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高木『解析概論』を読む我流精神療法事例の報告

背景

適応障害になって休職している。経緯については下記の近況報告にも記載しているが、今のところ3ヶ月程度の療養を計画している。

Twitter(現X)でほしいものリストを公開したところ、大変多くの人からお見舞いの言葉をいただいた。特に何もしていないのに。
いろいろと健康に良い食材が届き、おかげさまで体調も安定し始めたので、その御礼に休職中に一番療養効果のあった内容を記事にして公開する。

論文調の体裁は、筆者個人が面白いと勝手に思って採用している。記事の内容には一切の医学的根拠、および第三者のエビデンスは存在しないため、同様の活動を通して個々人の身体症状が悪化しても一切の責任は負わない

筆者による、昨今の余裕のないインターネット市民に向けた免責事項の記述  

要約:やっていること

適応障害として出ている諸症状を緩和するために、高木貞治著『定本 解析概論』を読み、ノートを取るという活動を1.5ヶ月ほど続けている。結果、精神状態に起因すると思われる身体症状の緩和が認められた。

導入:休職中の生活と問題

症状と療養方針

休職前の症状については上記の記事にも書いた通りであるため省略する。
主治医の指示に基づく療養方針は、抗不安薬を頓服しながら、カウンセリングと自宅療養。自宅療養の具体的指示は、適切な食事と十分な睡眠をとり、仕事についての事柄から頭を離すことであるが、気晴らしになる程度の散歩、外出も実施している。

休職は2月末から始まっている。休む前は同僚への引き継ぎをしつつ「休みながら統計学の勉強でもします」とか言っていたが、休職初日は始業時間に起きられないという状態から始まり、そこからはじめの1週間は仕事が頭から離れないことで仕事のことを考えては頭痛に苛まれた。
また、在宅勤務が大半であったため、自宅の書斎ではくつろげず、寝室の布団にくるまりながら、仕事のことを考えないでいられない自分の自己嫌悪に苛まれた。
次の1週間は仕事を頭から離すことができるようになったが、今度は何もできないくらいの倦怠感に見舞われた。
(軽く調べると休職の序盤はこんな感じらしい)
3週間めからは仕事のことを意識することも少なくなり、書斎の整理や家事、散歩程度はできるようになった。活動意欲が回復し始めると、今度は以下のような症状が現れる。

  • 何かをしていないと「世間に置いていかれる」という恐怖心

    • 休職前と同じようにTwitter(現X)に張り付いていた

    • 動悸・頭痛等の身体症状が伴う

  • 体力の減退に伴う(そもそも低いが)思考力の低下

これは本質的に休めていないと実感し、Twitter(現X) をブックマークとスマートフォンから削除し、更に寝床にスマートフォンを持ち込まない縛りを設けることにした。この対策により、1点目の恐怖心と身体症状は緩和されたものの、生じた心と時間の余裕に対して不安感と焦りが生まれるので、これに対処する必要性が出てきた。

方法:書籍選定と活動ルール

『解析概論』を選んだ理由

データ分析を仕事にしていたこともあり、復職を意識しながらデータ分析に関連する書籍を検討したが、馴染のある学術書を開くだけで頭が痛くなってしまう状態である。
最近は多少緩和されたので、統計学に関連する書籍を開けるようになったが、それでも休職前のペース、理解度で読み進める事はできていない。
自身の専門性として掲げていた能力・知識であるだけに、これがままならない状態になっていることが一番の驚きで、そして自分の死と同義と思う程度にはショックだった。このことについてはまた別記事で論じたいと思う。

別の方針で、あえてデータ分析の入門書を検討した。既知の内容が多く、文体も平易で、上記のような症状も軽かったが「簡単に読める」という意識が先行すると目が滑る。通常の精神状態であればそれで済むが、適応障害という精神状態であるからか「本が読めなくなってしまう」という恐怖心に変換されたので、あまりにも平易な書籍は避けた。全く知見のない文献にいきなり触れることにも試みたが、これは純粋にエネルギーを使うため、継続には向かないと思った。

