて、なんならその絵を死ぬまで手放さなかったという。尾形を知ったその時からずっと尾形のことを追って、死んだあとはずっと想っていたなんて愛じゃなければ宗教な気がする。
しかも「山猫の死」は3億の価値がついた。愛されたくて、でも愛されていたと気が付けないまま、自分の無価値の証明をしたかった尾形。ヴァシリによってその無価値の証明は覆された。彼は弟の勇作に愛されていたし、どれほどの価値があったかヴァシリが絵にして世界に見せた。

僕は「夢を追いかける人」が好きなもので、画家という夢を経済的な理由で一度諦めたヴァシリが著名な画家になってくれたことが、ヴァシリが好きな人間としてすごく嬉しかったりする。
最後まで報われなかった尾形に僕は自分を重ねていて、その尾形を盛大に弔ってくれた存在としても好きだ。

尾形の死が、悔しくてたまらなかったはずだ。自分で死を選んだなんて信じられなかっただろう。それらの感情を一生引きずったのだろうと思う。そして悼んだと思う。自分で手をかけたとしても、きっと惜しんだと思う。対等に実力をぶつけ合える存在なんてそうそういないはずだから。全部妄想なんだけど、それらのすべてが僕を狂わせる。畏敬とかリスペクトとか愛とか、色々言葉を並べてみたけど全部合ってる気がするし全部違う気がするんだな。



頭巾ちゃんことヴァシリ。フルネームはヴァシリ・パヴリチェンコ。
実在する旧ソ連狙撃手であるヴァシリ・ザイツェフとリュドミラ・パヴリチェンコの名前を使われており、一度顎を打ち砕かれて戦線離脱するのはフィンランドのシモ・ヘイヘと重なる。三名とも名だたるモシン・ナガンの使い手スナイパーである。

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