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私はパスタや蕎麦になれなかった「うどん」

以下の文は、中村うさぎエッセイ塾に提出した課題です🙇‍♂️
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私をモノにたとえると、パスタや蕎麦になれなかった「うどん」だ。
体型が太めだから、というだけではなく私はパスタのように誰とでも仲良くなれるわけではなく、蕎麦のように高級路線をひた走ることもできない、「洗練されてない安そうな男」だからである。

まずどう考えてもパスタではない。トマトソースやチーズ、豚肉や魚、野菜などどんなヤツともすぐに仲良くなりやがるパスタ野郎め。私は高校時代友達ZEROの陰湿学生だったので、クラスでぽつりとケータイ漫画を読みながら、独りで弁当を食べていた。そんな陰湿な私が唯一仲良くなれるのは、昔から付き合いが長すぎて飽きた「めんつゆ君」と、せいぜい背伸びして「カレーソース君」くらいだった。

誰とも仲良くなれて何にでも染まる「パスタ男」にイラつく。そういう男はなんでも着こなせるし、そういう男はおしゃれなキッチンでパスタを茹でる。こっちは、うどんを踏めるスペースすらない「激狭1Kのクソ汚部屋」に独りで住んで、うどんを踏むように、スーツやワイシャツや脱いだ下着を踏みしめながら生きているのにーーー。

かといって、最近の都会の高級路線の店で出てくる「蕎麦」みたいにお高くとまって気取ることもできない。この前、都内の蕎麦屋で2千円のざるそばを食べることになり目が飛び出た。どの店も混んでて仕方なく入った蕎麦屋だったが「蕎麦のくせにお高くとまりやがってーーーッ!」と危うくちゃぶ台をひっくり返すところだった。産直のエプロンババアがテキトーに茹でた蕎麦と何が違うのだろうと思う。「丸亀製麺」や「はなまるうどん」なんて300円でお腹いっぱい食べることができるぞ、うどんとしての私は、まずそういうお誘いは基本断らない。しかし、モテない。

都会の蕎麦みたいな男はお高くとまってやがる(奴らへの恨みが止まらない)。蕎麦は田舎のスーパーで1袋30円くらいで売っているのに、上京しておしゃれして、覚えたてのファッションで柚子胡椒とかラー油とかを体にまとったりすると一気に値段が100倍爆上がり。田舎の産直の食堂でババアに茹でられてた、あの時のお前はどこに行ったんや。あんた、昔はそんな男じゃなかったでしょう。そして、蕎麦男は30〜40代になると趣味で蕎麦打ちを始めて、陶芸教室で作った手作りの皿にのせて食べる。私は割り箸と紙皿で食事をしているのに(皿洗いが嫌い)。

いけない、本題は「うどん」だ。仲良くなれる人種の範囲がつゆとカレーの2種類くらいしかいない。お高くとまることができず、洗練されておらず、安っぽいのが、私といううどんだ(つるとんたんは除外)。

パスタみたいに「幅広い人と仲良くなれない問題」は、小学生からの性格なのでもう無理だとして、さてなぜ私は「安い印象」を与えがちなうどんになったか。出会いや恋愛を重ねてきた中で、どうやら「私は非モテだかららしいーーー」という結論にたどりついた。白状すると、パスタや蕎麦になろうとしてギャル男みたいな彩度高めの派手ファッションに身を包んでみたり、人脈を広げるために意識高い系の奴らと留学してお高くとまろうと、背伸びしてみたりした時期(黒歴史)もあった。

そんな努力をしても、どうあがいても「洗練されてなさ」がぬぐえない。それは「顔がキャラを決めてる」からだと思う。というのも私の顔は、野暮ったい一重瞼、ちょっと大きめの鼻(シュッとした鼻に憧れている)、ペンギンの如く厚めの唇、落ちようとしない顔のたるみ。都心の気取った高級蕎麦屋で1本◎◎◎◎円の蕎麦をすすって気取ってても、自分の中のツッコミ小人が「あんたは顔がうどんなんだから!」と私の脳内でささやいている。

ブスな自分のうどんが嫌いだった。
でも20代半ばになればそんな「うどん」を受け入れることはできた。恋人と付き合い、自分の価値を自分で認められるようになってから、うどんとしての自分をようやく受け入れた。友人の「つゆ」たちとは相性がよくて(性格的な意味で)時々飽きるが和食らしくて心地よい関係になっていると思う。

でも、本心としては、この世のパスタや蕎麦という細身の男どもをこの手でへし折ってやり、私が相対的に「うどん界でもっともスリムなうどん」になって、チヤホヤされてモテまくりたい。しかし、そうはいかないので神から与えられたうどんとしての自分で図太く生きてやろうと思う。

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