『解析概論』は数学書として、思考力が低下した自分のペースを維持できる読み方ができること、「知っていること」と「知らないこと」のバランスがちょうどよかった。また「話し言葉」に近い形で記述されてており、微分積分に関する基本的な事項を扱っている。数式と日本語の量のバランスが良い、という点で、今の自分の状態に適していると判断した。

ノートの1ページ目。多くの人がそうであろうが、1ページ目は大変気合が入っている。

数学書に読み方については記事にしている。

読むルール

①午前中にやる

無気力な期間を越え、心身を休める上で個人的に意識したことは「可能な限り生活リズムを崩さない」ことだった。
大体8時~9時に起き、朝食を食べ、コーヒーを淹れることをルーティンとして、『解析概論』に大体1.5時間向き合う。 無音だと落ち着かないので、作業系Youtuberのポモドーロ動画を流しながら進めた。個人的にはリンク先のYoutuberの作業音が心地よいこと、休憩時間に流れるグラスゴーの景色は非常に気に入っている。

②「やったフリ」でもいいから毎日ノートを開く

生来、筆者は大変続けるのが苦手な性格である。
これまでも何かを始めようとしてもなかなか続かなかった。そんな折、『続ける思考』という本と出会う。

とくに感銘を受けたのは「やったフリだけすればいい」ということ。ここまでハードルを下げても「続けている」

どうしてもやりたくない日がある。 あまり気が乗らない日……わたしだってある。 そんなときどうするか。 そんな日は、やったフリだけする。

井上新八. 「やりたいこと」も「やるべきこと」も全部できる! 続ける思考 (p.102).
株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン. Kindle 版.

書籍ではこの後「やったフリをすると自然とスイッチが入るだろう」と続くのだが、筆者は適応障害で療養中であるということを意識する意味でも、本当に「やったフリで終了」したことも何度かある。 ノートを開いても字を書きたくない、ということがあるが、そのときは罫線を引いて終了、ということもあった。毎日引いてから書くのがだるいのと、通院や週末に罫線を引くだけで終わらせることは少なくなかった。

「4/14 開くだけOK、4/15〃(おなじ)」と書かれたメモ

逆に没頭「しすぎる」ということも意識して控えた。
なにかに集中することは、適応障害に良いことではある反面、没頭のし過ぎは疲労やその他の療養手段(散歩、ゆるい瞑想など)を圧迫する。ルーティンが乱れることは精神的に良くなかったためである。
具体的には、1日あたりノートの見開き1ページを埋めることを上限の目安にした。たまにキリが悪くなり1.5ページになることもあったが、筆者は適応障害で療養中であるので、進めすぎないことを心がけた

③理解不足・雑な書き方を赦す

微積分は高校、大学で何度か触れているので『解析概論』の序盤は既知の内容が多くあったものの、証明を追うことで、理解を深められる概念は多かった。証明を追って論理的に理解できたことも多少はあるが、比喩的・概念的なイメージで大枠を理解したつもりになっていることや、そもそも理解できていないこともある。理解しているイメージが湧くところについてはノートにメモ書きを残しているが、どうも理解できないことにこだわりすぎて継続が中断することが一番避けるべきことだったので、とりあえずノートを取って終わった部分もある。

また、その日の体調に応じてやる気もまちまちで、字の丁寧さ(もともと綺麗な字は書けないが)にも大きな波がある。

先の画像とは余白の量、字の拙さが目立つページ。

これらを「赦す」ことが、最初はとても苦しかった。同時に筆者は結構な完璧主義であることを自覚した。
思えば、中学時代には1日学校をズル休みしたら2週間ほど行けなくなってしまった時期があるし、これまで何かしらを始めても続ける事ができなかったのも「1日でも中断したら『失敗』」という観念があった。
ノートの「書き方」についても同様で、少しでも納得の行く図がかけなかったり、字が上手く書けなかったりするとそこで終わりに中断してしまう。こうしたことで使い切らずに資源ごみになったノートは数しれない。
こういうことが赦せないまま大人になってしまったのだな、と、仕事を休まざるを得ない状況まで追い込まれて気付いた。

