自分のような専門外の人間が「数学書」を読む時のメモ
2024/04/30追記
投稿後2年以上経つが、未だに「いいね」を頂戴することを嬉しく思っている。これだけ読まれると読みにくい箇所や誤字が存在することはやや誠実さに欠けるように思われたので、適宜修正した。
また、ヘッダーを追加した(@dharmazeroalpha 氏より拝借)。
さらに、参考文献を追加した(Polya, 竹内)。
導入:執筆の背景
修士(文学)が数学を勉強する必要性に駆られている。
数学の書籍を読む方法について、学生時代の講義や自主ゼミによる遠い記憶と、数学徒の見よう見真似でしか理解できていないので、参考のために各大学の教員の方針がまとめられた情報も組み合わせて整理し共有する。
なお、基本的には僕の僕による僕のためのメモなので、他の人の参考になるかどうかは知ったことではない。
目的
統計検定1級のために以下の書籍を理解を伴って「読了」するための方法として、数学書の読み方の基本的な作法をまとめる。
前提知識:過去の経験
修士(文学)とはいいつつ、学部、大学院の頃に、数学科出身の先輩が主催する勉強会に参加して、読み方の基本的なスタンスを体験した。その時は以下のことを概念的に学んだ記憶がある。
数学書1冊の読了に時間がかかることを受け入れる
1章が1日で終わらないのは当たり前。1行しか進まない日もある。
上記経験では(参加者との分担もあったためか)2年弱かかった。
数式には「行間(ギャップ)」がある
数式はつながりがあるが、そのつながりが「当たり前」とは限らない。すなわち、定義の仮定に基づいた論理的な理由付けや、紙面の都合で省略された計算過程を追いかける必要がある
誤植が隠れていて、書かれたとおりの結果になるとは限らない
実際、演算の符号が逆であったり、項が記載されていなかったりする。
「定義」と「定理」は違う
それ以外にも「公理」「系」「補題」など様々な言明のクラスが存在する
少なくとも「定理」は「定義」に基づいた「証明」が必要。
紙とペンで書くことで理解ができる事が多い
読むだけでは理解が追いつかない。後述のような「写経」が本格的な理解の近道である
参考:学生時代に読んだ書籍
学生時代に読んだ書籍はDobson『一般化線形モデル入門』である。
学部2年の末から学部4年までかけて読んだ記憶がある。当時のノートも残っているが、数学的に本を読むということの難しさで、四苦八苦していた様が書かれている。機会があればノートも公開したい。
普通の本は1〜2日、簡易な内容であれば数時間で読み切れるような中、
年単位でようやく1冊読み切る、というような経験は大変ながらに強烈に印象に残り、僕の以降のキャリアを大きく左右するものとなった。
インターネットの叡智
「数学書 読み方」という安易なキーワードで検索すると、大学教員による数学書の読み方や、数学科で行われる輪講形式の講義(「セミナー」という)の準備の仕方についての記述が結果として返ってくる。
1つ1つを読んでいくことも重要であるし、特に学生諸氏に関しては、在籍する大学の数学教員に話を聞くのも有効であろう。本記事では、上記の記述や、Twitter(現X)などの投稿を拾いながら、ある程度共通していると思われる読み方の作法について簡単にまとめる。
①「理解した」の水準を定める
一般的な書籍であれば、その書籍が主張する内容について「そのように書いているから」でも「なんとなく正しそう」でも、とりあえず読み進められることがある。「本当か?」と思うような場面があっても、書籍によっては論拠となる文献を記載していることもあるため、そこにあたることで主張の妥当性を評価することができる。
しかし、数学書はそうとは限らない。記述や主張がなぜ正しいのかについて、外部に正解を求めずに、懐疑的に向き合う必要があるようだ。
また、書籍であれば数式に誤植が存在することはよくあることであるから、書籍に書いていることを鵜呑みにしないということは、特に数学に置いては重要視されているようだ。確かに、論文になると誤植をもとにした論理展開によって、主張が全く変わってしまうこともある。私も卒論や修論に関する研究で大いに指摘された。
②ノート・紙に書き出す
何ができれば自分が「理解した」ことになるのかについて、自分の中で本にある記述が正しい根拠を自分の言葉で表現できることであろうと解釈できる。では、本の記述を自分の言葉で表現できるようになるためにはどうすれば良いのか?というのが次の問いになる。
その答えの1つがいわゆる「写経」と呼ばれる行動である。プログラマでもコードを書き写すことを「写経」と呼び、写経によって理解を深める。アナロジーとしても、仏典を書写するという大本の意味とそれによる意義・効果からは大きくは離れていないように思われる。
すなわち、著者の主張を理解するためには、その言及を「写経」し、その過程を経ることが大きな助けになるということだ。
③例を考える
写経をすると、写経を仕切った達成感を「分かった」と錯覚しがちな自分を予感したので、実感のある「分かった」を得るためのもう1つの方法が「例を考えることにあたることであるという言及もある。
例とは、定理や公式に具体的な値を入れたり、一般的な主張においては特殊な条件に絞ったりすることを指す。「図を書く」は参考にしたサイトでは別項にあるが、本記事では、例を考えるという行動の1つであると解釈する。
④定理・命題を要約・再構築する
この点は、数学の書籍の読み方として特別な作法の1つであると思われる。
数学書を読むと大抵「定理」や「命題」は四角に囲われるなどで強調される。これは要約して記述することで情報量を減らすことができる場合があり、それを記憶すること自体は可能であろう。十分な理解に昇華するには、自分で定義からこれらを独自で導くことも必要である。
注意したいのは、この行動は「暗記」ではないということである。定義と目的からどういった定理が導けて、それがなぜ正しいのかを再構築する過程を自分の言葉で作り直すということである。
おわりに
こうして見ると、特に数学書においては「自分が理解した」ということの根拠づけに、十分にリソースを割くことが重要であるといえる。往々にして、この実践には時間がかかるが、数学の理解に向き合うのであれば、時間がかかることを気にする必要はあまりなさそうであるし、数学を学ぶ上ではそれを周囲と共有するとよいだろう。
統計検定1級は毎年11月に実施される。あと10ヶ月弱あると思えば、数学的な基礎を理解するならちょうど良いのかもしれない。毎年「あと◯ヶ月ある」と思っていても、数学の基礎的事項の理解が追いつかない。とりあえず怠けたくなったり甘えたくなったりしたらこの記事に戻ってこようと思った。
2022/03/20追記
こんな本が出たのでこの記事を読んじゃった人には悪いけどこの本をまず読んだほうが良い。
2024/04/30追記
古いが名著として下記を挙げる。
Polyaの「いか問」を元に、より広い読者層に向けて書かれた書籍も挙げておく。私はこれを古本で購入したのだが、以前の所有者のメモが栞代わりに挟まっていた。古本というものの良さはこういうところにあると思う。
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