活動結果:精神状態への効果

活動によって得られた療養効果

3月半ばから始めたノートは半分以上埋められている。
3月は午前中にこれを実施したら疲労感がMAXになるため、午後は服薬して寝る、という毎日を過ごしていた。そんな状態でも、少なくともノートに書き写し、考えている間は、適応障害の症状もある程度落ち着いていた。
この活動の大きな効能の1つは「続けるために怠惰な自分も赦す」というルール設定が精神状態に良い影響を与えていることである。完璧主義で、数学も「完全な理解」を志向したが故に挫折した経験が多いが、理解が中途半端であっても、図がきれいに書けなくても、それを許して「続けているだけマシ」というふうに考えることで、精神的にも安定する。
午前中に実施するというルールも比較的良好に作用している。初めは朝起きられない状態もあったのだが、一定「なにかしないと不安」くらいまで回復した段階においては、活動的な状態を維持するための良い準備運動となった。

2ヶ月ほどで一定復調しつつあることについては、家族や友人の支援が心強いことが第一であるが、一部は自身の内省的な性格が奏功しているとも考えたい。いわゆる16PersonalitiesなどではINTJとかINFJとかINTPなどの結果になりがちなのだが、相対的にみれば内省志向であることは自負している。自分の精神状態を(バイアスがあるにせよ)観察し、距離を取るべきことがらから距離を取りながら、自分が快復するために必要な活動を実践していることが良い方向に動いていると思われる。

継続課題

まだ心が弱っていることは間違いない。心が弱っていることは、意志力も強く作用できないこととも関連するため、精神に悪影響のある要素をすべては排除しきれていない。Twitter(現X)はブラウザの履歴やURLを叩いて見に行ってしまうし、Twitter(現X)の代替SNS(BlueskyやMisskeyなど)はよく開いてしまっている。
データ分析に関連する書籍や情報は、負荷が大きいのにもかかわらずつい触れてしまうし、その都度、理解が進まない自分が少し嫌になる。反面、徹底的にこれらを「禁止」してしまうと「してはいけない」という規範意識が暴走してこれもまた精神衛生上良いことではない。塩梅が難しいのだが、少なくとも精神負荷を圧してでもデータ分析に触れ続けようとしてしまうのは、それくらい愛着があるからだと解釈することにする。周りの人間もおそらく「データに詳しいきぬいとさん」の帰還を期待しているので、そこから離れることは考えにくい、ということもある。
SNSについては愛着ではなく、アテンション・エコノミーの奴隷である証拠だと解釈して、今後も減らしていこうと思う。

仕事復帰にあたって現状の課題は、8時間の労働に耐える体力が戻っていないことにある。適応障害になった背景が人間関係やコミュニケーションの不協和であったこともあるが、人と3時間程度会話をしたら、翌日と翌々日は寝込んでしまう状態である。ひどい時期はコンビニの店員とすら会話が成り立たなかった。これの改善については、読書だけでは足りないので、一種のショック療法だと思って、友人と会う時間を設けながら慣らしていこうと思っている。

おわりに:万人の療法ではない

この記事での前提は「自身の精神状態に向き合う余裕がある」ということである。この余裕がない場合は、処方された薬などを適切に服用し、十分な睡眠と適切な食事を摂ることを最優先にするべきである。

また、一般に、数学の本を読むことが適応障害を含むメンタルヘルスに効果的であるとは思っていない。適応障害の数学者・物理学者にとってはむしろ数学から離れることが第一の療養となるかもしれない。

上記の取り組みについて、個人的に伝えたいことは「自分の状態を視る」ことと「雑な継続でも赦す」ことは、メンタルヘルスの状態によっては良い効果をもたらしうるので、気力が戻り始めたら少しずつ取り入れてみよう、ということである。
全く同じ背景、全く同じ症状の人間はいないと思うが「自分にも適用できるかも」と少しでも思う人がいたら、一瞬試してみてほしい。「合わない」と思ったら継続しなくても良い。内省や対話など、自分を見つめる方法を通じて、自分が続けられる活動を適宜見つけると良いと思われる。

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